遺骸の街とオクタヴィア

こましろますく

プロローグ

 明かりも落ちた住宅街の深夜は、人通りも失われて閑散としている。日付が変わる直前の時ごろ、各所に点在する誘蛾灯が明滅しては、寄せられた蛾がそれに群がった。

 小振りの花を散りばめた梅の樹木から、はらはらと花弁がこぼれ始めた、春の始まり。幾らか暖かくなった気温も、夜闇が耽れば低下して、薄着では肌寒く感じるだろう。

 数時間前に過ぎ去った降雨が置き去りにしたペトリコールが、梅雨に似た臭いと小さな水溜りをそこかしこに残していた。

 まだ蕾も膨らんだままの徒桜の並木に沿った公道に行き交う乗用車は疎らだ。しかし暗幕の垂れた深夜の街では、その走行音すらも何処か騒がしく聞こえる。

──その出来事には、予兆、のようなものは何もなかった。

 活気溢れる街並みと街灯のおかげですっかり薄くなってしまったはずの星々の光明が、花曇りのその日はやけに眩しく見えたことや、季節の変わり目を前にして漠然とした思いを抱いた人々が多かったことが、もしかしたら何かの引き金になったのやもしれない。

 何にせよ、世界が終わりを迎えるにしては呆気なく、戦争や恐慌や飢餓地獄などという大仰な前触れはなかった。

 東京郊外の小さな公園の時計が、規則正しい音と共に秒針を進める。

 その長針と短針が、十二の文字を示して重なる。瞬間、世界の何処かで誰かが瞬いた刹那の事だった。

 この世界から生きとし生ける存在が、足音や嬌声も無く消え去った。文明の基盤を築き、生活圏を開拓して生物種を発展させた人間。その糧となる自然生物として、未だ未開拓な地に住まいをおいていた動物、それらの餌になりえる虫の類は。

 地球に強く根を張った雑多で屈強な植物と──たった一人の人間を残して、跡形もなく消え果てた。

 夜は進み、春と人は征く。

 やがて桜が散り、牡丹を崩し、椿の首を落としては菊が舞う四季の彩りだけを残し、世界は遺骸ゆいがいになった。

 季節は春。出会いと別れの季節。

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