第10話:皇太子専属の狂騎士

 念入りに磨かれた大理石の床は、見上げるほど高い吹き抜けの天井窓から差し込む昼の日差しを浴びて宝石の表面のような光沢を見せていた。


 王城内の廊下というのは、とにかく広い。リュスカが五人乗っても落ちないぐらいの巨大な金のシャンデリアが等間隔に並べられても全く閉塞感を感じないぐらいに。


 壁も太陽光の効果を遮らないよう、同じ石が使われている。しかもこちらは全面に絶妙な横突が組み込まれているため、光が当たると壮大かつ立体的な一枚絵のように映った。


 昼間の王城廊下というものを見たことが一度もなかったリュスカは、ただただ呆気にとられることしかできなかった。どうしても視線が右へ左へと動いてしまう。


 だが、リュスカが挙動不審になってしまうのは、王城の豪華さのせいだけではない。


「ラッセル様。ご機嫌麗しゅうございます」

「これはフローネ様。今日も一段とお美しいですね。あまりの麗しい姿に、胸の鼓動が止まっるかと思いましたよ」

「まぁお上手ねーーーー」


 王城廊下を歩き出して半時。事あるごとに誰かしらに呼び止められるラッセルは今、七人目の相手を始めたところだ。


 ラッセルは、とにかくよく声をかけられる。男が寄ってきた時は適当にあしらっていたが、貴族の女性から呼び止められた時は必ず足を止め会話を交す。別段、会話することは悪いことだとは思わない。ただ勘弁して欲しいのは毎度女性から「ラッセル様、そちらの愛らしい女性とのご関係は?」と、嫉妬を全面に出した鋭い視線を向けられることだった。


 そう、今リュスカは女装をしている。無論、趣味などではない。マリクに会いに行くという立派な作戦のためだ。


 この作戦は数日前、ラッセルのもとへ極秘扱いで「頑なに食事を取らない囚人を診察し、薬を処方するように」という依頼が舞い込んだことから始まった。依頼を聞いてすぐにそれがマリクのことだと気づいたレイナルドがこの機会を利用しようと決め各自動き出したのだが、そこでラッセルの付き添いとして白羽の矢が立ったのがリュスカだった。


 レイナルドやアランのように王城内の人間に顔が知られていないリュスカが、ラッセルの助手に扮してともに潜入する。女装が必要だったのは、下働きの薬師には女性が多いからという理由だ。


 しかし、そこで問題になったのがリュスカの瞳の色だった。


 混血のリュスカの瞳は日中だと見た者が瞬時に気づくほど、左右の色の差が出てしまう。それをどう隠すかで頭を抱えていたのだが、その問題をあっさりと解決させたのは意外にもディーノだった。


 ディーノが使う術の中には人の目に錯覚を起こさせるものがあり、それを使えばリュスカの目の色を欺くことができるとのこと。


 解決方法が見つかれば、行動あるのみ――――ということで、今に至る。


 貴婦人の相手が終わり、やっと二人きりに戻ったところでリュスカはラッセルに話しかけた。


「まーまー、よくおモテになることで」

「何、眉間に思いっきり皺なんか寄せて。もしかして羨ましかったの?」

「違ぇよ、呆れてるんだ。何だよ、あの砂を吐きそうな台詞。お前、少しばっか顔がいいからって一々気取りすぎなんだよ。俺らの前と態度も口調も全然違うじゃないか」


 一人称は「僕」から「私」に変わっているし、相手によって声色まで変えている。女性には紳士的に、目上の者には猫が擦り寄るかのように。初めて見た時はあまりの違いに一瞬、隣にいるのが別人ではないかと思わず二度見してしまったほどだ。


「それにお前の制服、他の奴らと全然違うじゃん」

「そりゃ主席研究員と他の研究員じゃデザインは違って当然でしょう」

「そういう意味じゃない。着崩しすぎだって言いたいんだよ」


 先ほど、創薬研究所へ立ち寄った際に見かけた研究員たちは皆、白を基調とした制服を規定通りに着用していた。しかし他の模範にならなければいけないはずのこの男は、きっちりと留めなければいけない制服の襟を鎖骨のあたりまで大胆に開いた格好で平然と歩いているのだ。女性が使うような甘たるい香水までつけて。


