メメント・モリって知っていますか?

 そういえば最近おしゃべりしていませんでしたね。久しぶりにこのラジオもやろうと思います。


 最近かんなづきは「呪術廻戦」という漫画にはまっています。今ちょうどアニメもやってますね! 主題歌がね、二つともめちゃくちゃカッコいいんですよ。思わずアレンジもしたほどです。



【呪術廻戦】廻廻奇譚 打楽器六重奏【Eve】

 https://youtu.be/uzrWSI47MNc


 よかったら聴きに来てくださいね。後気になったら原作もぜひぜひチェック!


 あんまり他作品と比べるべきではないですが、「進撃の巨人」や「東京喰種」のようなダークファンタジーが好きな方は面白いと感じるのではないかと思います。





 と言ってもおしゃべりすることは特にないんです。最近はあんまり小説も面白く書けないので、音楽の話でもしようかなと思います。


 僕はポピュラー音楽ではなくて芸術音楽を作る質なんですね。わかりやすく言えば歌じゃなくて曲と言った感じ。打楽器アンサンブルというジャンルを中心に活動しているんです。なんでかと言われたら、部活で打楽器をやってるからなんですけど。


 かんなづき、吹奏楽部なんですよ。今はもう引退しちゃったんですけど。

 まあ過去作見ればだいたい察しがつくかな……。


 吹奏楽部での演奏というと、芸術音楽がやはりメインになるんですね。正直学校に寄りますし、もちろんポップスステージで流行りの曲をやったりはするのでドラムとかも常人以上には嗜んでおりますが(米津さんのLOSERくらいなら叩けます)。


 吹奏楽以外にも個人のアレンジなどでポピュラー音楽に触れたりするので、作ろうと思えば可能なんですが、別に歌、歌えないんで無謀なんですよね。


 ちなみにOfficial髭男dismのボーカルの藤原さんも、学生時代は吹奏楽で打楽器をやっていたそうですよ。あの人はピアノも弾けますから音楽センスはピカイチなんでしょうね。加えて言葉選びも繊細ですから非の打ち所がないアーティストだと思います。めちゃくちゃ歌うまいし。



 すこし話がそれました。かんなづきの音楽活動についてですね。僕の自作曲の中にですね、こんな曲があるんです。


 メメント・モリ 打楽器アンサンブルのための「祈り」

 https://youtu.be/DpK_E7YoOXw


 

 これは大阪芸術大学が主催する、“世紀のダ・ヴィンチを探せ!”高校生アートコンペティション2019という全国規模の大会で音楽部門特別賞をいただいた作品なんですけど、自分の中でもかなり異色な曲なんですよね。


 一回純粋に曲だけ聴いてみてください。



 まあ、なんか不思議な感覚になると思うんですよ。サウンドは薄くてそこまでシンフォニックではないし無機質で機械的なものです。でもその奥で何か、心臓がうごめくような気がして気持ち悪くなってくる。さらに追い打ちの「絶対こんな使い方はされない」転調。わからない人にはマジで伝わらないと思いますが、途中で〈-4〉という転調をしています。hmoll から g moll への転調ですね。


 こんな転調普通しないんですよ。同主調でも平行調でもないし、属調でも下属調でもない。ゆえに「!?」という不自然な感覚が耳に残る。


 音楽なんかわかんない! という人でも「なんか怖……」くらいには感じるかもしれません。一概にそうではないと思いますが。


 この作品を作ったのは高1の終わりなんですけど、16歳にしてはかなり馬鹿なもの作ってんなぁと思います。




 タイトルにもなっている「メメント・モリ」という言葉。小説を嗜んでらっしゃる皆さんなら知ってる方も多いのではないでしょうか。


 ラテン語で「いつか自分が必ず死ぬことを忘れるな」という意味の言葉だそうです。自殺願望や希死念慮ではありません。生物としての終わりを自覚しろということですね。命についての音楽を作ってみたいなと、1年の僕はぼんやりと考えていたんです。なかなかキモい高校生ですね。






 そしてそれが動いたのが、2018年10月。僕はとある事情があって、南三陸を訪れたのです。


 南三陸です。


 意味、分かりますか?


