第5話(簡単な修行)

 聖国を出て、私達は交易国家トーレディアと聖国サントクリスを結ぶ唯一の街道を歩いている途中。お城では色々あったけど、今は順調に進んでいる。

 天気は良く、時々吹く風が気持ちいい。

 これからどうなるのか分からない不安がある。方法も時間も可能性も限られた。まるで時間を遡っているような感覚がする。つい先日この道を通って、聖国を目指した。何か変化があったのかと言われると何もない。分かったのは、突きつけられた現実と頼りない専門家が二人追加されたこと。とにかく今は考えるのを止めよう。考えれば考えるほど、自分が分からなくなってしまう。ただ、歩くことだけを考えた。


 こつこつと歩いた。ただ何も考えず歩いた。歩き続けた。

「……エ」

 歩き続けた。

「ローエ!」

 はっとなってモルテさんの顔がすぐ近くにある。

「大丈夫か?」

「大丈夫です」

 モルテさんは心配そうな顔をして離れ。

「ローエ、今日はこの辺で進むのをやめよう」

 モルテさんは唐突に足を止めて荷物を下ろした。どのくらい歩いたのか正確な距離は分からない。空を見上げると、だいぶ日が傾いていた。休憩した覚えはないので、これが最初の休憩といえば休憩だ。

 モルテさんは地図を広げて、現在の位置を確認して私に教えてくれた。

「地図上で言えば、ここだ」

「まだ明るいですし、もう少し進みましょうよ」

「分かった。いいだろう。だが、次は俺のいうことを聞いてもらうぞ」

 そう言われると、最初に言う事を聞いていた方が、後々私の主張を通しやすい気がした。少しせこい私はモルテさんの主張を受け入れる。

「じゃあ、今言うこと聞きます」

「賢い選択だ」

 そう言って、プリエちゃんは一人ごそごそと林の中を散策し始めた。

「一人で行かせて大丈夫なのですか?」

 あんな小さい子が一人で、しかも凶暴な魔獣も現れる危険な林に行かせるなんて普通じゃない。モルテさんは冒険者ギルドの教官なのでそんな勝手を許さないはずだ。それを何も注意しないと言うのは何か保証があるのだろうか。不思議だ。

「大丈夫だ。地上であいつを倒せる奴はそうそういないし、距離があっても俺達は互いを認識できる。何かあればすぐ向かうよ」

 そう言って、荷物を広げて、モルテさんは着々と野営の準備をする。

 ものの数分で、三人分のテントを作り、焚き火の準備までした。流石に手慣れている、と言うより手慣れ過ぎて謎である。


「よし、じゃあ練習する前に一応確認するぞ。魔術の位階は全部でいくつだ?」

「十個です」

「だよな、安心した。前に聞いた奴は五とか言われて焦った」

「その人はきっと勉強不足ですね」

「だと良いんだがな」

 先人が作った現代魔術の数は十種類。五までが体内の魔素を使い、六からは体外の魔素を使う。位階の詳細を全部は覚えてはいないけど、大まかには理解している。五までは普通の魔術だ。飛び抜けて凄い性能を発揮するわけじゃない。一つ一つは平凡で、普通に使えば普通の魔術にしかならない。そのため魔術の変換効率が高くないと物体や空間に大きく干渉する魔術を扱うことが出来ない。強い魔術を放つために技術と呼ばれるような細かい技術は存在せず、ただ力任せに魔素をぶん回せば、魔術が発動する。

 だけど、六以降の魔術は特別だ。私が見たので数回。五までとは比べ物にならない、魔術の効果が存在する。強化をすれば、いともたやすく魔獣の肉を引きちぎり、魔術を使えば国が吹き飛ぶ。距離を問わず対象に直接被害を与える魔術を出現させ、時には他の人が使った魔術を制御することまで出来る。それだけ、外の魔素を使えるというのは、魔術師にとって大きな恩恵をもたらす。一人だけの魔素では実現できなくとも、世界の魔素を使えば実現できてしまう。それは、魔術の変換効率という次元の話ではない。力任せに外の魔素は操れない。いかに上手く魔素を操れるか、制御できるか、という技術的な部分が必要になる。

 魔術師が目指す到達点。即ち、魔術で一つの法則を確立させること。魔法を完成させることが魔術師に課せられた使命である。魔術都市で魔術を学ぶ魔術師は日々、魔術の研究を行っている。古い伝記によると、この一から十までの魔術は魔法によって確立されたという説が存在するくらい、太古の昔から魔術は存在する。

 六以降の魔術は、魔術で現象を発生させると言うよりは、魔術で法則を操っている側面が強い。そんな六以降の魔術を使える魔術師は偉大な魔法に近い存在と言える。そんな魔術師は偉大な魔術師の仲間入りだ。もちろん、自身で使えればの話だけど……。