「お前国家研究員だろ? レイナルドやアランみたいに規律正しくしてなくていいのかよ」


 ラッセルが属する王立創薬研究所は、国の医療技術開発や新薬開発を一手に任されている権威のある研究所だ。それゆえ働きたいと希望する者が殺到するほど多いのだが、採用されるのは超がつくほど難関とされる適性試験に合格したほんの一握りのみ。つまり国家研究員とは選びに選び抜かれた精鋭の集まりなのだ。


 だというのに、その頂点に立つのがこんな男だなんて。


 正直、王国の未来に不安を覚えると思ってもバチは当たらないだろう。


「別に、公式の場ではちゃんと締めてるからいいでしょう。文句だって言われてないし言わせないし。それにね、僕はこの格好が一番似合うの。せっかく見目麗しく生まれてきたんだから、自分が一番似合う格好をしないと、僕自身に失礼じゃない」


「ラッセルさ、一応自分が漆黒の蝶だって自覚あるか?」


 レイナルドはともかく、アランは自分が漆黒の蝶の一員だと露見しないよう普段から目立った行動は控えていると以前言っていた。それが普通の姿勢だと思っているリュスカには、ラッセルの行動が不可解で仕方がない。


「この僕が、探りを入れられた程度でむざむざと尻尾を掴ませると思う? 悪いけど、そんな間抜けじゃないよ」

「ケッ、あの甘ったるい台詞も計算の内ってやつかよ。それなら俺たちといる時でも甘ーい言葉を使ったらいかがですかねぇ」

「フフッ、リュスカもまだまだ子供だね」

「あ? 何だよ、俺はもうすぐ十六なんだから、子供扱いすんなって」

「そういうところも含めて、『子供』だって言うんだよ。あのね、大人には社交辞令と忍耐ってものが必須なの。特にこういった、魔物がうじゃうじゃいるところはね」

「はぁ? 何だよそれ。意味分からな―――」


 文句を吐こうとした時、突然、ラッセルが歩いているリュスカの前に立った。


「ラッセル?」

「黙って。――――悪いけど、今からどんなにムカついても、一切喋らないで。頷く程度ならいいけど、それ以上の反応はしないこと。あと顔もできるだけ下げたままで、ずっと床だけ見てて」


 今までとは打って変わった緊張感の宿った声で、ラッセルが矢継ぎ早に注意を促す。何があったのか気になって聞き返そうすると、少し離れた所から重たい足音と粘着性の帯びた声が聞こえてきた。


「お前が、人を連れているなんて珍しいな」


 あれ、この声どこかで聞いたことがある、と人影が近づく中でリュスカは勘づいた。が、ラッセルに言われたとおり下を向いているため、相手を確認することができない。


「これはこれはシード様。貴方様こそ、こんな日が高いうちから出歩かれているなんて珍しいですね。いつも夜に耽られてばかりだと思っていましたが」


 シード。名を聞いた瞬間、リュスカの中で記憶が繋がった。そうだ、アーガトンの部屋に偵察へ行った時、リュスカに向かって剣を投げつけたあの男の名が確かシードだった。


 あの時の男が、どんな人間だったのか気になったリュスカは気づかれない程度顔を上げ、シードの顔をそっと覗き込む。


 騎士の正装である重厚な甲冑を纏ったシードは、アランよりも遙かに背が高い。腕や胸板は逞しく鍛え上げられていて、これほど筋骨隆々という言葉が合う人間はいないだろうと思えるほどだった。


