第4話




その姿を見て、スーザンは「あ、あれは………」としか言えなかった。しかし鈴嗚奈は、振り返る前から背後にいるのが誰かを感じ取っていた。

「母様……!」

開いた扇子を口元にあて、喜多埜香苗は不敵に微笑んだ。

「フフフ………妾から逃げられると思うな!」

鈴鳴奈は思い切り苦々しげな表情で呟く。

「ずっとついて来ていたのか……」

「お遊びはここまでにしてそろそろ帰って来てもらおうか、鈴鳴奈」

香苗は薄く笑みを浮かべながら、手の中の扇子を弄んだ。香苗の背後には七人の男達が、いつでも命令に応えられるようスタンバイしている。皆黒いスーツをきっちりと着こなし、鍛えられている印象だ。実際その通り、彼らは香苗専用のボディガード兼戦闘員なのだ。だが一人だけ、酷く顔色が悪く薄気味悪い風貌の小男が混じっているが。

「私は帰りませんっ。この滋賀県でスーザンと幸せに暮らすのです!」

「そ、そうだそうだっ」

鈴鳴奈の叫びに、その背後でスーザンが小声で野次を飛ばした。鈴鳴奈の答えを聞き、香苗はその笑みを更に冷淡なものに変える。ちなみにスーザンの野次など香苗に届いてもいなかった。

「ふ……そうか。なら…………力ずくで連れて帰るまでだ。やれ、お前達!」

香苗は扇子を鈴鳴奈に突きつけ叫ぶ。空気が震えるようなその声音に、黒服たちは「はッ」と子気味いい返事を揃えた。厳しい面で鈴鳴奈とスーザンに近付く黒服たち。その背中を香苗の命令が追った。

「鈴鳴奈は生かして捕えろ。そこの貧乏人は殺してもよい」

リーダー格の黒服が檄を飛ばす。

「行くぞてめーら!」

リーダーの掛け声に黒服たちは「おおおおお!」と息巻いた。仕事をこなせばボーナスが出ることを彼らは知っている。

スーザンは男達の雄叫びと香苗の命令に足をガクガクと震わしたが、黒服たちの中に混ざる小男が一人「うぴょおおお」と奇妙な声を上げていることに気付き、この状況で少し緊張を和らげた。

各々の獲物を手に向かって来る黒服たちを見、鈴鳴奈は盛大に舌打ちをする。

「チッ、雑魚がわらわらとオ!スーザン!これを!」

鈴鳴奈はコートの中に手を入れると、何かをスーザンに投げ渡した。スーザンはそれを反射的に受け取る。

「こ、これは……?」

鈴鳴奈が放ったそれは、漆黒の鞘に収まった日本刀だった。

「ま、まさかこれで戦えと!?」

スーザンの足のガクガクは二割増し速くなる。

「当然!自分の身は自分で守りなさい!行くわよッ!」

「むむむむむ、無理だよぉ」

「つべこべ言わずにやりなさい!大丈夫、何かピンと来たところに“風の傷”って叫べば何とかなるから!」

「ならないならないならない!それで何とかなるの猫夜叉だけだから!」

「来たわ!うぉぉおぉぉおおぉ!」

鈴鳴奈は鋭い一瞥を黒服たちに滑らすと、おおよそ年頃の女子らしかぬ雄叫びを上げて立ち向かって行った。黒服たちも雄叫びを上げ返しながら鈴鳴奈に突撃する。その中に、やはり「うぴょおおお」と叫ぶ顔色の悪い男がいた。

七人もの男たちの中に一人きりで突っ込んでゆく最愛の背中を見て、スーザンは己を犠牲に仲間を救うため自ら敵の手中に落ちる両片想いの女の子に己の無力さを噛み締めながら引き止めようと叫ぶバトルアニメの主人公さながらに鈴鳴奈の名を呼んだ。

「れおなぁぁぁぁぁあああ!!」

スーザン渾身の叫び。しかしその耳に届いたのは鈴鳴奈の悲鳴ではなかった。

「ぐはっ」

「ぐぉっ」

「ぎゃぁっ」

「ぐはあっ」

「ぶっ」

「がぁぁっ」

「うぴょっ」

短い悲鳴を上げて次々と散ってゆく男たち。鈴鳴奈は鞘にパチンと刀を納めると、鼻を鳴らしてこう言った。

「ふん、他愛もない」

スーザンは膝立ちのまま尊敬と希望の眼差しで鈴鳴奈の横顔を眺めた。

「な、なんて強いんだ……。これなら鈴鳴奈さんのお母さんにも勝てるかも……!」

しかしスーザンの希望を浮かべた表情とは真逆に、鈴鳴奈は未だ厳しい顔をしている。それもそのはず、鈴鳴奈が圧倒的強さで黒服たちを一掃してもなお、香苗は余裕の笑みを浮かべている。

