第4話 宿泊学習(前編)

医務室をノックする音が聞こえ、どうぞという声と同時に一人の女の子が入室してきた。消灯前の1時間半で、今年は7人の子を対応する予定になっている。女の子が4人、男の子が3人。1学年200人を超える大所帯ともなると、毎年10人前後は夜の心配な生徒が出てくる。深夜に起こす生徒は各担任が対応することになっているが、夜尿の程度がひどく、着替えが必要な場合は医務室で養護担当の教諭が世話することになっていた。お互いに誰が医務室に来たのかわからないように、分刻みで来る時間を指定している。


「失礼します」と小さな声でやってきた少女は、手に歯磨きセットを持っている。他の生徒にわからないよう、それぞれの生徒には「薬を飲みに行く」、「歯磨きをしてくる」などと同室の生徒に伝えるようにアドバイスしていた。


「白崎さんね。後ろはもう誰も来ないから焦らなくてもいいからね」


7人いる要対応者のうち、芽衣の順番は最後になっている。最初に来た男の子2人は、恥ずかしそうにサッと着替えて退室した。養護教諭も、男子が恥ずかしがるのを察して余計なコミュニケーションはとらないようにしている。残りの女子4人もそう対応は変わらない。生理が来ていないかだけ確認し、朝着替えに来る時間だけ念入りに確認して退室させた。


芽衣の順番が最後になったのには理由がある。他の6人とは違い、着替えに時間と手間がかかるからだ。


「お母さんから事情は聞いてるから、安心していいよ。先生も前に経験したことあるし」


芽衣は医務室のカギを内側からかけ、部屋の真ん中まで来ると体操服のズボンを脱いだ。芽衣が持病でおむつを手放せないということは養護の先生も知っている。いつものことだと割り切ってはいるが、汚れたおむつを交換するところまで誰かに見られるのは久々だった。


「汚れたおむつはそこのビニール袋に入れといてね」


「はい、すいません…」


入出した時よりも、芽衣の声はさらに小さくなって、緊張しているのか少し声も震えている。養護の先生は自分のカバンからビニール袋を取り出し、中身を確認した。仕事で見ることはあるけど、健常の子に使うのは初めてだろうなと心の中で思う。毎年医務室で夜だけおむつに着替える子を見ることはあるが、おむつからおむつへ着替える子はおそらくはじめてだった。


「準備できたら寝転がって待っててね」


ビニール袋から出てきたのは、大人用のテープの紙おむつと分厚いパッドだった。今までも障害のある生徒の世話でおむつを扱ったり交換したことはあるが、心身ともに健常な生徒のおむつ交換をしたことはない。前の6人の生徒も、5人はパンツ型の自分で履くタイプの紙おむつで、残りの一人はパンツに貼るタイプの尿取りパッドを使っていた。一人だけ小柄な生徒が子供用のおむつでうさぎのイラストが入っている紙パンツを履いているようだった。パンツ型以外のおむつを宿泊学習で使う生徒も初めてだった。芽衣は、おむつと一緒に入っていた小分けのおしりふきを受け取ると、丁寧におしっこで汚れた部分を拭いて寝転がった。


「先生がふきふきしてあげよっか?」と冗談で言われたが、真っ赤になってうつむくしかできなかった。ちょっとした冗談のつもりでいった養護教諭も、マズかったかな?と反省しておむつの準備に戻る。研修や講習で習うので、ある程度おむつ交換は手馴れている。子供用に比べると大きな三つ折りの不織布を開いて、畳の上に置いた。芽衣は言われるまでもなく自分でくッと腰を浮かせる。おむつを当てられるために腰を浮かせるのが毎日の習慣になっていることほんのり羞恥心を覚えた。


「うん、大丈夫。もう一回上げてね」


お母さんはいつもパッドを重ねた状態でお尻の下に敷きこんでくれるが、先生は違ったようだ。先におむつを敷き込み、再度お尻を上げてパッドを挟むタイプらしい。お尻を上げるように促されたのが妙に恥ずかしかった。先生と目が合うのがイヤで肘で顔を追っているうつにおむつを当て終わった。先生からは「ズボンは自分で履けるよね?」と言われたのが追い打ちのように感じる。