 そうですね。当時から数えて約7年と半年前、その大地のすべてを奪った津波の残穢を見に行ったのです。


 とてつもない風景でした。


 僕が見に行った場所は大きく分けて二つ。石巻市立大川小学校と南三陸町の総合防災庁舎です。防災庁舎は被災後のむき出しになった赤い鉄骨が非常に有名なので、皆さんも一度は目にしたことがあるのではないかと思います。


 

 まずは石巻市立大川小学校。


 この小学校はですね、立地で言うと川のすぐ近くなんですね。一本道があって、そこにはかつて集落があったのですが、津波の影響でコンクリート製だった小学校の残骸以外すべてが攫われていました。


 あんな雰囲気を僕はそれまで一度も感じたことがありませんでした。ありえないくらいの静寂。静かなのにかえってうるさいのです。湿度。地面は中流域の川底に多く見られるような小石がいっぱいで、すごく歩きにくい。



 まるで、こっちに来るなと言われているかのように。



 大川小学校はすごくモダンな建物でした。基本的にはコンクリートでできていて、校庭も広く、かつて広がっていた児童たちの爛漫な声が耳元に残っているような感覚を覚えました。それでもすぐに、目の前の光景に意識が戻されて、ここで起きた惨劇を肌に感じるのです。

 

 壁がなくなった校舎は校庭から教室の様子が丸見えで、黒板には「 月 日」とだけ残っていました。かつてそこが小学校であったことが、これでもかと言うほど視覚的情報として供給されるのです。


「津波でんでんこ」


 その地域にも伝わっていた避難教訓だそうです。

 津波が来たら、取る者も取らず、肉親にも構わず、てんでんばらばらに高台へ逃げなさい。自分の命は自分で守りなさい。


 大川小学校の裏にはすぐに登れる高台がありました。僕が訪れた時には、その高台の斜面と校舎の壁に津波の跡が残っていて、当時襲った水位が判別できるようになっていたのですが、その高台に登れば、津波に飲み込まれることはないといった高さでした。



 2011年3月11日、大川小学校で津波に飲み込まれて亡くなった児童の数は74人に上ったそうです。



 河口から4キロ。記憶が正しければ、地震発生から津波到達までは3~40分ほどだったと言います。(間違っていたらごめんなさい)


 大川小学校の惨劇が「人災」と呼ばれる理由です。


 津波でんでんこに従って非難指示を出していたら、もしかしたら死者が出なかった可能性も十分にある。当時の小学校教員たちは、極限の環境下で何を考え、何をしようとしていたのか……。


 あの震災当時は僕も小学校2年生でしたから、自分と同い年、または少し上の年代。生きていれば今年の成人式で晴れ姿を親御さんたちに見せられたかもしれないような子どもたちが、圧倒的な自然の驚異に飲まれました。



 ちなみなんですが、発見された(現在も行方不明のままの方もいらっしゃるそうです)遺体の肺に水が入っていなかったケースが多かったそうです。


 どういうことだかわかりますか。


 津波に飲まれた子どもたちは、溺死ではなく、水圧によって地面にたたきつけられて圧死したということです。河川敷の斜面と津波の間には、トラックをも超える衝撃が生まれるのだそう。


 それを現地の人から現場で聞いた時は、心臓が焼けるような苦しみに襲われました。今自分が立っているその場所で、同い年の子が死んでるんですよ、と。


 津波に飲まれても泳いで助かるのではないか、と一度は誰もが考えるかと思いますが、


 無理です。そんなの。


 高さ1mの津波であってもそのパワーは人力ではどうにもならないみたいです。それはそうですよね。向こうの質量が大きすぎます。何百tなんですかね。




 続いては南三陸町総合防災庁舎ですね。ここは元々三階建ての建物だったのですが、残った鉄骨の様子を見ると、屋上がギリギリ水上に出るか、もしくはすべて飲み込まれたのが見て分かります。


 ちなみに危険なので、すぐ近くまで寄ることはできませんでした。立ち入り禁止なんですね。なので、目視で確認できる程度の距離で見ると言った感じなんです。


 津波が襲ったその日、職員さんは津波が到着する最後の最後まで庁舎に残り、避難する放送をかけていたそうです。もちろん、津波によって亡くなられました。自分の命を顧みずより多くの命を助けることを選択したんです。