「ローエは魔術をいくつまで使える?」

「五まで使えます」

「最近は魔術都市で六以降の魔術は教えてくれないのか?」

 モルテさんは不思議そうに私に質問をした。

「最近はと言うより、割と昔からそうだったと思います」

「あれ、そうなの?」

「はい」

「変だな。昔はちらほら使える人いたような気もすけど」

「そうなんですか? そもそも魔術都市としては、自分でやることを推奨してないです」

「ん? どういうことだ?」

 何かモルテさんと食い違いが発生した。

「六以降の魔術を使うには薬を使うことが推奨されているからです」

 体外の魔素を操る方法として、実用されたのが薬を使うこと。多少リスクはあるけど、一番簡単に外にある魔素を操ることが出来る。というより、基本薬を使う手段しか魔術都市でも広く浸透していない。その方法以外、魔術都市の先生たちも知らないという大きな課題が存在する。

「え、薬? まじ?」

「まじです」

「……」

「……」

「……」

 私とモルテさんは暫く見つめあった。そんな趣味はないのでモルテさんに尋ねた。

「あの、どうしましたか?」

「あまりのショックで言葉を失っていた。時代はそんなに進んでいるのか」

 凄い衝撃だったのだろう。そういうモルテさんは一瞬固まっていた。

「モルテさんが知らないのはなんか意外ですね」

「情けないがすまん。わりと最近の急速な変化についていくのがやっとだ。魔道具だけっか? 便利なのは知っているんだけど、機能が複雑で仕組みがいまだに覚えられん。本当は……」

 こほんとモルテさんは咳払いをして、落ち着きを取り戻す。モルテさんは魔道具に関して色々思うことがあるらしい。今度、使い方を教えてあげよう。

「すまん話が逸れた。話を戻すけど五以降の魔術について魔術都市は認めているのか?」

「自分の力で再現した魔術はもちろん認められます。一応、薬を利用した魔術は正式に使用できる魔術の位階に含まれません。ですが、早くて三年後には魔術都市の制度が変わって正式に認められるようになるそうですよ」

「本当か?」

「はい」

「冒険も変わったと思った矢先、魔術にも変化が起きてるとは……」

「それでどうして魔術の位階について確認したのですか?」

「勇者の魔術を使うには、魔術の位階を十まで使えることが目安だからだ」

「薬を利用するのはありですか?」

「前例がない。それと正確なことは言えないが、難しいと思う。──いや、だからあの時、失敗したのか」

「失敗? 何の話ですか?」

「気にするなこっちの話だ」

「いいですけど、魔術都市の先生ですらその先を目指すのは少ないですよ。最近はむしろ薬の開発の方が進んでいる現状です。真面目に魔術に精進している人の方が僅かだと思います」

「そうなのか、俺はその薬以外の方法を知っている。まずはそこから始めるか」

 薬以外の方法はあった。

「お願いします」

「体内の魔素と外の魔素をつなげる鍵は錬素だ。錬素については詳しく知っているか?」

「私の知っている範囲で、魔術を使うもしくは、息を吐き出した時に錬素が吐き出されると言うのは専門書で読んだことがあります」

「あっている。体の中に門が閉じているとそういう現象が起こる。門が開いていたら別だ」

「門ですか?」

「ああ。これに固有の名前がついているのか、俺もよくは知らない。なんって言っても独学で学んだって言うのが大きい。後から名前を教えてもらったが忘れた。ゲートって言った気がするけど、俺は慣れ親しんだ門と呼ぶ方がしっくりくる」

 ゲート? 私も魔術都市では聞いたことも読んだこともない。私もとりあえず門と呼ぶこととした。

「その門が開いているとどうなるのですか?」

「魔素が吐き出され、錬素が蓄積される」

「それは……」

 ありえない。そう呟こうとして途中で止めた。普通、体の代謝を意識的に変えることは不可能だとされている。薬も同じ原理だろうけど、意識的に出来ないから、先人は薬を使って体をいじくったんだと思う。そんな方法があるならどうして途絶えてしまったのか不思議なくらいだ。

「俺は門を開いて魔素を体に纏っていた訳だ。これが出来るようになると、薬も使わず六以上も使えると思う」

「確証はないのですか?」

「恥ずかしい話。俺は魔術が使えないから、使えるとは保証できない。あくまでも、自分の魔素を体外に放出して操れるってだけだ。俺はここまでしか出来ない」

「そうなんですね。後は自分で」

「すまんが、そうなる。大半は自主練って感じだな」

「やり方はどうやってやるんですか?」

「自分の体験を言語化できるほど、俺は優秀じゃない。直接教えても良ければ、手ほどきは出来ると思う」

「分かりました」

 薬を使わずにこの魔素の壁を越えられるなら安いものだ。勇者になるならない以前に絶対自分のモノにしてやる。

「そしたら、手を出してくれ」

「両手ですか?」

「片方で良い」

 そう言われて私は右手を差し出した。

「ローエの閉じている門を一時的に開く。開ける感覚を覚えて欲しい。認識できれば、自然に開けられるようになる。個人差はあるが大抵一日で出来るはずだ。それと、門を開いている間、吐き気、痛み、酔いが襲って来る。そういう兆候が出たら、続けるのを止めるから無理せず早く教えてくれ」

