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 僕らが乗る車の2台挟んで前方に、所沢と桜江さんとキムさんを乗せた車が走っている。こちらの運転は紫門さんが行っているが、……………………まあ、うん。

 今後この人が運転する車には乗るまいと堅く誓う位の技量ではあった。


「バイトには、今日は仕事休んで良いって伝えておきましたよ」

 言われた通り紅茶を買って出社したら事務所はもぬけの殻で、バイトは何事かと僕に電話を掛けてきた。特に深く事情を説明することもなく、ただ帰るように伝えると、相手も特に質問などをすることもなく「わかりました」とだけ言って電話を切った。

「良かった。あのまま事務所にいられたら少々厄介だからね。ついでに明日からもう来なくて良いってもの伝えておいた方が良さそうだ。……っと」

 何でもないところでの急ブレーキ。この人は車間距離というものが麻痺しているのか、結構ギリギリになるまで速度を緩めず運転する。その上、常に急発進などを行っており、僕の三半規管はもうそろそろ限界を迎えそうだった。


 車に揺られること15分。所沢を乗せた車は先に最寄りの銀行に到着し、僕らの車は少しして同じ駐車場に停車した。紫門さんは車内で上着を着替え、血糊で赤く染まったシャツやベストを後部座席に放り投げた。

 窓から銀行の中を確認しながら入り口に回ると、所沢はすでに窓口に座って必死に何かを訴えかけ、それを見守るように少し後ろに桜江さんとキムさんが立っている。一見すると関係者には見えない、うまい立ち位置だ。

「僕らも隣のブースに移動しよう。ここからもっと楽しくなる」

 紫門さんはそそくさと足早に歩を進め、僕は急いでその後を追う。

「え、もしもバレたらどうするんですか!?」

「大丈夫。今彼の頭は他のことに夢中だから。それにブースは各パーテションで区切られていて、隣同士の顔は見えない。意外に近づいても気付かれないものさ」

 そう言って紫門さんはさっさと隣のブースに移動した。各ブースは2人までが横並びで座れるようになっており、僕も急いで紫門さんの隣に腰を下ろす。対面の窓口に座る男性が怪訝そうな顔でこちらを見返したが、紫門さんは人差し指を唇に押し当て、黙っててとジェスチャーをした。


 ここまで近づけば、所沢の喚きもちゃんとした言語として聞こえてくる。彼の叫びは悲痛なものだった。


「どうして口座が凍結されてるんだよ!」

「その……、大変申し訳にくいのですが……、お客様の銀行口座が詐欺の振込先だと疑われており、そのような連絡先も来ているため、凍結に至った次第でございます」

「そんなっ! なんとか、今すぐ凍結を解除してもらわないと困るんだ! 100万、100万だけでも良いから!」

「何とかと申されましても…………。それでしたら、何か取引の正当性を証明できるものはございますか? 取引の正当性が確認できましたら、凍結解除の申請を致しますので」

「正当性…………。そうだ、銀行口座の届印ならある!」


 いや、どうしてそうなる。つい口でツッコミそうになるのを必死で堪えた。


 まあ銃で撃たれた死体(偽装)を見せつけられ、車中で脅され、引き下ろそうとした銀行口座も凍結されていればマトモな考えが出来なくなっても無理はないか。そうでなくとも日常的に論理的思考が破綻している奴だ。むしろ可哀想にもなってきたな…………。


 担当している銀行員も対応に困り言葉が出せないでいるのだろう、ただただ息を吸う音が聞こえるだけだったが、次に聞こえた声は更に悲観めいた所沢の声だった。


「………………どうしてっ!? …………こっちも!?」


 なんだ? 何が起こっている?

 僕が紫門さんの顔を見返すと、彼は笑い声を必死に堪えて肩を震わせていた。その反応で、また何かやったのかと確信をする。そして、何をやったのかは直ぐに所沢が教えてくれた。



 今日一の悲鳴が銀行内に響いた。同時に、視界の隅に青色の物体が横切るのが見て取れ、本能的にそちらの方を向くと、そこには銀行に入ってくる警察官の姿があった。

 よくよく考えてみれば、振り込め詐欺の疑い濃厚の銀行口座で金を引き出したいと窓口に来た相手を通報しない事なんかないか……。入ってきた警察官は所沢のところに直行する。

 所沢は抵抗するかと予想したが、警察官を認知するや否や「助けてください!」と声を出した。

「助けてください! 俺は命を狙われているんです! そこの二人にッ!」

 パーテションで区切られてて良く分からないが、話の流れ的に少し離れた席で様子を伺う桜江さんたちに向けて言っているのだろう。桜江さんは「なんのことだか」と否定をする。