 これもまた現地の方から聞いた話です。


 もちろんテレビではここまで細かく報道されませんし、映像を通してわかる災害の恐ろしさと実際に襲ってくる悪魔では風貌が全く違います。


 しかもいつ来るかがわからない。数十分経っても津波が来る気配がないから、と家に戻った人がはみんな亡くなったと聞きました。


 こんなにもわかりやすく人が死んで、その残骸も目を背けたいほど堂々と残っている。広島の原爆ドームに並ぶ静寂の威力です。人生で一度は、足を運んでほしいなと思います。特に今を生きる中高生のみなさんは。




 話はメメント・モリに戻ります。これを受けて、命に関わる音楽に対して、大きなインスピレーションが出来ました。少し前にZOZOTOWNの前澤さんが、アーティストを宇宙旅行(月でしたっけ?)に招待するみたいな話をしていましたが、そういうインスピレーションは本当に衝撃的なものがあります。



 しかし。


 

 どう音楽にしようか? となるわけですね。


 その時点で作曲歴は約1年半。大した作品を残してきたわけではないのに、完全に形のないものに関して、それを人間の可聴領域に具現化しなければならない。かなり難解なタスクです。


 そもそも人が死ぬということを自分はどれだけわかっているのか。自分で一回死んでみるのが一番手っ取り早いんですけど、あの世に楽譜は持って行けないわけですね。となると、誰も見たことがないその世界を覗くカメラが必要だと。


 僕がカメラマンになったきっかけは元を正すとここだったかも知れません。




 時は動きました。あってはならないことが起こったのです。


 結論から言うと、この曲を完成に導いたのは、同学園に通うとある中学生の死でした。Aくんとしましょう。


 寒い冬のある日、部活を終えて校舎を出た僕の目に入ったのは、赤光をともした救急車と、その中に担架で運ばれて行くAくんの姿でした。部活中に突然倒れたと、後から聞きました。


 Aくんと面識があったわけではありませんが、その光景は強く記憶に残りました。


 それから約二か月後、三学期の終業式で彼の訃報を聞きました。


 全校生徒が集められた体育館に、黙とうの静穏が響き渡ります。それは、瓦礫の遺された町で聞いた音に瓜二つだったのです。



 

 命の音楽。それは、生きることの輝きを映し出すことでも、死後の世界を予想する結果でもなかったのです。


 聴いている者が、「生きている」ことを感じるとともに「死がすぐ隣にある可能性」に気付くような音楽であると。それはいつだってすぐそこにあるはずなのに、普通は目を向けないもの。


 歩いているときに、後ろから車に追突される可能性は皆無ではありません。急に胸が苦しくなって倒れるかもしれませんし、雷に打たれるかもしれません。


 もしかしたら誰かの恨みを買って殺されるかも……。




 いろんなことを考えたんですが、最終的にあの曲を作ったその瞬間は全く覚えていません。特に何も考えず手を動かしていた間隔。生の中にある無意識で作った音楽があれです。


 作曲者自身も、あの曲に後から気付かされる部分もありましたからね。じゃああの曲を作ったのは本当にかんなづきなのかって話ですが。


 圧倒的なインスピレーションの後の自分の無意識の領域に残ったもの。それが自然な形で出たのかなと思います。その領域には僕も認識していないような「死への恐怖」とか「生きることの苦しみ」みたいなものがこっそり存在している。


 でも無意識は変わっていたとしても、僕自身はそこまで変わってないと思います。



 だっていつぞやの応援コメントで「あなたは年齢的に身近な人の死に出会ったことがないからこんなに命をぞんざいに扱えるんですね」って言われましたからね。



 ……そういうことですよね。( 一一)っ旦


 

 いっそあんたの前で首を掻き切って死に様見せつけてやろうかと思った所存ですよ。絶対しませんけどねそんなこと。


 皆さんも自分の無意識を探ってみてはいかがでしょうか?





 かんなづきはカクヨムの他にYouTubeでも活動しています。

 https://www.youtube.com/channel/UC-FMy74f2qCN2Yl5K_L6YHw



 よかったら見に来てください。



 Twitterはこちら↓

 https://twitter.com/OctobeSS




◆今回の人生の二択はこちら!◆


「どっちかっていうと、どっち?」

 


・血管に優しさを流したい。


・皮膚を愛で覆いたい。






 それではまたどこかでお会いしましょう。おやすみなさい。

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