芽衣’s

はおらーん

第1話 自習


5時間目は数学の授業のはずだったが、職員会議のため自習になっていた。ほとんどの生徒が配布されていたプリントを静かに解く中、机に突っ伏して居眠りしている男子生徒や、小声でこそこそ話したり手紙を回す女子もいた。田舎の公立中学校ならそんなものだろう。


自習時間も半分ほど過ぎたころ、一番後ろの席に座っている佐々木さんの顔がうっすら歪んだ。佐々木さんの座っている席は、「かわいそうな席」と呼ばれている。先週の席替えの時には、クラスメイトたちから口々にかわいそう、ドンマイと声をかけられた。席自体が問題というわけではなく、前の席に座っている生徒が問題だった。


後ろからシャーペンでつつきながら、「白崎さん、白崎さん」と声をかける。名前を呼ばれた子は、ハッとしたように後ろを向いた。佐々木さんの表情で、自分に何が起きたのか察知した。「ごめん、におった?」と蚊の泣くような声で聞くと、佐々木さんは小さく頷いた。


どうやら他の生徒もにおいの元に気づき始めたらしい。露骨にイヤな顔をする女子、わざとらしく机を遠ざける男子、先生がいないことをいいことに、教室中に響く声で「くさっ!」と叫ぶ生徒など様々だ。白崎芽衣は、顔を真っ赤にして席を立った。


芽衣には、心因性の頻尿がある。小学生のころは学校にも配慮をしてもらって自由にトイレに行けた。元々気の強い方ではなかった芽衣は、ストレスの多いときには、1時間に何度もトイレに行くこともあった。低学年のころはそれで問題もなく、周りの友達も理解してくれていた。それが高学年になってくると、芽衣自身にも羞恥心が芽生え、無理にトイレを我慢することが多くなった。結果的に芽衣は学校に紙おむつを履いてくるようになっていた。最初は周りに隠していたが、トイレに行く頻度が急に少なくなったことに周りが気づくのに時間はかからなかった。仲の良かった子に、「最近全然トイレ行かなくない?」と聞かれた芽衣は、誰にも言わないと約束してもらって、「実は…」と自分がおむつを履いていることを伝えた。5年生の芽衣には、翌日にはクラス全員がそのことを知っているとは思いもよらなかった。明るくて友達の多かった芽衣への扱いは、おむつをきっかけに急激に悪くなった。有名なおむつメーカーと芽衣の名前をもじって、メイーズとあだ名がついたのも小学校の時だった。


芽衣のおむつ生活はすでに5年以上になる。おむつをきっかけに始まった芽衣へのいじめは、神経性の頻尿を加速させるだけだった。今では、尿意を感じてから実際に尿が出るまでにほとんど時間差がない。芽衣自身もおむつが濡れたことにすぐに気づけない時がある。そんなときは、尿臭を一番に感じ取った後ろの席の子が知らせてくれるのだった。席を立った芽衣は、教室の後ろの個人ロッカーに向かった。カバンから小さなポーチを取り出すと、足早に教室を出た。おむつCMのフレーズになっていたセリフをもじって「メイーズパンツ!」と大きな声で叫ぶ男子と、爆笑するクラスメイト達の声が教室を出る芽衣の背中に突き刺さった。


芽衣は、授業中で誰もいない廊下を足早にトイレに向かった。個室に入ると一旦便座に座りスカートをまくる。体操服のハーフパンツは少し膨らんでいるように見えた。ハーフパンツを下げると、明らかな尿臭が漂ってくる。大人用の真っ白な紙おむつはうっすらと黄色く染まっていた。慣れた手つきで再度を破ると、持ってきたポーチからビニール袋に取り出し、丸めたおむつを入れてきつく口を縛った。ビニール袋はサニタリーボックスに捨てているが、きちんと学校側には了解をとってある。新しい紙おむつに足を通しながら、芽衣は声を殺して泣いた。どうしておしっこを我慢できないのか、どうしておむつを履かないといけないのか、どうしていじめられないといけないのか。芽衣は自分の体を呪った。


芽衣は涙をぬぐって気を落ち着けてから教室に戻った。ニヤニヤと芽衣にいやらしい顔を向ける男子、こちらを伺いながらこそこそと陰口を言う女子ももう見慣れたものだった。

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