第2話 内科健診
人数の多い公立の学校では、生徒一人に対する配慮などないと言ってもいい。それは持病を持った芽衣にとってもそう変わるものではない。そんな芽衣にとって一番心が痛む日が毎年ある身体測定の日だった。
1年生の時の身体測定のことは、思い出したくもないほど酷い出来事だった。身体測定は入学後すぐの4月にある。芽衣と同じ小学校出身の子たちは芽衣の病気やおむつのことを知っているが、他の小学校から上がってきた子たちは知る由もない。おむつを理由にしたいじめは小学校の頃から始まっていたし、同じクラスになった女子にもそのいじめに加わっていた子たちが何人かいた。わかりやすい弱点を持っている芽衣は、中学生になってもターゲットになる。
身体測定は体操服で受ける決まりになっている。着替えは小学生の高学年以降は男女別になっており、それは中学校でも変わりない。4月の初めだとまともな授業も始まっておらず、初めて教室で着替えることになる。教室はざわざわしている。見知らぬ人が多い中、きょろきょろしながら着替えるような子も多い。芽衣は今日の日のためにスカートの下に体操服のズボンをあらかじめ履いてきていた。着替え終わったが、よくよく見ればお尻のふくらみに気付いた人もいたかもしれない。
芽衣は後ろからこっそり近づいてくる二人に気づかなかった。二人の女子が大声をあげるのと、芽衣の体操服のすそがめくりあげられてズボンに手をかけられるのは同時だった。
「うわ~、みんな見てみて!」
芽衣がハッとして振り向いた時には、クラス中の視線が芽衣のお尻に集まっていた。ニヤついたイヤな顔が芽衣をなめるように見ていた。
「これって~、もしかしておむつ~?」
わざとらしいトーンで周りに言いながら力づくで芽衣のズボンの端をめくった。クラス中の女子に芽衣のおむつが露わになる。実際に見えたのは腰回りのヒダの部分だけだったが、普通のパンツではそうならない。そもそも事情を知っている同じ小学校のコが「おむつだ」と言うのだから、疑う必要もない。芽衣は言葉をかみ殺して相手の手を振り払った。とっさにしゃがみこんで、ズボンをずらしたコをにらみつける。芽衣の目には涙が浮かんでいた。
芽衣の周りにできた人だかりからは、「え、なになに」と興味深そうにのぞき込むコや、「今おむつ見えた?マジ?」と隣のコとひそひそ話するコなど様々だ。しばらくざわついていたが、教室に担任の先生がやってくるまで芽衣に話しかけてくる子は一人もいなかった。ズボンを下げたコは、熱心に他の生徒に芽衣の秘密を話していたが、芽衣は遠目に眺めることしかできなかった。芽衣の秘密を知った子は、みな芽衣の方をチラチラ見ながら、あの子と同じイヤな顔でこちらを見るのだった。芽衣には入念にシャツをズボンに入れることしかできなかった。
担任の先導で廊下に並び、列を作って保健室に向かう。みんなきちんと列を詰めて並んでいるが、芽衣の後ろだけ露骨に距離をとって並んでいる。薄笑いを浮かべて、芽衣のお尻を指さしているクラスメイトが何人もいた。こそこそと話す内容は芽衣には聞こえなかったが、内容は想像がつく。保健室の前に並ぶと、担任から列を詰めるように指示があった。その時、芽衣はお尻に誰かの手が触れるのを感じた。
「うわっ、マジだ!」
先生に見つからないようくらいの声で、身長の高い女子が興奮した様子で周りに喧伝している。芽衣とは違う小学校のコで、まだ苗字しか知らない。さっき教室で芽衣の体操服をめくった二人と一緒になって「ね!マジでおむつでしょ!」とニヤニヤしながら盛り上がっていた。「え、なんでおむつしてるの…?」、「えっとね、白崎さんは~」とこちらをチラ見しながら笑顔を浮かべて話しているのが聞こえた。
身体測定はクラスごとに行われるが、芽衣のクラスは1年生の中で最後だった。芽衣たちのクラスの後ろには、3年生の先輩たちが並んでいた。思春期の2年差はとても大きい。3年生の先輩たちはとても大人っぽく見える。芽衣たちを見て、「1年かわいいね~」と言っている先輩もいた。
保健室には養護教諭と担任、サポートの先生もいたため、芽衣が何かされることはなかった。列が進むときにまたお尻に手が触れたような気もしたが、芽衣の気のせいだったのかもしれない。クラスの身体測定が終わり、これで健診も終わりだと芽衣も思っていた。
「じゃあ今度は内科健診に向かうから、ついてきてください」
担任の女教諭は、保健室と同じ一階にある会議室に生徒たちを誘導した。小学校の時は身体測定と歯科検診、たまに予防接種くらいのものだったので、内科健診がどういったものなのか芽衣にはよくわからなかった。内科健診はクラスごとに会議室に入っていくようだったので、芽衣たちのクラスも会議室の前の廊下で10分ほど待機していた。前のクラスが出てきたのと入れ替えに芽衣たちも会議室に入る。中には白衣を来た数人の医者と看護師がおり、診察台のようなものもあった。入口付近には長机が何台か並べて置かれている。
「じゃあ体操服は上下とも脱いで、きちんと畳んで机の上に置いておくこと。準備ができた人から出席番号順に並んでください」
生徒たちは口々に「え~」と言ったり、困惑したような表情をしている。小学校ではちょっとシャツをめくって胸に聴診器を当てる程度の健診だったが、中学になるともっと本格的なものになるらしい。下着姿になって診察台の上でいろいろ測るらしかった。
