第106話 父と子-1

 君に手紙を送り始めたころは、まさか自分の父親のことを書くことになるとは思わなかった。21世紀の君たちにとったら、きっと僕がジーナのことは家族と呼ぶのに、父のことを話さないのは奇妙だと思ったかもしれないね。


 じつをいうと、僕と父は、『火星世代』のなかでもちょっと変わった家族だった。母はずっと家にいなかったし、話題に上ることもなかった。それに、父は僕とはちがって美男子で、つまり、女性にも人気があって、恋人もたくさん作っていた。(家には連れてこなかったけどね)


 まあ、もの心ついてから僕は家の中にひとりぼっちで恋人のところから遅く帰ってくる父を待っている生活だったわけだ。食事のときだってだんまりで、僕と話すどころか視線を合わせることもない。いっぽう、僕はといえばごくごく平凡な少年で、クラスで女の子にもてることもなく、目立ちもしなかったので話すようなこともなかったんだけどね。

 それでも、この計画のまえには、僕は父にあわなければならないと思った。なぜなら、父はたぶんたった一人の息子とこれで会えなくなるからだ。


 父と会うのはもう十年ぶりぐらいだった。電話で話したのだって思い出せないぐらいだ。つまり僕は父を徹底的にさけていたわけで、それというのも、僕たちのあいだにはいつだってあのブラックボックスが横たわっていたからだ。

 リングをあざむくためには3時間で帰ることが必要だった。つまり、話すことができるのはかっきり1時間だ。僕が父の暮らすコンパートメントを訪れたとき、玄関に現れたのは見知らぬ女性だった。


 僕が名前を名乗ると、女性はあっという顔をして、父を呼びに行った。僕はその女性がたぶん父の恋人だとは思ったけれど、まえの恋人たちと違ってずいぶん落ち着いた雰囲気の人だったことに驚いた。


 その女性に案内されて部屋に入ると、奥から父が出てきた。久しぶりに見る父は、ずいぶん年を取って見えた。当たり前だよね、十年ぶりなんだから。だけど、相変わらずしゃれた服を着て、紳士然としていた。この好男子を親に持って、どうして僕みたいなぼんやりした子供が生まれたのか不思議なぐらいだ。


「きたのか」


 父はそういうと僕の目の前の椅子に腰かけた。父はほんとうに何年かぶりに……僕を見つめた。その目には少し哀しげな光がやどっていた。僕は時間に追われて、単刀直入にこう言った。


「お父さん、今日は聞きたい話があってきたんです」


 父はゆっくりとうなずいた。もうすでに話題が何かわかっているような様子だ。


「僕の母、山風(やまかぜ)明日香(あすか)についてです」


「明日香……」


 父はぼんやりと繰り返した。そこに何があるかはわかっているけれど霧の中に目を凝らすような表情だ。父はこう言った。


「亘平。私たちはとても奇妙な親子だったと思わないか」


 僕は驚いて父を見た。僕の思っていたことそのままだったからだ。


「おまえには謝らなければならないと思っている。けれど、話してやろうにも私には明日香の記憶がない。伝えられるとしたら、私の記憶の範囲でありのままを伝えるしかない」


 僕は目を見張ったまま、言葉を失った。母の記憶がないって……? 父は僕をじっと探るようにみて、そのまま言葉をつづけた。

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