第9話(運命の歯車)

 久しぶりの休息にローエの体調は優れていた。モルテとの修行以外に、門の開け閉めをしたことにより、モルテも目を見張るほどの上達具合を見せた。モルテがローエにかける修行の時間は日に日に数を減らし、自由な時間が増えた。モルテとローエの修行は、朝にどれくらい門の制御が出来るようになったかを確認するだけの簡素な形に落ち着く。

 道中、モルテはローエが常に門の制御をしていることには気づいていたが、直接本人には何も言わなかった。

 三人は既に交易国家トレーディアの領地に入っている。ローエの強い希望もあって、モルテが折れる形でトレーディア本国には向かわず。そのままローエの実家に向かった。

「ここの道。私知っています」

「そうか。じゃあ悪いが案内を頼む。ここから遠いのか?」

「一日はかからないと思います」

「そうか」

「ちょっと急いでも良いでしょうか?」

「まあ、かまわない」

 プリエはコクリと頷くだけで、全員の意見が一致した。人が通ったと分かる草が踏まれた道と呼べないような道を進んでいく。三人は休憩を取ることなくただひたすら歩き続けた。そうして歩いていくと、少し開けた場所に出る。ぽつりと森の中に一軒だけ、家があった。


「ここが私の実家です」

 三人は庭の門を通過してまっすぐ進んだ。

「聖国の一等地と比較しても遜色はないな」

「まあ」

 モルテとプリエの目の前には田舎の景色とは釣り合わない白い屋敷があった。モルテは一言感想を、プリエは口を大きく開けて目の前の屋敷に圧倒されている。

「ここの辺境伯です。トレーディアが建国されたときにあった旧家ということもあって、何代もこの地を守ってきました。どうぞ、こちらです」

 ローエが鍵を開けて三人は屋敷の中に入っていった。

「父様、母様、いらっしゃいますか?」

 外の明かりに照らされた室内には十分な明かりがあった。それにも関わらず雰囲気は何処か薄暗い。

「その声はローエか」

 渋い男性の声がローエの挨拶に返事をした。見た目は四十台だろうか。顔にはまだ若さを感じさせる肌の張りがある。広間の階段から優雅に男性が降りてきた。寝不足からなのか、目には酷いクマが付いている。

「父様。ただいま。お久しぶりです」

「おかえり。久しぶりだね。少し大人の顔になった」

 二人のする会話は本当に久しぶりなのだろう。親子の間に少し独別な距離を感じる。

「母様はどちらに?」

「少し体調を崩して、自室で休んでいるよ。ところで、ローエ。こちらのお客様は?」

「紹介が遅れました。こちらはですね、冒険者ギルドで教官をしているモルテさんとその付き人のプリエさんです」

「こんにちは」

 とモルテは返事をして、プリエはこくりと首だけを縦に動かした。

「説明すると色々あるのですが、弟の件で力を貸してもらっています」

「そうか、立ち話もなんだ。そちらのモルテさんにも今の状況を説明したい。お二人ともこちらの奥へ」


 そう言ってローエの父は三人を奥の待合室へ案内した。三人が案内された部屋はテーブルと三人がけのソファー二つが置かれた簡素な部屋だった。ドアの向かい側には十時の格子で囲われた鍵付きの窓が取り付けられている。入り口の奥にローエの父が座り、三人はテーブルを挟んだ向かい側のソファーに座った。

「ローエさん、プリエさん。あらためまして、私はオーラン・フェルゴメド。トレーディアの君主の名命により、この辺境の地一帯を管理や整備をしている。早速本題に入りましょう」

 特に自己紹介をするまもなく、オーランは話を進めた。よほど時間が惜しいのか、オーランの表情に余裕はなくとても深刻な状況に見える。

「御子息のことですね」

 既にローエから話を聞いているモルテは躊躇せずその名を出した。

「その通りです」

「状況は?」

「私の妻と息子自身が協力して、私たちが管理する倉庫に封印をしています。封印をしてなお息子の症状は悪化している状況です。妻は現役を退いたとはいえ、かつては第一線で活躍した治癒の魔術師だったのですが、妻でさえ治癒することはできませんでした。妻の知り合いの魔術師や沢山の薬品を試してみてもこれも効果がありません」

