第8話(休息の時間)

 暗い夜。大小様々な木々に囲われ、見上げれば輝く星々が夜空に瞬いている。騒がしい日中とは違う静かな夜。魔獣の気配は夜と共に姿を隠した。

 モルテさんは街道の脇に火を起こし明かりを確保する。どうやら今日はここが野営地になるらしい。私は特に考えることはしなかった。その炎に惹かれれて、導かれるように炎がゆっくり見える場所を陣取った。

 私は焚火の前で一人、膝を抱えながらぱちぱちなる火の様子をぼーっと見つめる。

 今モルテさんは、周辺の安全確認のため、暗い夜道に異常がないか確認中。今日は意識を飛ばしたが、すぐに目を覚まして旅を続けた。今日は疲れのせいか頭は上手く動かない。


「ローエ、あなたと少しお話をしてみたいのだけど、どうかしら?」

 林からごそごそ音を立てて出てきたのは一人の可愛いらしい女の子。両手によく燃えそうな木をたくさん両手に抱えて持っている。

 私も何かお手伝いを率先して引き受けるべきだった。モルテさんとの勇者の修行と弟のことで頭が支配されて、これまで準備を手伝った記憶はない。

「よいしょと。このくらいでいいかしらね」

 ローエちゃんが焚き火から離れた位置に木を降ろした。

「私も何かお手伝いできることがあれば遠慮なく言ってください」

 野営の準備を全くしていない私は肩身が狭く感じる。率先して手伝えることがないかプリエちゃんに尋ねた。

「気にしないで、色々大変でしょうからローエはゆっくり休んで。ここは私たちに任せてくれればいいから」

「あ……」

 ありがとうございます。

 緊張のせいか言葉がでてこなかった。

「モルテに隠れてこそこそ、門の開け閉めの練習しちゃって根性あるわね。たまにはゆっくり休んだらどう?」

 まさか隠れて修行している姿をプリエちゃんに見られているとは想像もしなかった。そんな努力を気づいてもらって私は嬉しくなった。

 初めて会った時は、人見知りかと思っていたけど、意外にも社交的な対応に驚いている。この旅の途中で話したのは数回しかない。その数回も印象に残らない簡単な挨拶しかない。

 モルテさんから絶対の信頼を持っている謎の子。素性はよく分からない。

 心地よく透き通るような声質。性格は見た目以上にとてもしっかりしている。わがままも言わない。今こうして話しているだけで、自分よりも歳上の人と接しているようにさえ錯覚する。

 生まれはどこかのお嬢様なのだろうか。そんな振る舞いや気配を短い時間で感じた。モルテさんのような、冒険者に染まった雰囲気は感じない。意外な組み合わせは疑問を生む。

「ありがとうございます。一つ質問してもいいですか?」

「どうぞ」

「プリエちゃんは、モルテさんとどんな風に知り合ったのですか?」 

「運命よ」

 そう言って私の隣にプリエちゃんは座った。こっそり横を見ると、赤い瞳と白い髪が特別際立って見える。

 予想外の答えに戸惑いを感じ、思わず復唱して話を返した。

「運命ですか……」

 プリエちゃんは、悪戯をした子供のように口角を釣り上げる。運命だなんてそんなことありませんよねとつい言いそうになった。

「冗談よ。モルテが私を見つけてくれたの。最初はお世話になりっぱなしだったけど、今は色々あって持ちつ持たれつの関係よ」

「お互いに支え合っているんですね」

「そうね。そんな感じかしらね」

 そう言ってプリエちゃんはどこか遠くを見つめた。

 話が終わってしまった。まだまだ話し足りない。

 何か聞きたいことはあるだろうか、と無い頭を必死に回転させる。あれこれ考えても仕方ない。些細なことから聞くことにしようと思う。まずは身近な名前から。

「呼び方なんですけど、プリエちゃんって呼んでも大丈夫ですか?」

「ちゃんと呼ばれるような歳じゃないけど、あなたなら許してあげる」

 プリエちゃんと呼ばれるのは抵抗があるらしい。本人はどこか違和感があるようだ。だけど私はその違和感が分からない。見ためは十歳いくか、いかないかくらい。

 モルテさんの見た目も二十代後半の見た目。二人が一緒にいる期間は、モルテさんが、プリエちゃんと生まれた時を知っていれば最長十年。それにしては、二人の間には十年よりも長い歳月を感じる。たった十年で夜の林を任せたり、交代で夜の警戒も任せるだろうか。二人の年齢が気になってしょうがない。