上下とも下着姿になることに困惑している生徒たちがいる中で、芽衣は青い顔をしている。下着姿になることが必要になるとは、思ってもいなかった。芽衣にとっての下着姿とは、おむつだけということになる。
「白崎さぁん、早く着替えないとみんな並んでるよ?」
「……」
さっきの高身長のコと、ズボンをずらしてきたコは既に仲良くなったようだった。二人で並んで芽衣が着替える様子を見ている。芽衣は何も言い返せず黙ってシャツに手をかける。白いジュニアブラが露わになり、おずおずとズボンにも手をかける。二人は小声で「はやく!はやく!」と追い打ちをかける。芽衣は覚悟を決めて、ズボンを下した。芽衣の周りがざわつき、そのざわつきは会議室全体に広がる。異変に気付いた看護師さんが様子を伺っている。
芽衣は上はスポーツブラ、下は大人用の真っ白な紙おむつといういで立ちで体操服をたたみ、長机の端っこに置いた。身長150センチの少女がおむつとブラだけの姿で立ち尽くす。多くの生徒が地味なショーツやボクサータイプのショーツを履いているなか、膨らんだ紙おむつを履いた芽衣は目立ちすぎる。おしっこが出ていないことは唯一の救いだったかもしれない。「マジだったんだ~」、「え、やばくない?」、「病気かな?かわいそう…」といった声が口々に聞こえてくる。
「静かにしなさい!」
しびれを切らした担任がいら立ちを隠さずに生徒たちに言う。担任も芽衣の持病とおむつのことは知っていたが、人数の多い公立中学となると細かい配慮まではできないのが実際のところだ。芽衣のことをかばうでもなく、「白崎さんも早く列に並んで!」と強い口調で伝えた。さすがに担任の前でこれ以上騒ぐことはできないと悟り、からかってきていた子たちも大人しく列に並んで内科健診がスタートした。
芽衣の順番が回ってくると、サポート役の看護師さんがこっそり耳打ちしてきた。若くてきれいな看護師さんだった。
「薄手のオーバーパンツだと健診の妨げにならないし、おむつ目立たなくなるからね。来年からはおむつの上に履いてくるといいよ」
芽衣は小声で「ありがとうございます」と伝えて、診察台に横になった。一通り健診を終えると、芽衣は足早に着替えを置いた机のところに向かい、ズボンを履こうと思っていた。先に着替えを終えて待っている子たちもいる。さっき芽衣にちょっかいをかけてきた二人と、お尻タッチのコの3人がこそこそ何かを話しているのに芽衣は気づかなかった。芽衣が着替えを始めようとすると、外の廊下がガヤガヤしているのに気づいた。芽衣のクラスの次に内科健診を受ける3年生のクラスが待っているようだった。
カチャンと音がする。着替えが必要ということもあり、会議室は内側から施錠されている。そのカギをこっそり開ける音だった。そのまま一人がドアの横に待機、残りの二人はこっそり芽衣のそばに寄った。
とっさのことに芽衣は反応できず、自分に何が起こったのかもわからなかった。ドアの閉まる音とカギがかかる音が同時で、芽衣の目の前には床があった。待機している一人がタイミングを見てドアを開き、二人が芽衣の体を無理やり廊下に押し出したのだった。芽衣は下着とおむつのまま廊下に放り出され、そのままドアは閉められたのだった。
「え、なに、うそ…」
瞬間状況が呑み込めない。自分がおむつのまま廊下に出されたこともその瞬間は頭になかった。それは廊下で待っていた3年生も一緒で、何が起きたのか、自分たちが何を見ているのかも理解できなかった。
数秒して芽衣はすべて理解した。
「イヤーーー!開けてーーー!」
けたたましい音でドンドンと会議室のドアを叩く。3年生は騒然としておむつ姿で泣きながらドアを叩く少女を見るしかなかった。「なにアレ、いじめ?」、「おむつ履いてない?」など騒ぎ立てる声も芽衣の耳には届かなかった。
数十秒もしないうちに、担任が飛んで来て怒鳴る。
「あなたたち!一体なにしてるの!」
担任はカギを開けて泣きわめく芽衣を会議室に入れる。芽衣は机の上の体操服をひったくって会議室の端にへたり込んだ。服を着るでもなく、とにかく紙おむつを隠そうと体操服を腰回りに巻き付けてしゃがみこんで泣いた。さっき耳打ちしてくれた看護師さんがそばにしゃがんでカーディガンを肩にかけてくれた。そんなことにも気づかずに芽衣はわんわんと泣き続けた。
「何したの!?」
担任は怒りにまかせて3人を問い詰める。中学生ともなれば、大人を怖がらない、舐めてかかるような子もいる。3人のうちの一人は、へらへらしながら担任の詰問に答える。
「なんか白崎さんが~、トイレ行きたいって言ったからドア開けてあげただけです」
悪びれる様子もなく芽衣のせいにしようとする。そのあとも担任と3人のやりとりはあったが、泣き崩れた芽衣の耳には何も入ってこなかった。事の顛末は瞬く間に学校中に広まり、1年生におむつで登校してる子がいるというのは、学校中の誰もが知るところとなった。最初は、物珍しさに他のクラスや上級生がわざわざ芽衣のこと見に来て、「どの子がおむつのコ?」とクラスメイトに聞きに来たが、最近では落ち着いた。だが、芽衣へのいじめは留まることはなかった。
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