第24話:ラッセルとコゼット
ラッセルの部屋は王城敷地内にある別棟にあった。従来、主席研究員は王城内に私室を設けることを許されるのだが、ラッセルそれを断り自らの希望で別棟に私室を作ったそうだ。おそらく日常の生活から混血と悟られるのを防ぐためだろう。
別棟はレイナルドが暮らす王城に比べれば随分と古い建物になるが、それでもしっかりとした石造りで警備も厳しい。おかげで侵入するのに難儀したが、ディーノの魔術で警備兵を眠らせて棟の中へと入ることができた。
そして、目の前にはラッセルの扉が部屋がある。
「皆、いいな? 行くぞっ―――ラッセル!」
リュスカが勢いよく扉を押し開ける。そうしてなだれこむように室内へと押し入ったのだが、出迎えたのは静寂だった。
造りつけの収納家具以外の物がほとんど置かれていない部屋は、誰かが住む部屋というよりは宿屋の客室という感じがする。
「……いない、のか?」
部屋の明かりは灯されているのに人の気配はない。リュスカが部屋を見回していると、ラッセルの執務机の前にいるレイナルドが声を上げた。
「皆、ちょっと来てくれ」
リュスカとアランが、レイナルドのもとに駆け寄る。そこで見せられたのは、机の上に布で巻かれた状態で置かれた剣だった。布を取ると、中の剣の刃にはびっしりと血がついていて既に錆色に変色している。
「リュスカ、剣の柄にある紋を見てごらん」
「これは狼……ってことは、シードの剣か?」
「そう。しかも置いてあったのは剣だけじゃない。これも一緒に置いてあった」
「これは、薬の処方書?」
渡されたのは様々な薬草の配合が事細かに記された処方箋だった。こういったものは通常、必ず創薬研究所を通して発行される。だがこの処方書には、研究所の発行印が押されていない。
「作ったのは陛下専属の医師のグルドで、作られた薬は飲んだ者の意識をひどく混濁させるもの。薬の作成日時は陛下が襲撃される前日だ」
処方の内容を解読したレイナルドの説明を聞いたリュスカの頭に、ふとマリクの言葉が甦る。マリクは確か、『気付いたら血のついた剣を握らされた状態で、倒れたレイストリック国王の前に立っていた』と言っていた。
「まさかそれ、マリクに使ったものかっ?」
「彼から聞いた証言から推測すると、そうなるね。そしてこんな処方指示をグルドに出せるのは、現状ジェラール兄上しかいない。となると……兄上が陛下暗殺未遂事件にかかわっているということになるね」
辛そうな、そして悔しそうな顔のレイナルドが紡ぎ出された真実を言葉にする。
「でも、どうしてこんなものがここに?」
リュスカたちも信じられなさそうに顔を見合わせた。しかし反対にその頭の中では、ジェラールという軸を中心にバラバラになっていた情報が繋がっていく。それがやがて結論に達しようとしていたその時――――。
「皆、来てっ、ラッセルが!」
珍しく三人の輪から外れていたディーノが声を上げた。声のする方を見ると、そこには寝室に続く扉の前で青い顔をしているディーノの姿があって、三人は慌ててディーノのもとへと走る。
辿り着いた先で見たものは、寝台の上で横たわっているラッセルの姿だった。
「ラッセルっ?」
息を呑む暇もなく飛び出したリュスカが、ラッセルのもとへ駆ける。
寝台に横たわるラッセルの肌はリュスカの記憶にあるものよりもさらに青白く、まるで蝋人形のようだった。
「おい、ラッセル! ……ッ!」
揺り起こそうとラッセルの手に触れると、声が止まるほど冷たい。リュスカの心に、これまでにない強い衝撃が突き抜けた。
「お、お前と話しに来たのに、何寝てるんだよ!」
頭に過ぎる最悪な状況を認めたくないリュスカは、必死に声を張り上げてラッセルの名を呼び続けた。しかしラッセルはなんの反応を返さない。
リュスカは耐えられず、ラッセルの身体を抱き起こした。
「い、やだ……嫌だ、ラッセル! 目を開けろ、開けてくれ! 頼むから!」
胸が、全身が、掻きむしられるように痛む。
どうしてこんなことになってしまったのだ。リュスカが後悔を募らせながらラッセルの身体を抱き締めていると、突然、場にそぐわない笑い声が部屋に響いた。
「クククッ……感動の再会はどうだった?」
声に反応した全員が、揃って振り返る。
