第4話:泣き虫の魔族


 ――大切な人を送り出すということが、こんなにも辛いことだとは思わなかった。


 きっと、向こうもこちらの気持ちに気づいている。それでも何も言って来ないのは彼の決意であり、優しさなのだ。


「貴方様もお身体に気をつけて。夜はちゃんと布団を肩までかけて寝て下さいね」

「大丈夫だよ。もう子供じゃないんだから」


 今からこの国を出る藍色の目をした青年は旅人用の軽装に身を包まれ、その上にゆったりとした外套を纏っている。その背中には緩やかな曲線を描いた弓と、十本ほどの矢が収められた矢筒。いつもなら「格好いいね」と言ってあげられるのだが、今日は一本の矢ですら疎ましく思えた。


「では、行ってきます」


 藍色の青年はにっこり笑うと、そのまま馬に跨がり旅立ってしまった。

 見送った青年はその背を見つめながら、必死に天に祈った。


 ――精霊よ、どうか彼をお守り下さい。そして一日も早く彼を自分のもとへ帰してください。

 

 しかしその祈りも虚しく、半月後、藍色の青年の帰還を待つ青年の下に届いたのは、血に染まった弓と、待ち人の消息が途絶えたという絶望的な便りだった。




 今日は、何だか変わった風が吹いているような気がする。澄みきった夜の匂いに混ざる何となく懐かしい香りに誘われるように、リュスカは王国の外にある森を歩いた。


 空を見上げれば、高い位置まで月が昇りきっている。

 きっと今頃、町の人たちは早い朝に備えて眠っている頃だろう。アランもラッセルも各自の仕事や漆黒の蝶としての任務がない時は、それぞれの部屋で休んでいる。レイナルドに限っては用事がなくても「リュスカに会いにきた」と言っては度々尋ねてくるので、顔を合わせない日の方が少ないのだが、今夜は明日早くに王国法廷に出頭したマーグの処遇が決まるとのことで王城の自室で過ごすそうだ。


 久々に一人になれたリュスカは、自由な時間を満喫すべく城内にある湖にでも向かおうとしていた。

 レイストリック王国は巨大な都で、城壁に囲まれた街の中には森や湖などの自然の風景がたくんさんある。街の雑踏や活気のある人の声も賑やかで好きだが、リュスカは鳥や虫、水が流れる音を静かに楽しむことができる森で静かに過ごすことも大好きで、暇を見つけてはこうして足を向けるようにしている。


 ――今の季節なら木の実もありそうだな。


 今夜は腹を膨らませるためのおやつにも困らなさそうだ。

 リュスカは鼻歌を歌いながら目的の場所への道に足を進める。

 その時だった。


「ん?」


 二十メートルほど前方から慌ただしい足音が近づいてくる。

 音の響きからみて複数だろう。


「ったく、こんな夜中に何だよ」


 道沿いを歩いていたリュスカは文句を言いながら、脇道にある大木に足をかける。そしてそのまま造作もなく木の上へと登った。

 足音から察するに、誰かが複数の人間に追いかけられているようだ。

 気配を悟られないよう息を潜めながら状況を観察する。すると数秒後、暗闇の中から大きくて黒い物体が飛び出してきた。


 大きな身体の男だった。くすんだ茶の外套で全身を覆っているため、どんな顔をしているのか分からなかったが、とにかく長身であることだけはわかる。


「そこの男、止まれっ!」


 大きな男を二人の警備兵が追っていた。足の速さは若干男の方が遅い。これではあと数秒も立たないうちに大きな男は捕まってしまうだろう。様子を窺いつつ予想した瞬間。


「うわぁぁぁっ」


 大きな男が自分の着ていた外套の裾を踏んで、盛大に転んだ。それはもう見事なまでの前転っぷりだった。


「よし、捕まえたぞっ。貴様、こんな時間に王城へ侵入して、何をするつもりだった!」


 警備兵らが両脇から男を拘束する。どうやらあの男は王城へ忍び込もうとしたらしい。

 王城にレイナルドとラッセルがいることを考えると無関係と思えず状況を見つめていると、男の外套を剥ぎ取った警備兵が驚愕の声を上げた。


「う、うわっ、コイツ……魔族だっ!」


 警備兵たちが一斉に男と距離を取り、帯刀していた剣を抜く。


――魔族だって?


 あの大男が魔族。

 木の上で見ていたリュスカもその事実に驚きを隠せなかった。


 アウグール大陸にはレイストリック以外にもう一つ大きな国がある。それが魔族の国・ライウェン王国で、聞く話によるとライウェンはレイストリック建国よりもずっと以前から存在している国だと言われている。

 西と東に分かれている両国には外交関係どころか一切の交流がない。理由は魔族側が種族保存主義の精神が強いため外界との接触を断っているからということになっているが、実はレイストリック側にも少々目を背けたい理由があった。


 それが三百年に前に起こった人魔戦争だ。当時、魔族を隷属させようと試みた当代のレイストリック王がライウェンへ侵攻を計ったものの、光・闇・火・水・地・風という六大精霊の守護を受ける魔族に完膚なきまで反撃され、屈してしまった。以来、レイストリックは「魔族が使用する魔術は危険である」と大義名分的な理由を掲げ、魔族との交流および入国を禁止するようになった。


 つまり今、この国に魔族の者が足を踏み入れるなんてできない。そのはずなのだが。


 