「……」

 ローエは口を閉し、沈黙をした。

「封印はどうでしょうか?」

「ギリギリ持ち堪えております。妻が夜な夜な封印をかけ直しておりましたが、それも今日、限界を迎えました」

 ローエの母は封印のかけ直しによって疲労の限界を超えたことで寝込んでいる状況をこの場の全員が説明をしなくとも理解をした。専門外の魔術とはいえ、第一戦で活躍していた魔術師がそう簡単に倒れることはないだろう。現役を退いたとはいえ一流の魔術師だ。この世界の例えで一流の魔術師は、戦場で半年以上継続して戦い続けることが出来るとさえ言われている。そんな魔術師でも手の余る永遠病は厄介極まりない。ましてや、モルテやプリエのような永遠病に関する専門知識のない人達にとって、永遠病は未知で不確かな病。永遠で終わりの見えない道のりは関わる人たちに苦痛と不安を植え付ける。

「病気の名前はご存知ですか?」

「娘から永遠病だと。病の詳細はある程度知っています。それで息子は治るのでしょうか?」

「先に真実を述べなければなりません。覚悟はよろしいですか?」

「私共も何となくは分かっています。お二方がわざわざこんな辺境の地に来た意味を考えれば察せます。覚悟はできています」

「分かりました。永遠病は治りません」

 それを聞いてオーランは、安らかに息を吐いた。果てしない道のりの終わりを知るかのように安堵する。

「やはりそうでしたか。あとはお任せしてもよろしいでしょうか?」

「はい、責任を持って埋葬いたします」

「分かりました。よろしくお願いいたします」

 そう言って、オーランは目に涙をためて震えながらに言った。モルテはその想いが伝わったのか、無言で深々と頭を下げた。まるで、オーランに許しを請うようにして。

「……して」

「ローエどうした」

 優しくオーランが尋ね返す。

「どうして、皆んな……」

 ローエはその場に勢いよく立ち上がった。受け入れられなかった。すんなり弟の死を受け入れたオーランに、そして最初に会った時と同じく弟を殺すと言うモルテに。

「なんで、どうして、諦めちゃうの!」

 目を赤く腫れ上あがらせて、逃げるように待合室を飛び出した。

「追わなくていいんですか?」

「お恥ずかしいところをお見せしました。私に追う資格はありません。あまり娘とは向き合って来なかったので。それに私は弱い人間です。ローエの気持ちも悩みも何一つわかってあげられませんでした。ローエが本当に家族と思っているのはただ一人。弟のトリスだけなのです」

「それならば、よく私がすることを受け入れられましたね」

「それは受け入れられますよ」

「なぜ?」

「妻の話を誰よりも聞きましたから。助けられない自分の力不足を恨んだり、確定した死をただ遅らせることしかできない運命を目の当たりにしたり、助けられた命を失ったり。伊達に私の妻は第一戦で活躍してませんよ。それに比べて私は数度、凶悪な魔獣を討伐しただけです。命のやり取りはあれど魔獣の討伐に意思や感情はありません。私は命を奪うだけで、命を救うことは出来ません」

「部外者の私が言うことでもありませんが、親であるあなたの言葉が必要なのでは?」

「今更、親面してローエとは接せませんよ。それに、これはローエ自身が決めること。どんな形であれ、親密な人との別れはいつか訪れます。私も何もしないで、ただ時間を過ごしたわけではありません。私は知識を貪り視野を広げ、万病に効く薬の錬金に取り組んでみましたが、この通り——」

 そう言って、オーランは黒いレザーの手袋を取り外すと、そこには手がなかった。

「——慣れないことはするもんじゃありませんね。娘には内緒にしてください」

 透明な魔素が赤く光り、五本の指のある手のような形に戻る。そしてオーランは再び黒い手袋を着けた。

 その手を見たモルテとプリエは言葉を失った。治癒が専門の妻を持ちながら、その手を再生していないことに疑問を持たない訳がない。既にその手はこの世界の因果の法則から姿を消したことを知っていた。