立ち上がって体操服のハーフパンツを履くが、想像はしていたがやはりおむつのラインがよく目立つ。普段は薄型のパンツタイプだが、テープタイプにパッドも入っていると、パッと見るだけでも違和感を感じるくらいには膨れていた。先生は「言わなきゃわかんないよ」と言ってくれたが、気休めにもならなかった。芽衣からすれば、どうせ昼間のおむつだってバレてるし、半分はもうどうにでもなれと思っていた。


消灯間近の廊下はしんとして誰もいない。運よく誰ともすれ違わずに部屋に戻ることができた。部屋に戻ると全員起きて雑談するなり、スマホをいじるなり、それぞれに過ごしていた。本当はスマホは持ってきてはいけない決まりになっているが、大した持ち物検査もなく多くの生徒が持ってきている。


芽衣がそっと部屋のドアを開けて中に入ると、入り口近くに座っていた子と目が合った。一瞬間があり、「プッ、なにそれ、黄崎!?」とわざとらしいリアクションで爆笑した。つられて他の生徒たちの視線も芽衣の下腹部に集まる。メイーズと、おむつを揶揄するあだ名はあまりに露骨すぎたのか担任からこってり絞られて使われなくなっていた。そのかわりに、クラスメイトからは、「きさき」と呼ばれた。ある時男子が、「お前のパンツいっつも白じゃなくてしょんべんで黄色じゃん」とバカにされたことがきっかけだった。白崎の白を、黄色に変えて黄崎。バカみたいなあだ名だが、担任の目を避けて芽衣をなじるには十分だった。今ではクラスのほとんが芽衣のことをそう呼んでいる。


「おしっこ臭くて寝れないじゃん」

「おねしょしたらころす」

「マジ部屋割り外れだわ」

「あおぞら組は保健の先生の部屋で寝ろよ」


口々に罵倒とも嘲笑ともとれる言葉が芽衣を刺す。教室では男子や教師の目があるが、宿泊学習の部屋という密室になるともう容赦はない。ボロクソに芽衣をなじる言葉が飛んだ。いつものことだと自分に言い聞かせ、芽衣は歯磨きセットをカバンにしまおうとしゃがもうとした。


その時、誰かが後ろを向いた芽衣のハーフパンツをつかんで膝までずり下ろした。教室で初めておむつが露呈した時と同じだった。芽衣はそのまま膝を落とし、四つん這いのような格好になる。当然ハーフパンツは下ろされ、さっき先生に当ててもらったおむつをみんなの方に突きだすような形になった。


「うわ…」とドン引きする子、笑いをこらえられない子など様々だ。


「黄崎それオシメじゃん、赤ちゃんがするやつ」


リーダー格の女子が腹を抱えて笑いながら芽衣に指摘する。


「いつもの紙パンツどうしたよ、そんなにおねしょすんのか?」


取り巻きもつられて笑う。


「ねえねがめいたんのオシメとりかえてあげまちゅよ~」


心底バカにした言い方で芽衣を煽る。それと同時に手に持っていたスマホを芽衣に向けてパシャっと音をさせた。芽衣が四つん這いになっておむつのお尻をこちらに向けている姿をスマホに収めたのだった。


「学校じゃ撮れないからな~。とりまクラスのラインに流す?」


取り巻きたちはさらに手を叩いて爆笑した。芽衣はできるだけ平静を装って静かに立ち上がり、おむつを隠すようにハーフパンツを履きなおした。しかし、心の中では、まずいことになったと思った。ネットにでもバラまかれたら、一生取り返せない傷になる。


「好きにすれば」

できるだけ表情を変えずに言い返した。言い返されると思ってなかったのか、リーダー格の女子は、「フンっ」とそっぽを向いて自分の布団のところに戻っていった。他の子たちと何かコソコソと相談しているようだったが、芽衣は無視して布団に入り、すぐに目を閉じてさっきのことを必死に忘れようとした。

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