 モルテさんの戦い方はやけに無駄がない。滑らかに動く関節部。相手の次の動きが分かるような観察眼。魔素と錬素は他人のまで自由自在に動かせる。二十代までにどれくらいの量と質の鍛錬をこなせば良いのか想像を出来なかった。モルテさんは天才なのかもしれない。

 そう思うと二人が一緒に過ごした年数というのにそれはそれで興味が湧く。短いのか長いのかどの位なのか。

「二人はどの位一緒にいるんですか?」

「もう、ずっと。かなり長いかしらね」

 はぐらかされてしまった。

 私は失礼を承知で、年齢を聞くことにした。

「私は十五歳なんですけど。プリエちゃんは何歳なんですか?」

「年齢は隠すつもりないわ。人間で言うと千歳くらいになるかしら」

 人の平均寿命は七十歳前後だ。それを基準にすれば途方もない年齢を重ねている。見た目は何ら私達と変わらない。本当にこの人は同じ人間なのだろうか? きっと冗談だろう。うん、そうだ冗談に違いない。

「冗談じゃないですよね?」

「半分は嘘、半分は本当よ」

 どこからが本当でどこからが嘘なのか私はよく分からなかった。

「それと、私はあなたのことをなんて呼べばいい? ローエと呼び捨てでも構わないかしら」

「はい。ローエで大丈夫です。私は変わらずプリエちゃんと呼びます」

「いいわよローエ。そのうち私のこともプリエと呼んでくれると私も嬉しいわ」

 プリエちゃんは対等な関係を望んでいる。が、今は無理そうだ。千歳が本当なら、お話どころの騒ぎじゃない。今は気にしないことにしよう。きっとたくさん気を使ってしまう。

 本当なら敬称としては、さんと呼ぶのがいいのだろうけど、気を使わないくらい仲良くなりたい、だからと言って呼び捨てには出来ない、という思いがせめぎ合っている。ちゃんと呼ぶのが正しいことか迷ったけど、私はちゃんと呼ぼうと心に決める。

「今はちょっと気が引けて無理そうですが、今後そう呼べるように頑張ります!」

「分かったわ。ゆっくり待っているわね。それでどうしたの? 火なんかずっと見つめて」

 そう言って首だけ横に向けて、プリエちゃんは私の顔を見つめて来た。

「ただ、なんとなく、ぼーっと炎が揺れる姿を見てました」

 考えることは一杯ある。

 モルテさんのことを全部信用して良いのか、勇者になれるのか、勇者にならないといけないのか、弟が今どうなっているのか。沢山の悩みに溢れて、思考が停止していた。

「そう、私には何か悩んでいるように見えたわ。何を悩んでいるの?」

 プリエちゃんには、ぽつんと焚き火の前で座っている私がそのように見えたらしい。実際問題、私はモルテさんについて悩んでいる。

「モルテさんのことを信じていいのか、迷っています。まだ違う可能性があるんじゃないかと」

 焚き火の炎がぱちぱちと跳ねる音を聞きながら。

「そうなんだ。モルテの言うことを疑っているのね。いいと思う。この世に絶対は存在しない」

 私は今思っている自分の悩みのその先を説明に加える。

「時々、私の悩んでいることはとても些細なことじゃないかって思うことがあります。そう思うと私自身、少し惨めに感じて嫌になります。大人はきっとこんなことで悩まないんだろうなって」

「些細じゃないわ。環境は人を変える。勇者であれば勇者の考え方、魔王であれば魔王の考え方、大人であれば大人の考え方、子供であれば子供の考え方。生き方も、価値観も、立場もこれだけで大きく変わってしまうわ。そんな中で自分自身が悩むというのは、とても重要なことよ。その時、その立場で考えることが後のローエの生き方に必要になるはずよ。別に悲観するようなことじゃないわ。もし一人で決めるのが難しければ、私も一緒に考えてあげる」