そこにいたのはシードだった。
「今日は役者が全員揃ってるな。ああ、一人はお休み中だったか。残念だったな、つい半刻程前までは起きてたんだが」
「ま……さか、お前がラッセルを!」
シードの口振りに、リュスカが怒りを露わにする。
「お前、そいつが死んでると思ったのか? クククッ……チビは相変わらず早合点だな?」
「シード、それはどういうことだ?」
リュスカの反応を嘲笑うシードの前に、レイナルドが一歩出る。
「そいつは今、お前の父親に使った物と同じ薬を使って仮死状態にさせてある。致死量ギリギリの分量を飲ませたから、もって後一刻といったところか」
「その情報をこちらに教えたということは君に何か考えがある、と見ていいね?」
本当なら父親のことが気になるだろう。それなのにレイナルドは冷静さを失わない。
「さすがは狡賢い策士の弟。判断力はチビとはてんで違うな」
「……いくら君でも皇太子への侮辱は許されない。それに君は兄上の騎士だろう?」
「ハッ、知るかよ。俺を愉しませることができなきゃ、皇太子であろうがただのクズだ」
いやらしい笑みを浮かべながら、すべては愉しいか愉しくないかだけだと断言する。
「それで? この中で誰が俺を愉しませてくれるんだ? ……そうだな、俺に剣で勝つことができたら、そこで寝てる奴を起こす特効薬をくれてやるよ」
言いながらシードが懐から赤色の液体が入った小瓶を取り出す。
「国王専属医師お墨付きの解毒剤だ」
「証拠は?」
「そんなものあるわけがないだろ。お前たちが信じるか否か、だ」
シードの言葉の信憑性は薄い。だが現状、ラッセルを救えるかもしれない手段はシードが持つ解毒剤らしきものしかない。となれば行動は一つだが果たして狂戦士のシードを相手に勝つことなどできるのであろうか。一同が決めかねている中、一人の男が名乗りを上げた。
「俺が相手をしよう」
腰に差した剣を抜き、皆の前に立ったのはアランだった。
「アラン、大丈夫……か?」
「心配ない。必ず勝って薬を取ってくるから、それまでラッセルのこと頼むな」
アランは確かに強い。しかし訓練場の模擬戦ではシードに軍配が上がっている。それを思い出すとリュスカは心配で堪らなかったが、アランから肌に直接伝わって来るほどの闘志が感じられたため、それ以上の言葉はかけず、ただ一言「分かった」と言って送り出した。
「ほぉ、俺に一度負けた副団長様か。どうやら死ぬ覚悟はできているようだな?」
シードが己の剣を前に突き出す。
「負けるつもりはない」
同じように、アランも剣を突き出し、互いの剣の腹を合わせた。それはレイストリック国王に伝わる正式な決闘の儀式だ。
「行くぞ!」
次の瞬間、部屋に金属がぶつかる高い音が部屋の中に響いた。
「少しは本気のようだな。しかし、なぜそこまで熱くなれる? あの混血は、お前が一番欲していたものを隠していたというのに」
豪快な剣術を繰り広げながら、シードがアランに話しかける。多分、アランの心を乱すことが目的なのだろう。前の戦いで剣術ではなく体術を使って無理やり勝ちを奪ったシードの卑怯な手を思い出し、リュスカは唇を噛む。
「考えてみろ、もしかしたらあいつがお前の恋人を殺したのかもしれないんだぞ?」
シードの絶え間ない攻撃は、動体視力のいいリュスカですら目が追いつかなかった。そんな攻撃を繰り返しているというのに息切れすら起こしていない姿を見て、ラッセルの身体を支えるリュスカの手が震えた。
ただ解毒剤が欲しいだけなら、全員で力を合わせてシードを打ち負かせればいいと思った。そう以前のシードのように。だがアランの背中を見ていると、絶対に手を出してはいけないような気がした。きっとそれだけアランは本気で戦っているのだろう。
「お前が悩む姿を見て、笑っていたかもな?」
「そんなことは本人を起こしてから聞けばいい。俺が信じるのはラッセルの言葉だけだ」
今まで無言を貫いていたアランが初めて口を開いた。同時に突き出したアランの剣が、シードの頬をかすめる。その攻撃を皮切りに、アランの動きが一段と速くなった。
シードからの攻撃をことごとく跳ね除け、続けて攻撃を押し返すように剣の嵐を突き入れる。
「――どうやら、勝負あったね」
