アルファベットの調べ

表山一郭

第1話

とあるお寺では坊主は日課として毎日決まって朝4時に堂内に籠り般若心経を唱える。


7月の21日、猛暑日は例外だった。


これは、A氏が高校生の頃、父親の跡を継いで住職になるか東京の大学へ進学するか悩んだときの話になる。



A氏の住む家には部屋にはエアコンはなく、それだけで当時のA氏が家を継ぎたくなくなるには十分な理由に思えた。


兼ねてからA氏には宗教への疑念を持っていた。


「祈ることはいいことだけれど、できることがあるにも関わらず目を背けて祈る必要があるのか?」


彼は法曹界で就職することを望んでいた。


一度、進路について話したが

父親は「御仏に仕えさせていただく。それだけでありがたいことだ」の一点張りであった。


2度目の進路報告で、父からNG判定を受けるや否や、A氏は制止を振り切り、家を飛び出した。


行くあてはなく、ヒッチハイクで東京へいくつもりだったが、田舎の野山に適当な車はなく徒歩で移動する。


学校まで行きは1時間、帰りは2時間かけて歩いてきた。


山裾のバス停まで辿り着いた時、ふと思った。


「俺がいなくなったら、親父はどうするのだろう。」


A氏の父は男手一つでA氏を育ててきた。


A氏は毎朝、道内から聞こえるお経で目を覚ます。


そのときは早朝4時になる。


その習慣は鬱陶しかったが、無くなれば気持ちの悪いものであった。


A氏は親のお経を唱える声が日増しに弱々しくなっているのを感じていた。


スマホを取り出し、メモに進路の現状と父の考え、自分の考えを書き出した。妥協案を考えることにした。


考えた挙句、A氏はこの村に留まれるように通信制の大学に通うプランを練った。


「親父がどう出るか……。寺を継がないとはっきり言っていいものか。大学に行かせる代わりに、寺を継ぐのを約束するのだけは避けないとな」


毎朝欠かすことなく、教えを守る父親の反応が気がかりであった。


夕陽が落ち19時をまわり、すっかり暗くなっていた。


A氏は幼少期、夜の山道で道に迷い、帰れなくなったことがある。大事な報告前にプチ遭難し、頼りのない様は見せられない。彼は、山裾の休憩所に泊まることにした。


蒸し暑くなかなか眠りにつけなかったが、しばらく暑さにもがき疲れ果てたあとに、眠りにつけた。


いつも通り父の読経が聞こえてきた。


「そうだ、学校……?」


A氏は目を覚まし辺りを見渡す。

昨日から休憩所にいたことを思い出して違和感を覚えた。


「……夢か」


A氏は山を登ることにした。


腹ごしらえをすれば良かったのかもしれないが、早く結論が知りたくて先を急ぐことにした。


「ただいま。親父!話しがあるんだ」


堂内で法要をする父に会えるだろうと考えていたが、父の姿はそこにはない。


本でも読んでいるのかと思い別室も探したが、まるで人の気配がない。


そうしているうちにチャイムが鳴る。


村のB氏であった。B氏は父の幼馴染みでよく面倒を見てもらっていた。


平地の村に住んでおり、麓に住む父との連絡を取り持ってくれていた。


「Aちゃん、言いにくいことなんやがね。お父さんね。昨日、亡くなられたんや。」


聞けば法事にこない住職を不審に思い、電話したが繋がらないのを不審に思い、見に来たようだ。


「脳卒中や。苦しまずに仏様になれたんとちゃうかな」


B氏はそういうと、赤く腫れていた目を擦った。


A氏は寺に篭り般若心経を唱えた。自身の読経を録音し、堂内に人が来ると流れるようにした。


父が居なくなり、廃れていくお寺を少しでも支えられたらと思ってのことだった。


管理はB氏に任せ、 A氏は東京の大学へ単身進学した。

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