「ありがとうございます。それでは、弟の病は治らないのでしょうか?」

 ふうとプリエちゃんは何かを決心したように息を深く吐き出した。

「希望を持たせることが時に、良くも悪くも働くってモルテに散々口酸っぱく言われてきたから、あまりそれっぽい事は言えないわ。物事をはっきり言ってしまうから、人としてあなたに共感して寄り添うことは出来ないかもしれない。もしかしたら、あなたを傷つけてしまうかもしれないけど、大事なことだから伝ておくわよ」

「そんなに気を使わなくても大丈夫です」

 プリエちゃんは心配性だなと思った。見た目は少女なのに大人みたいに気を使う。そこまで気にしなくてもいいのに。

「あなたの弟は助からない。永遠は覆らない。これが事実よ」

 それを聞いた私は唇を噛み締めた。プリエちゃんもモルテさんと同じことを言う。本当にこれしかないのかと。どうやら、気を使ってもらうのは必要だったらしい。プリエちゃんにあったてもしょうがないのに、ムキになる。

「絶対ですか?」

 やけに怒りを帯びた声を発したことに自分が驚く。そんなつもりは無かったのに声に感情が乗る。先言ったプリエちゃんの矛盾に問い掛ける。

「この世に絶対がないと言ったのは撤回するわ。少なくとも永遠に関して言えば、私たちは絶対だと思っている」

 濁りのない赤い瞳を見て私は怒りを忘れて恐怖を感じる。プリエちゃんの背後から、見えない不気味な気配に寒気がした。

「そうですか」

「モルテもね、苦しんだの。今のローエのように、沢山悩んで、一杯手段を探して、一人で頑張って来た。本当に頑張ったのよ。それでも見つからなかった。モルテが口にしたことは全て事実。どう伝えたか分からないけど、時間を巻き戻して、運命のしがらみを壊そうとして、禁忌も覚えて使ったけど永遠の前では無力だった。勇者でもないただの人間が出来ることはやり尽くしたと思う。本当に色々やってモルテは諦めた」

 私は黙った。それでモルテさんと私が同じ?

 そんなの絶対にない。私の気持ちがあの人に分かるはずない。勇者と魔王を信じきっているモルテさんに。

 王城に隠された祠を見て、モルテさんの話を直接聞いて、はいそうですかと心の奥底では完全に信じきれなかった。この世界に、『勇者と魔王』のおとぎ話は嘘だとそう刷り込まれて来た。何代も何代も長い時間をかけて、体の芯に傷が付くように数きれないくらい沢山の否定を刻み込まれた。

 誰に同じ質問をしても、誰もが同じ答えを言う。

 この世界に勇者も魔王もいないと。

 体の中でこだまする。

 自分が信じたい勇者と魔王のおとぎ話に亀裂を生み、迷わせる。

 私の中で信じようとしていた勇者と魔王が霞む。勇者と魔王の存在がどんどんと消えて遠くに行ってしまうように感じた。

 この世界に勇者も魔王もいない。

 小さな囁きが自分の中で大きくこだまする。そして、弱っている私の心を惑わせた。

「……」

「これを聞いて少しはモルテのことを信じてあげることは出来るかしら?」

「分かりません。この目で見ないことには何も決められません」

「そうね。あなたが決めることよ」

「プリエちゃんは『勇者と魔王』のおとぎ話を信じていますか?」

 私は自分の信じられないものを他人の経験から取り入れようとした。

 答えは私の予想よりも早く返事がくる。

「ええ、もちろんよ。この目で何度も見てきたわ」

 本当に見たと答える人がモルテさん以外にもいることに驚く。嘘を付いている様子はない。はっきりと物を言う態度はさっきと同じだ。モルテさんと一番近く一緒に時間を過ごしているであろう、プリエちゃんの言う『魔王と勇者』程、鮮明なものはないとさえ感じる。

 それでも、心のどこかで信じられない自分がいた。

「あなたも我儘ね。そういう所、少しモルテに似ているわ。人の言うことを聞かないあたりモルテとそっくりよ」

 プリエちゃんに心を見透かされた。プリエちゃんが言った言葉が、妙に疲れた私の頭の片隅にひかかった。

『勇者でもない人間が出来ることはやり尽くした』

 やけに気になった。

 こんなやりとりをもしかしたら、モルテさんも私と同じようにプリエちゃんにしたのかもしれない。

 そう思うと鳥肌が立つ。モルテさんと同じ道を歩いている自分に。モルテさんを否定しているのに、プリエちゃんは私とモルテさんを重ねている。私はそれを実感してさらに拒絶した。