リュスカの隣で、レイナルドが呟く。
「え、どういうことだ?」
「アランがあの年で副団長にまで登り詰めた理由を知ってるかい?」
「それはアランが強いからじゃ……」
「もちろんそれもある。でも一番の理由はアランは短時間で相手の剣の癖を読み取る能力があるからだ」
「相手の剣の癖を読み取る?」
「剣を極めた者なら誰でもある程度相手の癖を読むことはできる。だがアランの場合は短時間で戦う相手の癖を余すところなく見極めて、そのうえで反撃することができるんだ」
対戦を見守るレイナルドの口角が上がる。
「だからもうこの勝負―――アランの勝ちだ」
次の瞬間、今まで聞こえた金属音とは違った特段高い音が鳴り響き、今回はシードの剣が宙に弧を描いた。
剣を失ったシードの首筋に、アランの剣が触れる。
「勝敗はついた。早く薬を」
「くっ……」
命に興味はないといった顔で解毒剤を要求するアランに、シードが眉を顰めてから解毒剤が入った小瓶を投げた。
小瓶はそのまま、レイナルドの手に受け止められる。
「これで君の気も済んだはずだよ、シード。悪いが、今夜の席からは外れてくれるかい?」
「いいのか、第二王子。俺を野放しにして。この後、何をしでかすか分からんぞ?」
「その時は、きっとまたアランが相手をしてくれるよ」
「フンッ」
身を引いたシードが飛ばされた剣を取り鞘に収める。それからすぐに一行に背を向けると、そのまま部屋から出て行くために歩き出した。
どうやらもうシードに戦意はないようだが、最後まで気が抜けないと四人は警戒を続ける。
「――ああ、甘ちゃんなお前たちにもう一つ褒美をやろう。策士は今夜時計塔にいる。どうせ追い詰めに行くんだろう? だったらとことん追い詰めて引導でも渡してやれ」
策士とはジェラールのことだろう。さらりと主君の居場所晒すシードにレイナルドが眉根を顰める。
「君は兄上を裏切るんだね」
問いかけるレイナルドの声が、わずかに低い。
「裏切る? ハッ、笑わせるな。俺と奴は最初からそんな関係じゃない」
「では、どういう関係だい?」
「さぁな。お前たちが逆立ちしたとこで、一生答えなんか出てこないだろうさ」
笑いながら吐き捨て、シードは部屋から出て行く。ほどなくして完全に沈黙が戻ると、ようやく一同から張り詰めていた緊張が消えた。
「本当にいいのか? あいつを捕まえて王国法廷に引き渡さなくても……」
「おそらくだけど、シードは逃げないと思うよ。まぁ、捕まるまでに一悶着ぐらいはあるかもしれないけどね」
常人の予想を軽く裏切るシードの性格から予想したレイナルドの意見に、皆即座に同意する。本当ならすぐにでも捕縛したほうがいいのだが、今はそれよりも優先すべきことがあった。
もちろん、ラッセルだ。
「さぁ、早くラッセルに薬を」
レイナルドから解毒剤が入った小瓶を受け取ったリュスカが、ゆっくりと中の液体をラッセルの口に流し込む。時を同じくしてディーノがラッセルの手を握った。
「ディーノ?」
「少しでも早くラッセルが目を覚ませるよう、僕にも手伝わせて」
ディーノがゆっくりと目を閉じ、柔らかな声で術を唱え始める。
『我を守りし地の精霊よ、温かき大地の息吹で彼の者に生ける力を貸し与えよ』
すると握った両手から薄緑色の温かな光が現れ、ラッセルの身体をゆっくりと包み込んだ。
そうして四人が見守り続ける中、ほどなくしてふとリュスカの腕にトクンと小さな鼓動が触れる。
一瞬、勘違いかと思ったが腕に触れる心臓の音は時間が経つごとに強くなり、色味がなかった唇にも赤みがさしてくるのを見て、リュスカの胸は歓喜に包まれた。
「ラッセル! 聞こえるか?」
早く目を開けて欲しくて、リュスカは何度もラッセルの名を呼び続ける。するとラッセルの長い睫がわずかに震えた。
「……ぅ……ん……」
ゆっくりと開かれる瞼の奥から、翡翠と深紫の瞳が覗く。
「リュ……スカ?」
「ラッセル、気ふいたかっ? よかっ……た」
名を呼ばれてやっと、リュスカの胸から恐怖が消失した。途端に嬉しさが込み上げて、リュスカはラッセルに思いきり抱きつく。
「え、皆……どう……して、ここに?」
状況を読めていないラッセルが首を傾げる。すると――。
「――ラッセルが教えてくれたんだろう? アランのペンダントを使って」