「ま、待って、僕、ここに悪さをしにきたんじゃないんです。大切な人を探していて……」


 外套を剥ぎ取られて顔を露わにした男が、顔を上げて弱々しく訴える。と新月の夜空よりも深い黒をした長い髪がふわりと揺れ、前髪の間から紫水晶のような瞳がチラリと覗いた。

 紫色の瞳は、魔族の間でしか生まれない色だ。


「うるさいっ! 魔族の言うことなんて信用できるか!」


 口では怒りを露わにしつつも、剣を握る警備兵の手は大きく震えている。おそらく内心、いつ得体の知れない術を使うか分からない状況に恐怖を抱いているのだろう。

 だがそれも仕方のない話だ。武器を振うことしか攻撃手段を持たない普通の人間なんて魔術の前では幼子同然。向こうが炎の術でも使えば、あの警備兵たちは一瞬で丸焦げになって終わりなのだから。


「我が王国に足を踏み入れた時点で、即死罪だ!」


 警備兵の一人が叫びながら剣を振り上げる。


「いや、い、痛いのは嫌だぁ!」


 剣を怖がって両腕で頭を覆った男が情けなく叫んだ。その瞬間、男の身体の周囲が赤く光り出し、地面に幾何学模様の陣を描く。


 ――これってもしかして術の発動?


 こんな場所で下手な術を使われたら、街に被害が出る可能性がある。危惧したリュスカが声をかけ止めに入ろうとしたが、叫ぶ間に陣の模様から火が噴き出してしまった。


「ひぃっ!」


 何もない地面から突然噴き上げた炎に、警備兵たちは大声を上げると一目散に仲間がいる大階段のほうへと逃げていってしまった。多分、でなくても仲間を呼びに行ったのだと思うが、


 ――逃げるなんて、王国の警備兵が情けない……。



 あんな腰抜けに街の治安を任せているのだと思うと、これから先のことが心配で堪らなくなった。これはレイナルドに言って兵の剣術と度胸を強化して貰わなければ。そんなことを思いながらその場に残された大男に視線をやると、ちょうど術で発動した炎が沈静化していくところだった。

 周囲は燃えやすい木々ばかりだったので飛び火しないか危惧していたが、見る限りその心配はなさそうだ。

 

 今まで炎に照らされて明るくなっていた夜道が、再び静寂を取り戻す。と、次に聞こえてきたのは、思わず二度見してしまうぐらい低い泣き声だった。


「ま、また……やっちゃったう……ううっ……ふ、ふえぇーーん」


 ちょっと待て、とリュスカは思わず固まった。

 この、街外れにある女装酒場で働いている筋肉質の女性店員が客の男に振られた際に響かせるような超低音の泣き声は、もしかしてでもなく、まさか。

 さっきまで石の上に描かれていた赤色の魔方陣の中央あたりに、いまだ座り込んでいる大男に顔を向ける。


 ――やっぱり。


 子どものように大泣きしていたのは、あの大男だった。

 リュスカからしてみれば羨ましいぐらい立派な体格をしている魔族の男が、フルフルと双肩を震わせながら大泣きしている。あまりにも常軌を逸した状況を目の前にして、リュスカはどうしたらいいか分からなかった。

 相手は魔族だ。下手に刺激してさっきみたいな術を使われたら大怪我を負うかもしれない。

 最善なのは、このまま放置して場を去るという選択だ。


 しかし。


 ――でもなぁ、なんか放って置けないんだよな……。


 なぜだろう、あの男を放って帰るという決断がリュスカにはできなかった。

 真っ暗な夜道にたった一人。しかもこのままでは応援に呼ばれた警備兵がぞろぞろと現われ、今度こそ彼は捕えられてしまう。そうなれば問答無用に牢へと入れられ、最悪死罪を言い渡されることになる。

 それに、男の話しぶりからするに王国内に入ったのには何か深い理由がありそうだ。


「仕方ねぇなっ」


 いくら魔族とはいえ言い訳も聞いて貰えずに捕縛は少しばかり可哀想だ。

 リュスカは足場にしていた木の枝を蹴り、ふわりと飛び降りると足早に男の下へと駆け寄った。


「おい、お前!」

「ふ、ふぇ?」


 ご丁寧に両膝を抱えて縮こまってしまった男の肩を掴み、強引に顔を上げさせる。

 その時、ふわふわの癖毛の間から覗いたのは、思わず見惚れるほど引きこまれる深い紫だった。遠目から見ても宝石のように美しかった男の瞳は近くで見るとより透明度が増し、神秘的にすら感じる。


 容貌は気弱そうな性格を表すかのように少し目尻が垂れた頼りないものだったが、頬は綺麗な輪郭を形取り、鼻筋もしっかり通っている。言ってしまえば男女関係なく人を虜にする美丈夫の域に入る顔の作りだ。

それがゆえに、この振る舞いは色々と残念な気もするが。


「ふぇ、じゃねぇよ。ほら、立て!」

「な、何? 何で?」

「こんなところで大泣きしてたら、誰かに気づかれるだろ。そうじゃなくてもさっきの警備兵が仲間連れて戻ってくる可能性が高いっていうのに、お前捕まりたいのか?」


 さっきの警備兵という単語に、男がビクッと双肩を震わす。


「それは嫌っ」

「嫌なら、さっさと立つ!」

「……ひっく……う……ん。分かった」

「のんびるするな! いくぞ!」

「あ、うんっ!」


 涙を飲み込み立ち上がった男とともに駆け出すと、リュスカは人に出会わずに部屋へと戻れる最短ルートを頭に浮かべながら懸命に獣道を走った。






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