「ふむ……なかなか強くなったではないか、鈴鳴奈。こいつらではもう歯が立たないか。だが、妾は倒せまい」

「鈴鳴奈ならやれるさ、なっ!」

「いや……私の母様は本当に強い……」

鈴鳴奈の頬を流れる冷や汗を見て、スーザンはその顔に不安の色を浮かべた。

「鈴鳴奈でもダメなんて……。そうだ!モンキーの力を解放すれば……!」

「ダメよ、母様はスーパーモンキーを持っておられる……」

「ど、どうすればいいんだ……」

アホみたいな会話を真剣な顔で交わす二人。その間に香苗の声が割り込んできた。彼女の顔は天空の城で三分間待ってやった男の顔に似ていた。

「話は終わったか?そこの馬の骨、何か言い残すことがあるなら聞いてやるぞ」

「え?ええと……」

スーザンが遺言を考え始めてすぐ、香苗は鈴鳴奈に目を向けた。彼女にスーザンの話を聞く気は元よりない。

「では鈴鳴奈……いくぞ」

「……はい。お母様」

「え、あの、まだ……」

もごもごと口を動かすスーザンなどには目もくれず、鈴鳴奈と香苗は全力で衝突した。二人の気迫にスーザンは軽く十歩ほど後ろに下がる。

「うおおおおおお!」

「うあぁぁあぁぁ!」

「卍解!スーパーモンキーデスクラッシャー!」

香苗は大きな動きで扇子を振ると、その先端をビシリと鈴鳴奈に突き付けた。巨大な風の塊が彼女の周囲を覆う。鈴鳴奈は思った。「母様の卍解……なんて霊圧!」と。その表情は真剣そのものだ。少し離れたところでスーザンは思った。「あのオバサンは一体何かしたいんだ」と。

「ならば私も……!卍解!モンキードラゴンアタック!」

鈴鳴奈は演技がかった大きな動きで刀を抜く。彼女の足元で砂が舞った。香苗は娘のその姿を見て鼻で笑った。ちなみに先程から何度か登場している「卍解」という単語は、某死神系少年漫画の造語である。大人が真顔で言っていい単語ではない。

「はッ、その程度の卍解で妾に勝てると思っておるのか?」

「勝てるとは思っておりません……。しかし、勝たねばならぬのですっ!」

「覚悟は出来ているということか……。ならば容赦はせぬ。ゆくぞ、鈴鳴奈」

「……!」

「最終奥義、デスドール」

「ドラゴンファイアー!」

スーザンは思った。「この親娘は一体何かしたいんだ」と。この場において彼は完全に蚊帳の外で、ノリノリな二人に全くついて行けなかった。と同時について行きたくもないなと思った。

スーザンはそんな風に思ったが、しかし鈴鳴奈と香苗が見ている世界は彼とは違った。鈴鳴奈には香苗の背後に巨大なフランス人形が見えていたし、香苗には鈴鳴奈の刀の刀身に炎の龍が絡みついているのが見えていた。スーザンからはふざけ合っているようにしか見えないが、彼女達は本気の戦いをしていたのだ。そんなわけで、スーザンの目に映る奇妙な攻撃名を叫びながら真剣に対峙する母娘の姿は酷く滑稽であった。

スーザンが、間にも入れずかといって一人で帰るわけにもいかず、手持ち無沙汰に二人を眺めていたその時。香苗が何やら必殺技を繰り出し、突然強い風が吹いた。鈴鳴奈は刀を盾のように構えたが、スーザンには何がなんだかわからない。その風は鈴鳴奈とスーザンの身体を吹き飛ばしてしまう程の強さだった。

「うわあああっ!」

「きゃあああっ!」

鈴鳴奈は自身を守るように丸くなり、スーザンは甲高い悲鳴を上げながら、二人はもみくちゃになって吹っ飛んでいった。それは数メートルとかそういうレベルではなく、香苗の視界から見えなくなるほど遠くまでであった。香苗は焦って叫ぶ。

「しまった!鈴鳴奈まで吹き飛ばしてしまった!」

それから背後に転がる黒服たちを足で小突いて回る。

「おい、お前等!起きろ!」

黒服たちは蹴られたところを押さえながらよろよろと立ち上がる。顔色の悪い小男は「うぴょっ」と返事をして香苗のすぐ近くに立った。

「お前等、鈴鳴奈を追うのだ!急げ!」

「はッ!」

香苗の大声での命令に、黒服たちは背筋を伸ばして普段より凛々しい返事をした。

ただ、やはり顔色の悪い小男だけは他の男たちとは違う返事をする。彼はこう言った。

「オーケー、この命に代えても」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る