リュスカの後ろで同じように喜んでいたレイナルドが、そっと告げる。これにはリュスカ、アラン、ディーノの三人は驚愕して目を見開き、レイナルドを見遣った。
「え? 教えてくれたって?」
「実はね、リュスカ経由でコゼットのペンダントが戻ってきた時、私はそれが偶然だと思えなかったんだ。ラッセルのことだ、もしも本気で裏切るつもりなら相手にわずかも情報を流さないだろうしね」
説明を聞きながらラッセルを見ると、視線が合った途端にプイッと目を逸らされてしまった。その姿を見て、レイナルドの予想は間違っていないのだとリュスカは悟る。
「単純に考えて、アランがコゼットのペンダントの存在を知ったら、必ずラッセルに直接聞きだそうとするはず。つまりラッセルは私たちが強引にここへ押しかけることを想定していたんだ。……違うかい?」
「さすが……レイナルド様ですね。ペンダントだけで……そこまで推理されるなんて」
リュスカの腕の中でラッセルがか細く笑う。
「ラッセルも、早いうちから兄上が怪しいと思っていたんだね?」
「ラッセルも……って、レイナルドも怪しいって思ってたのか?」
二人の間で進んでいく話に、顔を顰めたリュスカが口を挟む。シードが貴族殺しの時点で黒だということは最初から分かっていたが、ジェラールが怪しいという事実はリュスカにとってついさっき知ったばかりのこと。なのに二人は以前から怪しんでいた。
さすがは頭脳明晰な二人だ。しかし何だか置いてけぼりを食らったような気分にもなった。
「一連の事件を繋いだ時、兄上を中心に置くと面白いぐらいに話が繋がったからね」
「じゃあ何で教えてくれなかったんだよ!」
仲間なのに、とふて腐れるリュスカにラッセルが小さく微笑む。
「すべてはリュスカのためだよ」
「え? 俺の?」
「レイナルド様はリュスカを危険な目に遭わせたくないから、証拠を手に入れるまで動こうとしなかったんだ。だってリュスカ、ジェラール様が怪しいって言ったら、すぐにでも追い詰めようとするでしょ? でもそんなことしたら兵に捕まって牢に入れられるか最悪あの狂戦士に斬られる。レイナルド様はそれを恐れていたんだよ」
ようやく体調が元に戻ってきたのか、ラッセルの言葉がしっかりとしてくる。
すべて自分のためと教えられたリュスカは少し複雑な気分になったが、それでも胸の辺りが温かくなっているのが分かった。
「だからラッセルは、俺たちを裏切ったふりをしてたのか?」
「リュスカのこともそうだけど、開戦が間近に迫ってたからね。すぐにでも事件に繋がる証拠を手に入れるには、どうしてもジェラール様の懐に入る必要があった。ただ証拠を手に入れた途端にこの様、だけど」
今夜辺りレイナルドたちが自分の下へ辿り着くだろうと予想していたラッセルが部屋で待っていたところ、シードが突然現れm無理矢理薬を飲まされたのだと言う。
「でもね……皆のところから離れた理由は、それだけじゃない。――――ねぇ、アラン」
唐突に呼ばれ、アランがラッセルに近づく。
「何だ?」
「コゼットのこと、気になってるよね?」
どうしてコゼットのペンダントをラッセルが所有していたのか。その謎はいまだ隠されたままだ。
「あ、ああ……それは、もちろん……」
「もうここまできたんだ、全部話すよ。――――彼女をね……コゼットを殺したのは僕だ」
「な……ッ! ラッセル、それはどういうことだっ」
衝撃の言葉にアランの声が一気に硬くなる。
「なぜ、なぜラッセルが彼女をっ?」
「順を追って話すよ。――あれは五年前のことだ。当時、僕は世継ぎに恵まれなかったファレー侯爵から、養子縁組の話を持ちかけられてたんだ」
ファレーといえば先日シードに殺された貴族で、裏舞踏会にもかかわっていた人物。思い出して、リュスカがごくんと息を呑み込む。
「混血を隠し通すために強い後ろ盾が欲しいと思っていた昔の僕は、その話を受けようとした。でもその前に、侯爵の素性だけは調べておこうって思ってね。調べたら裏舞踏会に行き着いた」
ファレーが夜な夜な一人で屋敷を出てはどこかへ行っているという噂を耳にしたラッセルは、その跡を追って裏舞踏会が開かれている会場に辿り着いたのだという。
