第16話:広がる波紋


第五章


 生きて行くためなら何でもしてやる。


 他人の幸せなんて考えている余裕なんてない。そんなことを考えるぐらいなら、店先にある食べ物をどうやって盗むかを考えた方が、まだ効率的だと幼い頃からそんなことばかり考えていた。


 不幸になるのは他人のせいではない。ただ本人の生き方が下手なだけ。本当に幸せを手に入れたいのなら、敷かれた道なんておろか、自分の身分に見合う道を選び歩むことすら間違っている。


 そう、生きる道なんて自分で強引に作るものだ。邪魔になる人間は、蹴落とせばいい。そこまでしないと、『ここ』では生きていけない。


 あの日出会った少女も、生きるのが下手だった。他人のことばかり考えて、自分のことは全て後回しにして。

 だから、彼女は運命に負けたのだ。

 彼女は反面教師。あの日から毎日、そう自分に言い聞かせては、胸の内から湧く後悔と恐怖を誤魔化している。しかし、それもいつまで持つだろう。両手に持った天秤の皿の許容量は、そろそろ限界に近づいてきている。あと少し重みが足されれば、あっと言う間にひっくり返って壊れてしまう。


 勿論、そうなってしまうのは怖い。できれば避けたいと願っている。ただそれでも、その日が来た時には彼女が語った最期の言葉の意味が理解できるような、そんな気がした。




 執務室を出てすぐに歩き出すと、一瞬、目の前が白くなった。同時に頭がクラクラと回りだす。これは貧血特有の症状だ。


 ーーやっぱりあの薬、まだまだ改良が必要かな。


 貧血が治まるのを待ってから、ラッセルは再び歩き始めた。その足が向かう先はリュスカの部屋。勿論、素性が露見しないよう、外套を被っての移動だ。


「……あれ。今日は話し合いだと思ってたけど、ここいつから葬礼の会場になったの?」


 リュスカの部屋に辿り着いた途端、重たい空気に襲われたラッセルは思わず軽口をたたいてしまう。いつものリュスカならここですぐに「人の部屋を勝手に葬式会場にするな」なんて怒りをぶつけてくるが、今日はその兆候すらない。やはり先日の衝撃的な過去の告白が心に残っているのだろうか。ディーノは不安そうな顔でリュスカを見つめ、レイナルドもいつもみたいにリュスカを構えないでいる。


「ねぇ、リュスカってあんなに繊細だったっけ? 僕の記憶では例え国王相手でも裏拳で突っ込めるぐらいの鋼鉄の毛が生えた心臓の持ち主だったと思ったけど」


 三人に話しかけても無駄だと悟ったラッセルが、助けを求める形でアランに視線を向ける。


「そう……だな。鋼鉄の毛は硬いな」


 けれど、なぜかアランも同様で、心ここに在らずのまま可笑しなことを口走っていた。


「もう、皆してなんなの。こっちまで気持ちが暗くなるじゃない。気分が落ち込んでどうしようもないなら、話し合いは延期しようか?」


 ラッセルが溜息を吐いて、会議の延期を提案する。四人には厳しい言い方だと思ったが、漆黒の蝶は組織柄、中途半端なことはできない。それがゆの苦言だった。


「いや、そんなことはないぜ。俺は大丈夫だ、さっさと情報交換しようぜ」


 ラッセルが入れた渇に、リュスカがようやくわずかに浮上する。続けてレイナルドもディーノも顔を上げた。だがアランだけはいつまでたっても暗い顔のままだ。


「ねぇ、アラン。何か個人的な悩みでも抱えてる?」

「いや、それは……」


 尋ねると、アランはあからさまな狼狽を見せた。やはり、とラッセルは確信する。


「悩みがあるなら話してみたら? そんな風に一人で考えるよりは、余程効率的だと思う。それが嫌なら今日はもう帰りなよ。話し合いの邪魔になるから」


 自分が漆黒の蝶の障りになると言われハッと目を見開いたアランが、四人をぐるりと見渡す。そうして何かを覚悟した素振りを見せると、おもむろに首から小さいながらもサファイアが埋め込まれた雫型の金のペンダントを取り出した。

 形自体はさほど凝ったものではないものの、鎖も装飾部分もすべて金でできていて、すぐに高価なものだと分かる。



「これは……五年前に死んだ俺の恋人、コゼットと交した婚約の証だ」

「婚約っ? アラン、婚約者がいたのか?」


 リュスカが驚愕に目を大きく開いた。


「ああ。ただ……正式に認められたものではなかったがな」


 父にも母にも他の兄妹にも、誰一人としてコゼットのことは話していなかったとアランは話す。


「アラン、確か君の家は侯爵家だったね? いくら嫡男ではないからとはいえ、婚約者の存在を家の人間が知らないのは……」


 おかしな話だと、レイナルドが不思議そうな顔で問う。それもそうだ、貴族の婚姻は親に認められなければ決して成立しない。

 