「大丈夫です。やってください」

「分かった。じゃあ、開くぞ」

 そうモルテさんが言った途端、体の中の扉が開いた気がした。呼吸をする度に私に中に何かわからない物が溜まっていく。

「うぐ……」

「まだ全部開けてない。もう少しだけ我慢しろ」

 強烈な吐き気と痛み。

 例えるなら、満腹の状態で口の中に無理矢理食べ物を詰め込まれた状態に似ている。呼吸は苦しく、全身に激しい痛みを感じる。体の意思を支配する不快な感覚を我慢するのは難しい。私はすぐに根を上げた。

「今、全部開けた」

「出そうです……」

「分かった離すぞ」

「はあ……はあ……」

 息を整える。気持ち悪さや体の痛みは次第に引いていく。

「錬素が溜まって行く気分はどうだ?」

「最悪です」

 大いなる力には大いなる代償が払われる。そんなことを唐突に思い出し、現実は甘くないと実感する。強くなるのも楽じゃない。でも、これで私の魔術も一歩前進する。今は我慢だ。

 ぜえぜえ息を切らながら呼吸を整える。

「人の体には毒だからな。吐き出そうとするのが正常な体の証拠だ」

「何か苦痛を和らげる助言とか欲しいです。苦痛と気持ち悪さで維持どころの話じゃないです」

「単純な話、慣れるのが手っ取り早い。だが言うのは容易く、行うのは難し」

 そんな無茶なと心で本音を言う。

「」

「我が儘だな。わかった。二つほどやれることはある。一つは錬素を吐き出す。もう一つは錬素だけを消費する錬術がある。俺のお勧めは錬素を吐き出すことだな。錬術は俺が教えられないから違う人に当たってくれ」

「吐き出してもいいのですか?」

「ああ、吐き出していいが、全部は駄目だぞ。ここで重要なのは、自分の魔素を外に放出することだけだ。早く門の開け閉めを精密にできるといいな」

「というと?」

「自分で開け閉めを制御できるようになると、それだけでも多少苦痛を和らげられる」

「勇者までの道は長そうですね」

「壁は分厚いかもしれないが、そう遠くはない。それじゃあ、門の開け閉めを練習しよう。さあ手を出して」

「え!?」

 それだけは勘弁。せっかく落ち着いてきたのに、モルテさんは教育方針は詰め込み式。勇者になるために休んでいる暇はない、私は渋々手を出した。モルテさんは意地悪そうに笑い、再び私の体をいじくり始める。

 胸がもやもやして、胃の中のものが逆流してくる。例のブツはもう喉元にまで到達している。私は臆せず口を開いた。

「うげえー」

 二回目は耐えられず盛大に錬素を吐き出してこの日の修行は終わった。コツは覚えた門の開き方、閉め方はなんとなく分かった。体の中の魔素を使って、門に通じる臓器があった。肺だ。その肺の奥底にある異次元にでも繋がっているのではないのだろうか。口では説明できない正しく謎の感覚が一瞬、その後に吐き気と痛みが胸を中心に体に全身に広がっていく。なんとなくコツは分かった。あとは実践するのみ。

「なんとなく、コツは分かりました」

「飲み込みが早いな。いろんな奴に教えてきたが、二回で覚えたのはローエが初めてだ。最速記録更新。優秀な魔術師になるのは保証されたな」

 謎の記録更新はどうでもいい。モルテさんはこの技を他の人にもおしえているのうが謎だ。なんで広まらないのか不思議でならない。

 そんなことより早速、試してみよう。

「気絶しても安心しろ」

 そう簡単に、気絶しませんよ。早速私は門を開く。

「うげえー」

 盛大に吐き出した。

 やばい、呼吸もできない。早く閉じなきゃと焦ると、門がうまく操作できない。ほんと冗談抜きでこれやばいやつだ。

 私の意識は次第に、黒くなり掠れていく。

 そんな掠れて行く意識の中で、モルテさんは、腕を組み笑いを必死に堪えていた。

 やはりあの噂は本当だった。疫病神。これが私にとって一回目のわざわい。いつか必ず仕返しする。魔道具の説明については撤回だ。いやらしく教えてやる。覚えておけ。そう、思いながら私の視界は黒く染まった。

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