「お前たち、殺したろ! 俺の事務所で! 紫門を銃で撃ったんだ、この目で見た! きっと羽藤もその後殺されてる!」


 死んでない。

 —————いや、確かに裏の事情を知らなければ、あのまま殺されていると思われても仕方がないか。


「お巡りさん、今すぐ事務所に来てください! そこにはコイツらが殺した死体があるんです! お願いします、お願いしますっ!」


 所沢の鬼気迫る口調に何か感じるものがあったのか、警察官は無線で何かを呟いた後、

「分かった。とりあえず事務所に案内してくれ。でもその後で事情聴取は受けてもらう。……一応、あなた達も来てもらえますか?」

「ああ……。ええ、良いですよ。協力します。調査に協力するのは国民の義務ですから」

「ご協力感謝します」


 あっさり素直に桜江さん達は付いていくことを了承し、それを知って所沢は打って変わって笑い声をあげた。

「えっへへへ。お前ら、終わったな! 事務所に着いたら、お前ら、終わりだかんな!」


 高らかな笑い声をあげてパトカーの中に入って行く所沢を尻目に、彼が完全に車の中に入ると紫門さんは笑い声をあげた。再び窓口の奥に座る男性が睨みつけると、紫門さんは軽く手を振ってから席を立ち、銀行の出口に向かったので僕も後を追った。


「終わりなのは彼の方だよ。もちろん事務所には死体なんてないし、逆に振り込め詐欺の証拠品がこれでもかと並んでる。警察は徹底的に調べ上げるだろうね。もちろん、僕らに繋がる情報はナシ」


 遠ざかるパトカーを見つめながら紫門さんは呟いた。この結果も、この人の計画通りということだろう、僕は色々と疑問に思うところがあり、順に聞くこととする。

 所沢がパトカーに連れ去られた今、頃合い的にも良いタイミングだと思う。


「その、どうして警察官じゃなくて、あの二人を呼んだんですか? ヤクザの真似事なんかもさせて」

「まず第一に、彼の運営状態から言ってヤクザの後ろ盾がないことは明白だった。事務所も小さいし管理が行き届いていない。明らかに個人経営ですって感じで、素人丸出しだったからね。そんな中、ガタイの良い二人組に詰め寄られたら、用心棒もいない所沢は従うしかない。銃で死体でも出ればさらに完璧だ。

 第二に、僕らと所沢を引き離す必要があった。物理的に、そして法的にもね。彼が警察に逮捕された時、明らかに僕らが近くにいれば同じように逮捕される。それは避ける必要があった。加えて、もともと関係の浅いバイトくん達はどうにかなるが、高校からの交流のある君も詐欺に加担していると彼は逮捕後あっさり言うだろう。でも、彼の中で死んでしまえば、その危険性も取り払われる。死んだ人間を共犯者として売っても意味がないしね」

「でも、事務所には……」

「そうだね、死体はない。でも彼の中で桜江達はヤクザだ。彼の想像ではヤクザがどんなものか知らないけど、死体を隠す程度はできるって、認識はあるんじゃないかな?」

「なるほど…………。通帳の名義の件は? 昨日の時点では別の名義でしたし、それ以降触ってないですよね?」

「一昨日、偽造の口座開設を営む友人に会ったのは確かだけど、その時に作ったのは通帳のレプリカで口座名義は変えなかった。本来の目的である名義を所沢にするには、彼の生年月日や直筆のサインが必要だったから、占いと称して調達し、その後、本当に銀行に行って名義を変更した。翌日、朝イチで出勤してレプリカの通帳と交換して完了だ。誰も通帳の名義なんて毎日見ないだろうし、脅された状態だったら尚更だろうね」

 ああ、そう言えば姓名判断とか言って盛り上がっていたことを思い出す。よし、これから不用意に用紙に自分の名前を書くことは止めておこう。

「通帳の名義変更後、速やかに警察や銀行に電話を掛けて振り込め詐欺の報告をした。当然口座は凍結し、それを引き落としに来る相手は出し子として逮捕される。ついでに事務所に死体があって、撃った犯人も近くにいれば、死体がある事務所に警察官を連れて行くだろう。ここは少し賭けだったけど、所沢の本気度と警察官の生真面目さが功を奏したね。パンアウトだ」


 …………なるほど。本当に、何から何まで計算通りだったってことか。

「あの、いつ頃こうしようと思ったんですか? この計画、昨日の時点では出来てましたよね?」

「あー、事務所に来た瞬間だね。通帳を手に入れるってのは第一目標で、用心棒がいないって確信した時点で構想が固まったよ。もともと所沢が思慮深くない奴ってのは君の話しで予想が付いたから、騙すことは難しくなかった」

「だったら言って…………」

 くれれば良いのに。そう言いかけて、僕は紫門さんが言っていた詐欺師の条件を思い出した。

「なるほど、”詐欺師は人を信用させるが——」

「自らは誰も信用してはならない”。そう言うことだよ」

 僕の言葉に紫門さんは嬉しそうに続け、満面の笑みを浮かべた。

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