 錬金術を一言で言えば、石ころを金に変えること。質量も材質も、特性まで再現できれば、それはこの世で一番の錬金術師だろう。オーランの専門は魔獣討伐。慣れないとはいえ、いきなり自分の手を捧げて錬金術をしたとは二人も思っていない。余程のことがなければ自分の体の一部を錬金術の材料になどしたりはしない。例えそれが一流の錬金術専門の魔術師だったとしてもだ。それは魔術師の力不足。オーランは足りない錬金術の技術を自身の体で補ったに違いない。両手だけで済んでいるのはおそらく、彼の妻から止められているか禁止されたのだろう。

 治癒が出来ない両手を見た二人は、他人事とは思えず息を呑んだ。そんな二人を見てオーランは話を続ける。

「この世界に死んだ人を復活させる魔法もなければ、万病を治す薬もございません。あとはローエが事実を受け入れ、前に進むための時間を与えてあげるくらいしか私には出来ることは残っていないでしょう。ローエは強い子です。家族団欒で楽しむ時間も、友達と遊ぶ時間を犠牲にして、術式を完成させるためだけに全ての時間を捧げていました。私はそこまで魔術に執着はありません。それに、くどいようですが、私はそこまで強くありません」

「そうでしたか、さっきの言葉は忘れてください。失礼しました。私から言われても嬉しくはないでしょうが、あなたは十分に強いです」

 モルテはこの状況を未だに保ち続けているオーランの強さを認めた。魔王を匿い、被害を抑え続け、治癒の方法を模索し、長き時をたった二人で守り切ったのだ。プリエには理解できなくても、その力強さをモルテは理解した。

「その一言で私も少しは救われます。私の娘と息子をどうかよろしくお願いいたします」

「お任せください。ローエの部屋はどちらに?」

「階段を上った奥の部屋です」

「ありがとうございます。プリエ行くぞ」

 そう言ってモルテとプリエの二人は席を立ち上がり、ローエの部屋へ向かった。


 ***


 ローエは自分の部屋に入り、大きな音をたててドアを閉めた。

「はあ、はあ」

 久しぶりに自分の部屋を見渡すと、ベッドのシーツは皺ひとつなく、床には埃もない。いくら人が使ってないとはいえ、とても綺麗な状態で管理されていた。ローエは部屋の中に進み、部屋の隅にあるベッドに腰掛けた。向かいにあるローエの背よりも遥かに小さい本棚にはいくつもの魔術書に関する本が整頓して配置されていた。

 ローエはベッドから立ち上がり、一点を見つめて本棚に近づき、ある本に手を伸ばした。

「懐かしい。私が初めて読んだ魔術の本だ」

 本の表紙には、可愛らしい絵に『はじめてのまじゅつ』とこれまた可愛らしい文字で題名が記されていた。ローエはパラパラとページをめくり、内容を思い出すように全部のページを見て本を閉じた。

「本当、私って子供よね、こんな魔術の本を捨てずにまだ持っているなんて」

 そう言って本を元の位置に戻して、ドアを振り返った。振り返ればあの懐かしい声が聞こえてくるような気がしたのだろう。

『ねえちゃん。ごはんだよ』

 あの頃は毎日聞けた、他愛ない言葉も今では聞くこともできない。ローエの弟は永遠病に侵されこの屋敷にはいない。ローエが知っている笑顔も、ローエが知っている声も、ローエが知っている温もりも、懐かしさを本のように触れて感じることは出来ない。

「トリス。あなたがいないと、ねえちゃんは寂しいよ」

 一人しかいない部屋で悲しくつぶやいた。そして再び本棚に姿勢を戻して、色々な本を取り出して、一つ一つ表紙を確認しながら、床に山積みにしていく。

「懐かしいな、これは魔術の基礎の本。あまり基礎的なことは書いてなかったな。これは、ペンタの魔術の専門書。専門書すぎて結局よく分からないまま、魔術だけ真似したっけ。しかもやばい、代々伝わる魔術の秘伝書も私の部屋にあるじゃん。結局この魔術は術式しか参考にならなかったなあ。あ、これは」

