5
数秒の沈黙が僕と紫門さんの間に流れる。
何か答えなくちゃいけない。そう意識はしているのに、それに次ぐ答えが出てこない。
時計にして多分5秒だろう。体感的には5分くらい経過している気もするが、大体リアルタイムではそんなもんだ。それほど長い沈黙というわけでも無いが、もうここまで来たら何を言っても無駄だろう。時に沈黙とは何よりも雄弁だ。
僕の反応を見て全てを悟ったのか、紫門さんは姿勢を崩し、背もたれに寄っ掛かった。ほぼ同時に注文していたコーヒーがテーブルへと運ばれ、僕の前にこつりと置かれる。
「同業者。いや、”元”同業者の性ってやつかな。嗅ぎ分けられるんだよ。自覚してそういう商売をしている人種は」
普段通りの表情に戻り、彼は指で自分の鼻を軽く叩いた。
「あの……。それで、どうするんです? 通報…………とか?」
紫門さんの腹づもりが全く分からず、僕は質問することにする。我ながら情けない声を出していると自覚してしまうが、そんなことは気にもしていない様子で紫門さんは「ハハッ」と笑った。
「いいや、しないよ。第一、今の状態では証拠不十分だろう。そう言うことをしに来たんじゃ無い。僕は君を、救いに来たんだ」
「救いって……」
「君は後悔している。でも、抜け出せないでいる。表情や話し方を見ればわかる。昨日も自分の職業を言う時には言い淀んだ。恥じている証拠だ。それに、僕が詐欺師だと分かったら、こういった行動も取っていたね」
そう言って紫門さんは自分の額に手を当てた。——やっていたか? 無意識で記憶にない。
「これも大衆が多く行う”恥じ”の行為だ。大抵、詐欺師と聞いた時の他人の反応は”興味”か”侮蔑”だけど、君は違った。自分自身を恥じていた。これは興味深い」
「あの……っ!」
何か言おうとして紫門さんの顔を見返したと同時に、喫茶店の出入口が開いた音が聞こえ、目を向けると安藤の姿がそこにはあった。安藤は僕と目が合うと満面の笑みを浮かべて手を振り、僕らが居るテーブルへ近づいてきた。
「続きは後で」
タイミングよく来た紅茶に口を付け、紫門さんはニコリと笑った。
「なんだよ。俺が来る前に紫門と話してたのか!? 二人で盛り上がっててずるいぞー!」
テーブルに着くなり、椅子に座りもせず安藤は僕らの顔を見返していた。コイツはいつでも楽しそうで、昔から変わらない。当然自覚はないだろうが、彼と話していると、遠くの世界に行ってしまった僕を引き止めてくれている感覚がしていた。
「いや、盛り上がってって言う話じゃ……。って言うか、お前、昨日会ったばかりの人によく呼び捨て出来るな」
「紫門が良いって言ったんだよ。あの後電話で話してさー」
「ああ、安藤くん。そのことはコレで」
紫門は人差し指を立てて自分の唇に軽く押し当てた。何事か少しは気になるが、安藤のことだから大したことでもないだろう。
「あ、そうでした! これは、二人だけの秘密でしたねー」
意味深な笑みを浮かべて安藤は僕の方を見つめる。うむ、ぶちのめすぞ。
「秘密については打ち明けられないけど、君も僕を紫門て呼びたかったら、呼んで良いよ。下の名前のヘイカでもいい。柄に、花って書いて、
「いや、遠慮しときます」
つい先ほどまでの緊迫した空気を味わって、その相手を呼び捨てにできるほど僕の神経は太くなかった。
「で、今日は何をお話ししてくれます?」
期待に胸を膨らませているのだろう。安藤は輝かしい表情で紫門さんを見つめていた。
《……なるほど、いわゆる振り込め詐欺って奴だね》
自宅に到着した直後に携帯電話が鳴り、画面に【紫門さん】の文字が表示される。扉を閉じた瞬間に鳴り出したので、どこかから監視されているのではないかと心配になった。僕なんか監視したところでメリットもないだろうけど、こうもタイミングが良いと疑いたくなる気持ちにもなる。
電話を取り、挨拶もそこそこに話の本題に入った。僕が今やっている仕事を軽く説明すると、流石に手垢が付きまくった手口ということもあり、直ぐに紫門さんは理解を示した。
「ええ……、でも僕を救うって、どうやってやるんですか?」
《その方法に関してはこれから考えるよ。とにかく先ずは君の仕事場に潜入する必要があるね。幸運なことに、机は一つ空いているみたいだし》
「あ、じゃあ僕の友人ということで、紹介しましょうか?」
《いや、君と僕の関係性が表立って露見してしまうと厄介だ。下手すると所長に疑われて変に警戒されるのも困るから、所長からスカウトしてもらうのが丁度良い》
「スカウトって……。それこそどうするんです?」
《簡単だよ。所長について、君が知っていることを教えてくれれば良い。後はこっちの方で何とかするから》
そう言って、紫門さんは色々と所長の所沢に関して質問を始めた。所沢は高校時代の先輩ということもあり、付き合いも長いため、ある程度の質問には答えられた。ついでに所沢の写真もお願いされたので、添付してLINEに載せる。
《ありがとう。後は何とかなるだろう、明日になったらわかるよ。それじゃ》
楽しそうに弾む声とともに電話は切れた。少し一抹の不安も感じるが、何となく、あの人なら何とかしてくれそうな気がした。
次の日、期待と不安が同梱された状態でいつもの事務所に向かったが、そこには普段と変わらない日常の光景が広がっていた。
事務所に着いた瞬間、何かが変わっているのではないかと期待している自分がいたが、昨日の晩から今日の朝でそう変化することもないか、と身勝手な失望をしていることに嫌気が差す。
「なんだ羽藤、体調不良か? しっかりしてくれよ。拾った恩義を返してくれ」
嘆息つく僕に所沢が声をかける。正直、拾った恩義と言うのならば十分な金額で返したと思うが、まともな神経回路をコイツに期待するだけ無駄だろう。僕は「あぁ、昨日ちょっと寝不足で」と適当に返事をすると聞いているんだか無いんだか、「へっ」と小さく鼻で笑った。芸のない男だと思う。
その後もゾロゾロといつも通りバイトが到着する。昨日、電話相手にコテンパンにされた井上も普通に来ており、何となくであるが少し安心した。
やはり昨日の今日じゃ何も変わらないか。そう思いいつもの様に仕事を開始するが、変化が起きたのは昼休憩のことだった。
「みんな聞いてくれ! マジでスゴいんだ!」
机にコンビニで買った弁当を広げ食事している中、所沢は物凄い勢いで扉を開け、僕らの注目を弁当からかっさらって行った。階段を急いで駆けてきたのか、息切れをし、額には汗が溢れ出ている。
「どうしたんすか? 所長?」
眠そうな声で平良が聞き返すと、「まあ聞けって」と返す。なら早く言えよ。と思ったが口には出さないことにした。
「とんでもない人をスカウトしてきた! いやマジで、この人はすごい! 紹介しよう!」
スカウト、という言葉を聞いてゾクっとした感覚が背筋に走った。まさかとは思ったが、所沢に続いて部屋に入ってきたのは、僕がよく知る、小綺麗な灰色のスーツパンツにパリッとしたワイシャツ、スーツと色を合わせたベストを着たハンサムな男が立っていた。
「ご紹介に預かりました。どうも、紫門柄花です」
紫門さんは昨日と変わらない、不敵な笑みを浮かべて僕らを見つめていた。
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