「……話せなかったのです、レイナルド様。両親にも誰にも。コゼットは……混血だったから」

「混血っ?」


 これには全員、声を上げずにはいられなかった。


「彼女と出会ったのは今から七年前。騎士団の任務で参加した遠征に怪我を負い、隊とはぐれてしまったことがあったのですが、その俺を助けてくれたのがコゼットでした」


 七年前といえばアランは十五歳。まだ騎士団に入って間もない頃だろう。あの頃、まだレイナルドもアランもラッセルは同じ王城内にいたが、顔を合わせたことすらなかった。


「彼女は俺を見つけるなり、すぐに傷の手当てをしてくれました。それから少しの間、コゼットの隠れ家で怪我の回復を待っていたんですが……」

「その間に、恋が芽生えた?」


 冷静なラッセルの問いに、アランが頷く。


「一緒にいるうちにコゼットを愛するようになり、傷が癒えた頃には二人で将来を誓い合っていました。それから俺はコゼットを王国に連れ帰り、隠れながら一緒に暮らした。そして折を見てコゼットのことを親に告げようとしていた矢先――――彼女は突然失踪し、後日…………遺体で発見されたんです」


 辛い顔をしたアランが告げた瞬間、周囲の空気が一気に重たいものに変わった。


「コゼットは……誰かに殺されたの?」


 その時のアランの苦悩を想像し、深く聞き出せないでいる三人に代わってラッセルが問う。だがその声もわずかに強張っていた。


「分からない。当時、俺も必死に彼女の死の真相を調べたが、犯人はおろか手がかりすら掴めなかった。だが、先日のリュスカの話を聞いて、もしかしてコゼットも裏舞踏会に攫われていたんじゃないかと思えて……」

「なるほど、その可能性はあるね」


 五年前と混血。その二点だけでも、充分に裏舞踏会を疑う材料になる。

 レイナルドも同意して頷いた。


「確かに王国騎士団の副団長にまで昇り詰めたアランが手を回して調べてもいまだに真相が出てこないとなると、裏舞踏会にかかわった貴族たちの間で事実が隠蔽されたと考えてもおかしくないしね」


 裏舞踏会はマーグのように王国法廷まで欺く粗野な者たちの集まりだ、可能性があるどころか高いと言っても過言にはならないだろうとレイナルドは告げる。


「……実はレイナルド様からの誘いを受けて漆黒の蝶に入ったのも、貴族たちの裏側を探っていればいつか彼女の死の真相を突き止められるかもしれないと思ったからなんだ」


 自分一人だけの調査に限界を感じていた時にレイナルドから「貴族の不正を裏から正すために協力して欲しい」と誘われ、漆黒の蝶ならコゼットの無念を晴らせるかもしれないという希望を見出した。と、今まで秘めていた真実をすべて語ってからアランは皆に向かって、再び頭を下げる。


「組織への参加理由が、私情で申し訳ないと思ってる。だが俺は、どうしてもコゼットが死んだ理由を知りたいんだ」


 手に持つペンダントを苦しそうに、だがどこか愛おしそうに見つめて気持ちを訴えるアランに皆は何も言えない。


「彼女は心優しい人だった。自分も酷く辛い目に遭ってきたというのに、口にする言葉はいつも『私の兄弟たちがいつか日の下で笑って暮らせますように』と混血の同胞を思いやる言葉ばかりだった」


 そんな彼女が殺されなければならない理由なんてない。訴えるアランを見ていたリュスカが、納得するように頷く。


「そういう理由なら仕方ないと思うぜ。俺だってきっと同じことしてた」

「私も同じだ」

「僕もマリクが同じ目に遭ったら、同じことをしてた。ラッセルもそうだよね?」

「え……? あ、ああそうだね」


 一拍遅れて、ラッセルも同意する。


「俺は、裏舞踏会とコゼットの死が繋がっていると思っている。そしてコゼットの死を解明することが、彼女への手向けだとも。ですからレイナルド様、俺は今回――――」

「それじゃあ裏舞踏会の調査に加えてコゼットの死の真相を調べる。が次の具体的な行動でいいかな? ああ、勿論現状抱えてる問題も同時進行でね。少し大変かと思うけど、ここにいる皆なら大丈夫だよね?」


 アランの言葉を途中で遮って、レイナルドが皆に確認する。無論、リュスカとディーノからは、即断で了承の言葉が返された。


「レイナルド様……協力して下さるのですか?」


 アランのダークブラウンの瞳が、小さく揺れる。


「裏舞踏会については私のほうでも徹底的に調べるつもりだったからね。もしもコゼットの死が関係しているのなら、必ず調査上に浮上するだろう。それなら、力を合わせた方が効率的だと、アランもそう思わないかい?」


 決してアランが恐縮しないよう、言葉を選んでいるところがレイナルドらしい。


「……っ、ありがとうございます。リュスカも、ディーノも、ラッセルも……」


 アランが声を震わせながら一人ずつ目を合わせて礼を言う。最後に視線を合わせたラッセルは、口角を上げていつもの微笑みを返した。


「そうだね、君の大切な人の死の真相が……ちゃんと掴めるよう、僕も精一杯協力するよ」


 多分、無理なく笑えているはずだ。作り笑いだけは、誰にも見破られない自信はあるのだから。一人心の内で変な自信を自負しながら、ラッセルは笑う。


 その耳に、どこか遠くの方でパリン、と何かが割れるような音が届いたような気がした。

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