「ファレー侯爵が会場で何をしているのか知った僕は、当然ながら嫌悪を覚えて、迷うことなく養子縁組の話を断ることを決めた。そうしてあの最悪な宴の会場を後にしたんだけど……その帰りに一人の少女と出会ったんだ」
少女、という言葉にアランが反応を示す。
「まさか、それがコゼット?」
「そう。多分裏舞踏会から逃げ出してきたんだろうね。全身が傷だらけで、出血も多くて……正直、手の施しようがない状態だった」
医術に詳しいラッセルが見てその判断を下したのなら、おそらく国王の専属医師でも救命は不可能だっただろう。すぐに悟ることができて、
「それでもなんとか助けられないかと、僕は彼女を連れて森の中まで逃げたんだ。でも医療道具も何も持ってなかった僕は結局何もできなくて……ッ、彼女を見殺しにした」
「そんな……だったら、それはラッセルのせいじゃないじゃないか。コゼットに酷い傷を負わせたのは裏舞踏会の連中なんだろ? それなら……」
「違うよ。あの夜、彼女を背負ってこの部屋まで戻って来られれば、もしかしたら助かっていたかもしれない。でも……僕には時間がなかったんだ」
「時間?」
「目の色だよ。あの夜、コゼットと出会った時にはもう僕の目の色は元の色に戻っていた。そんな状態で目立ってしまえば、僕が混血だってことも知られてしまう」
夜遅くに血だらけの女性を背負って歩けば、どれだけ足音を潜めたところで誰かしらの目に止まってしまう。ラッセルはそれを恐れたのだという。
「でも、目の色を変える薬があるって……」
ラッセルが国家研究員としての認定を受けたのは、十一歳の時。ということは、目の色を変える薬はその頃には完成していたはず。それならその薬を飲めば混血だとは悟られないはずだとリュスカが問うと、ラッセルは視線を下げて首を横に振った。
「目の色を変える薬は半日しか効果が保たないんだ。だから効果が切れる前に服用しなきゃいけない。でもあの日は新月で道は暗かったし、ファレー侯爵を追うだけのはずだったから薬は飲んでいかなかったんだ」
それに、もしあの夜、運よくラッセルが追加の薬を飲んで行ったとしても、混血であるコゼットとの接触が露見すれば身の潔白が立証されるまで王国法廷に身柄を拘束されてしまうことになる。つまりコゼットを助ければ、どう足掻いても自分の正体も露見してしまう結果になるのだ。だからラッセルはためらったのだという。
混血だと露見するのは、ラッセルにとって死活問題。ゆえにその気持ちは分かるリュスカだったが、反対にアランのことを考えるとそちらも胸が痛んだ。
「ギリギリまで彼女のことをどうしようか迷った。そうしたら僕を見て同じ混血だと気づいた彼女が、『私のことは放って逃げて。同胞を危険に晒してまで助かりたくはない』って。そう言って僕にそのペンダントを託したんだ」
「託した?」
「もしも、いつか私の愛する人に出会った時、このペンダントを渡して欲しいって。そして彼女は最後、恋人に向かってこう言ってた。『貴方と出会えて私は幸せでした。私は空の上から貴方の幸せを願ってます。だから貴方は幸せになって。そしてどうか私の同胞……兄弟たちにも、温かな手を差し伸べてあげてください』って。でも彼女はとうとう最後まで相手の名前を口にはしなかったんだ」
ラッセルが今までコゼットのことを黙っていたのは、アランの告白を聞くまでコゼットの恋人がアランだと知らなかったから。決して故意に黙っていた訳ではなかったのだ。
「多分、コゼットが最後までアランの名前を出さなかったのは、アランに迷惑をかけたくなかったからだろうな……」
「リュス……カ?」
会ったこともないコゼットの気持ちを代弁するリュスカに、アランが瞠目する。
「俺だって同じ状況にいたら、絶対に皆のこと喋らないと思う。俺と知り合いだってことで迷惑かけたくないからさ」
これはきっと混血にしか分からない気持ちだと思う、と告げると、レイナルドは辛そうに顔を歪めた。
「……そんな心優しい子を、僕は見殺しにした。だからね、アラン。僕が彼女を殺したも同然なんだよ」
ラッセルがアランを真っ直ぐに見つめて、自分が殺したのだと強く訴える。
「僕を裁いていいよ。君にはその権利がある」
「ラッセル…………っ、くっ」