「私とモルテさんは似てないです」

「そうかしら? さっきの話を聞いたところで、モルテの話を素直に聞くつもりないでしょ?」

「はい……」

 図星を突かれた私は黙った。信憑性が高くても信じたくなかった。救いと希望があると信じたかった。言い方に少し問題はあるけど、勇者者になるついでに、治癒の方法を探せばいいと思った。

 諦めると言葉にするのは簡単だけど、やっぱりどうしても諦められない。

 違う未来、異なる現実、分断する過去。

 明確に区別して、私自身が今思っている考えの居場所を探す。

「ほらね。そういう所、モルテにそっくり」

「全部自分で探してみるのは、無駄な行いでしょうか?」

「かなりの時間は必要ね。人の時間では足りないくらいの永い時間が。ローエが生きていく上でそんな時間があると思う? 足りないわ。勇者と魔王が人の世から消えたくらい足りない。私からしたら無駄と言うけど、ローエには必要なことなのでしょう」

「はい、多分私にとって必要なことです」

 結局のところ勇者と魔王を信じているモルテさんを信じられない。だから、モルテさんの言うことを素直に受け入れられないのだろう。どうやら、些細な疑念から生まれる疑問を払拭するには苦労するようだ。

「モルテを信じてもらえるように頑張ったけど私では駄目そうね。それなら、自分を信じなさい。その先に答えが見えるでしょう」

 自分を信じる。本当に最後まで自分を信じ続けることは出来るだろうか。目の前にある勇者と魔王、一つで自分の考えがぶれているというのに、最後まで自分を信じられるだろうか。分からない。

 ここでも迷いが生まれた。

 立ち止まる私が答える。

「難しそうですね」

「簡単じゃないわね。でも、忘れちゃいけないわ。私はね、こうやって迷って悩んでいるうちが幸せだって思うことが時々あるの。だってそうでしょ? まだ確定したわけじゃない。一番辛いのはね、これしか道がないと知った時よ。迷う暇も、悩む選択肢も、逃げる場所もない。運命という定めの上にいることを知らなければ良かったと思うこともある」

「プリエちゃんが言った永遠についても言えますか?」

「あなたの考える永遠を私は知らないから下手なことは言えないけど、永遠病には言える」

「永遠病……」

「そうよ、永遠病が人の全てを狂わせる」

「モルテさんは、どうして永遠病を憎んでいるのですか?」

「本人から聞いてないの?」

 プリエちゃんは不思議な感じで首を傾げた。

「モルテさんからは魔王になるからというのだけ聞きました」

「あら、それしか言ってないのね。モルテの理由はローエに言ってないようね」

「モルテさんの理由?」

 不本意ながらもモルテさんのことを知りたい自分がいる。私はその言葉を妙に集中して聞いた。

「モルテも大事な人を永遠病で亡くしているのよ」

「え……」

 まさかの言葉に声が詰まった。そんなはずはない、そんなはずはないと頭の中で反芻はんすうする。

「今度、機会があったら詳しく聞いてみて」

 詳しく聞ける話しじゃないとすぐに察した。私がこんなに悩んで苦しんでいるのに、モルテさんに聞けるわけない。信じる信じない云々の話じゃなさそうだ。

「はい……」

 この時だけモルテさんを肯定した。

「口が滑って余計な話もしてしまったわね。そろそろ夜も深くなってきたわ」

 プリエちゃんの甘い言葉を聞いて、急に目がうとうとした。目の前の視界が霞み始める。

 今が夜の何時なのか、細かいことは分からなかった。でも、そう言われた途端、体の緊張がほぐれ徐々に眠気が忍び寄ってくる。

「ここは良いから、ローエはもう寝なさい。体力が持たなくなるわよ。少しでもローエが次の悩みに進めることを願っているわ」

「ありがとうございます。そしたら、お言葉に甘えて少し寝ます。プリエちゃんおやすみなさい」

「おやすみ。ローエ」

 それを聞いた私は瞼を閉じて、黒い世界に飛び込んだ。

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