 その本を見つけた、ローエは手を止めた。

「父様が好きだった本」

 勇者と魔王が世界の平和をかけて戦うおとぎ話の絵本。

 そして、次にローエが手に取った本には。

「母様が好きだった本」

 聖女が勇者と恋をするおとぎ話の絵本。

 字も読めないような小さな年齢に眠る前に読み聞かせられた記憶がローエの脳内に掘り起こされる、

「これはトリスが好きだった本」

 財宝も守るドラゴンから、財宝を盗む本。まだ、トリスが小さい時にローエが読み聞かせたおとぎ話、

「こんな魔術に関係ない本をなんで隠れて自分の部屋に置いといだんだろう。そっかあの頃の私は、私なりに父様と母様を知ろうとしていたんだね」

 そう言う、ローエは嬉しそうに泣いていた。

 魔術のことだけしか頭になかったローエも、本来の目的とは違えど、無意識に自分の家族を知ろうとローエも両親を知ろうとした。

 気づけば、小さな本棚は空になり本で囲まれていた。

「片付けなきゃ」

 ローエは本を片付け始める。

 トントンとドアを二回叩くノックの音が聞こえた。自らの記憶の中にある父でも、母でもない、接し方に返事をせず黙り込んだ。


「俺だ、モルテだ。部屋に入れてくれ、少し話をしよう」

「何を今さら話すことがありますか」

 モルテが自分の部屋に入ることを拒むように、部屋の扉の前に座り込んだ。

 扉越しにモルテとローエが話を始める。

「まあ、俺にはあるんだ。そのまま聞いてくれ」

「……」

「ローエの永遠探しを手伝いたかったのは紛れもない本心だ。俺を探して、頼ってくれたことは嬉しかった。本当はローエの永遠が俺との冒険を通じて見つかればいいなと思った。でも、見つからなかったな。君が望む永遠はここにはない。本当はローエを巻き込むべきじゃなかった。俺とプリエだけで解決すべきだった。でも、俺は昔の自分と君を重ねた。俺の相棒も永遠病にかかった。プリエとは違う別の相棒だ」

「その相棒をモルテさんはどうしたんですか?」

 まさかモルテからその話をしてくるとはローエも思いもしなかった。自分が思う迷いをモルテに問う。

「殺そうとしたんだけど、殺せなかった。俺だけの力じゃ足りなかった。プリエに少し手伝ってもらった。俺は勇者じゃないから、永遠を殺せない」

「それなら、よかったじゃないですか。自分の手で殺さずに済んで」

「結局は俺がやった。殺したようなもんさ。俺も約束をしたんだ。相棒の永遠を止める約束を。殺す以外の選択肢はなかった。そして約束通り俺は相棒を殺した」

「それをして、後悔はしませんでしたか?」

「後悔は沢山した。今も後悔をしている。でも良かったって思うこともある。俺にまた次へ進む目標をくれたから」

「目標ですか?」

「ああ、俺はこの世界から永遠を無くす」

「私が勇者になればこの世界から永遠は消えますか」

「すぐには無理だ。だけど、この世から永遠を消すのに大きく前進するのは間違いない」

「……」

「俺も聞きたいことが一つ。ローエも弟と約束をしたんだろう?」

「うっ……」

 痛いところを突かれ言葉を詰まらせる。まさか、そんなどうでもいいことをモルテが覚えていたことにローエは実際驚いた。

「最後に、嫌な事に付き合わせてすまなかった。俺達はそろそろ行く。封印が解かれる前に事を済ます」

 勇者になって欲しいのは、モルテとプリエ二人の願望。プリエが本当に勇者になりたいかどうか分からない。ローエが口にしなくても、二人は一緒に旅をして何となく気が付いていた。プリエ自身本当は勇者になりたくなかった。そのことに気づいた二人は、プリエを無理矢理巻き込んでしまった事に遅い謝罪をする。

 ローエは部屋の扉を開けて、モルテをまっすぐ見つめた。隣にはプリエが一言も喋らずに立っている。

「私も行きます」

「そうか。なら、行くぞ」

 モルテは短く答えた。

「私も忘れないでよね」

 二人から蚊帳の外に追いやられたプリエも珍しく主張する。それだけ、プリエもローエのことを気にかけるまで友情が芽生えていた。

「わかってるよ。相棒」

「プリエちゃん、よろしくお願いします」

 そう言って、二人の顔に元気が戻った。

 そして、三人はローエの弟が封印されている倉庫に一直線に向かった。

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