皆が見つめる中、苦しそうな顔をしたアランが突然背を向けた。もしかしてこのままアランが、部屋からも漆黒の蝶からも出て行ってしまうのではないか。そんな不安をリュスカは抱いてしまう。しかしアランは―――。
「レイナルド様、ラッセルの行為は漆黒の蝶が裁くべき案件になりますか?」
アランは冷静な声で、レイナルドにそう尋ねた。
「……私個人の判断で言わせて貰えば、コゼットの死の原因は裏舞踏会にあるからラッセルに罪があるとは言えない。無論、瀕死の重症人を放置したことに罪はあるが……」
言葉の途中でレイナルドは口籠もる。その続きを、アランが紡いだ。
「でもそれは、同胞を愛するコゼット本人が願ったこと……」
「そうだね、だから漆黒の蝶としては裁くべき案件にはしない。後はアランがラッセルを許せるか否か、だ」
レイナルドの意見を聞いて、アランが大きく深呼吸するかのように息を吐く。
「コゼットが心から願ったのは、混血が日の下で笑って暮らせる未来。ここで俺がラッセルを裁けば彼女の願いを踏みにじることになるな」
「では、ラッセルを許すんだね?」
「……はい」
もう一度こちらを向いたアランが、確かな返事で承諾する。しかし。
「ちょ……ちょっと待って。僕を許すなんてそんなのおかしいよ。僕は仲間の恋人を見殺しにしたんだよ?」
どうやらラッセル本人のほうが納得できていないらしく、あたかも裁きを望むかのように慌てて異議を唱えた。
「ラッセルは何かの罰がないと納得できないかい?」
「レイナルド様……ええ、そうです。アランのこともそうだし、たとえ理由があったとしても僕が皆を裏切ったことに変わりはないですから」
漆黒の蝶の存在も、リュスカやディーノの存在も、すべてジェラールに知られてしまった。それも全部自分の責任だと、ラッセルは言う。
「それは事件の証拠を集めるために仕方なかったことだし、……多分、シードや兄上のことだ、ある程度の情報を掴んでいたとは思うよ。う……ん、まぁ、でもラッセルがどうしても罰が欲しいというなら――――ラッセル」
声を幾分か落としたレイナルドがラッセルに命じる。
「はい」
「君の今後の行動は漆黒の蝶で常に監視させて貰うことにする。次に不審な行動、および罪に繋がる行為を犯した場合は容赦なく裁かせて貰う」
「もちろんです」
「あ、それと監視状態に置くために、君には今後ずっと漆黒の蝶に身を置いてもらうから。そのつもりでいるように」
レイナルドが科した罰は言い換えれば「行動は見てるけど、仲間として漆黒の蝶に戻ってきてもいい」という意味。すぐに理解したラッセルは複雑な心境をありありと見せて笑った。
「まったく皆、甘いんだから。……アラン、本当にこれでいいの?」
「ああ」
「そう……じゃあその罰、甘んじて受け――……って、リュスカっ? 何、泣きそうな顔してるの?」
「は? 俺が? んなわけないだろ!」
「でも、目が潤んでるよ?」
リュスカが泣いているという情報に、レイナルド、ディーノ、アランが揃ってこちらを覗き込んでくる。
「もしかして、僕がいなくて寂しかった?」
「寂しいことあるか! バカにされないし、変な薬使われないで済むし、ラッセルがいない方が平穏無事だった!」
本当は少し、いや、かなり感動している。だがそれをからかわれるのが癪でリュスカはありったけの文句を吐き散らかした。
「せっかく静かになったっていうのに! これでまた――――」
しかし叫んでいる最中、突然包まれるように誰かに抱き締められる。また、レイナルドかディーノが抱きついてきているのだろうと相手を見遣ると――――何と相手はラッセルだった。
ふわりと、ラッセルの甘い香りが鼻を擽る。
「……ありがとうリュスカ。眠っている間、微かだけどリュスカの声、聞こえたよ」
耳に届いたのはいつもの人を小馬鹿にしたようなものではなく、とても柔らかな声だった。
抱き締められた腕からラッセルの体温と鼓動が伝わってくる。ああ、ラッセルが帰ってきたのだと改めて実感したら、たちまち鼻腔の奥が痛くなった。
「……おかえり、ラッセル」
それは凄く、凄く、幸せな痛みだった。
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