 鋭く光る目は髪と同じ赤褐色。相手を馬鹿にしたような薄ら笑いと合わせると、まるで今から獲物を狩ろうとする狼を連想させた。


「夜は人の形をした狂花が咲き乱れる。色に狂った花に、嫉妬に狂った花……。妬み、敵意、殺意に支配された花弁は仮面を被った造花など足下にも及ばないほど美しいぞ?」

「それではお望みとおり、夜の花のもとへお戻りになられてはいかがでしょう?」


 ラッセルの口調は先程と同じ外向けのものだが、その声は些か硬く冷たい。


「お前が狂花の代わりに愉しませてくれるというなら、日の下に留まってやってもいいが?」

「お戯れを。私のような一介の研究者に、シード様を愉しませる術などございません。申し訳ありませんが、他を当たって下さい」


 シードの太く骨張った指がラッセルの顔に触れようとした直前、ラッセルはやんわりと、そして確固たる拒絶を見せてその手を退けた。


 動きは丁重だが、確実に棘があるように思えたのはきっとリュスカだけではない。


「それでは、私は忙しいので失礼します」


 ラッセルが頭を下げて歩きだそうとしたため、リュスカもそれに続こうとする。その次の瞬間、リュスカの前に一筋の閃光が走った。


 強すぎる光に目を閉じたリュスカがゆっくりと瞼を開く。すると目の前には喉元に剣先を突きつけられたラッセルの姿があった。


 場が一気に、強い緊張感に包まれる。


「っ!」


 こんな場所で剣を抜いたことにも驚かされたが、それ以上にリュスカにはシードが剣を抜いた瞬間はおろか、柄に手をかけたところも見えなかった。なのにシードの剣先はラッセルの首筋と制服の襟元の間を見事に捕えている。


「……私が何か気に障ることでもいたしましたか?」

「いや。白い首には赤が合うだろうと思ったら、思わず剣が騒いだだけだ。あと――――」


 シードが不適に笑う。


「混ざり物の匂いが、鼻についたんでな」


 ラッセルの首元から引いた剣を降ろす間際、剣先がリュスカの前で僅かに止まった。


 混ざり物という言葉で、即座に頭に浮かんだのは混血という文字だった。まさか、シードはリュスカが混血だということに気づいたのだろうか。前の一件からシードに人並み以上の嗅覚があることを知るリュスカは、内心冷たいものを感じた。


「じゃあな。俺と遊びたくなったら、来い」


 しかしそれ以上追及する気がないのか、シードはニヤリと笑っただけですぐに剣を鞘に収めると、何もなかったかのように二人の横を通り過ぎて行ってしまった。


「……大丈夫だった?」


 シードの姿が見えなくなるまで見送った後、警戒を解いたラッセルが「まったく、こんな時に出会すなんて」と苛立ちながらこちらを振り向く。


「あ、ああ……でも、アイツは?」

「皇太子専属の騎士様だよ。別名、戦場の狂戦士。剣の腕だけで庶民から貴族の養子にまで登り詰めた実力の持ち主。だけど本人は騎士の風上に置けないくらいの蛮行者かつ、偏執狂だって有名」

「いいのか、そんな奴にあんな冷たい口の利き方して」

「いくら皇太子付きの騎士とはいえ、主席研究員を手にかけるには正当な理由が必要だから、僕が下手を打たない限りは大丈夫だよ」


 ラッセルの様子を見る限り、シードとは何度も今回のような遣り取りをしているようだ。


「なぁ、アイツって、もしかして俺が混血だって気づいたんじゃないか?」

「……それは絶対にないから安心していいよ。あの男の頭には血と戦いと色事にしかないからね。僕に突っかかって来るのも、大方自分が気に入った娘が僕に熱を上げたとかいう理由でしょ。まったく、こっちとしては迷惑極まりない」


 今思い出しても腹が立つ、とラッセルは憤りを露わにする。だがすぐに冷静さを取り戻して、クスっと柔らかく笑った。


「だから余計な心配なんかしてないで、今は目の前の目的だけ考えて」


 強い不安に駆られている自分を、慰めてくれているのだろうか。気を遣わせて悪かったと謝ろうとした途端。


「じゃなきゃ、君が女装した意味ないでしょ」

「一言多いわ!」


 謝らなくてよかったと、つくづく思ったリュスカだった。

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