かんなづき放送局【放課後のおしゃべり】

かんなづき

Web小説についてのおしゃべり①

 僕はあのー、カクヨムっていうサイトで活動させていただいてるんですよね。あの、なんていうのかな。Web小説? っていうのを投稿できるサイトなんですけど。



 まあそういうサイトはカクヨム以外にも色々あるみたいなんですけど、僕はカクヨムだけを使ってるんですね。



 このWeb小説って、結構面白いんですよ。



 あ、作品がってことではなくて、その、風潮が。もちろん面白い作品山ほどありますけどね。



 それは何かというとですね……。



「作者が注目されがち」



 これなんですよねー。



 作者信仰とまでは言わなくていいと思うんですけど、まあ何かと作者が持ち上げられることが多いんですよ。特にあれですね、あの、○○大賞とか○○コンテストみたいなイベントの受賞とかですね。



 前提として、小説は作者がいて成り立つじゃないですか。まあ設定も構成も、そして文字を打つのも作者がやってるわけですよね。



 まあだからその、作者が「創造主」であって、作品の良さとか評価、……まあカクヨムで言うとレビューとか応援コメントに当たると思いますが、これが作者に帰着するのはなんとなく納得できる気がします。



 作者は「読んでいただいてる」って言ってて、読者は「読ませていただいてる」って言っててみたいな。まあ平和な世界だと思います。






 でも何か、心の奥底に気持ち悪さが残ってる気もするんですよね。あ、これは僕の感覚なんで無視していただいてもいいんですけど。



「作品は作者のもの」



 こういう文句を僕は何回か見ました。自分の作品でも他の作品でも。



 作者って言うぐらいですからそれに誤りはないと思うんですけど、じゃあそもそもその作品っていうのは何でできているんでしょう。



 これは多くの場合「誰かの人生」だと思いませんか?



 登場するのが「人」とは限りませんが、まあ何かの生物ですよね。あ、ロボットは生きてると考えてください。一回だけ。じゃないと分かりにくいので。



 その人生って、作者が作ったんですかね?



 いや、そうだろって決めつけずに一回落ち着いて。



 画面の向こうの彼らにもお父さんとお母さんがいるじゃないですか。きっと。ロボットだったら製作者がいるわけですよね。



 無数の人生が存在してるんですよ。僕たちの世界と同じように時間が流れている。



 その世界の価値をすべて作者に帰着させていいのかと言ったら、まあなんか腑に落ちないと言うか、不思議な感覚になります。僕は。



 僕は、ですからね? これは感覚の押し付けでもそういう宗教でもないですよ?



 まあここら辺の話は、以前、『独白の夜 《鬻ぎ筆》』という文章の中で一度語ってるんですけど。



『独白の夜 《鬻ぎ筆》』はこちら

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054918201883



 かんなづきは「小説家」じゃないって話ですね。まあ気になったらどうぞ。



 じゃあ話を戻しましょうか。何の話でしたっけ?



 あ、画面の向こうの人生の話ですよね。そう。



 まあ読者さんたちはその、ひとつ、小説を楽しむという目的で読まれてるとは思うんですよ。あ、理由なんてこれだけじゃないってわかってます。



 応援コメントなどで、



「楽しませていただいてます」



 みたいな言葉をくださる方とか結構いるので、そうなんじゃないかと思うわけですけど。



 楽しませてるのって、作者なんでしょうか。これ素朴な疑問になるんです。



 日々物語を更新していくのは作者ですから作者が楽しませてるって言えるのかもしれませんけど、実際読者さんたちが見てるのって、小説の中身じゃないですか。



 言い換えれば、画面の向こうの人生、なわけですよ。



 じゃあ楽しませてるのって、作者じゃなくて登場人物たちなんじゃ、とか思ってしまう。実際「作者の文章を読む」ためではなく「ストーリー、展開が気になる」からその小説を開いてるんですよね。あとは「キャラが好きだから」とか?



 もちろん、「この作者のファンで!」みたいなのもあるとは思いますし、それを否定する気は毛頭ないです。



 登場人物たちももうちょっと陽の目を浴びてほしい。自分の作品に対してももちろんそう思いますよ。彼ら、舞台装置じゃないんですよ。小道具でもないんですよ。



 でもなかなか読者には伝わらないんですよね。これ。





『助けた美少女JKが可哀そうすぎて同棲を始めるしかなかった』

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054894884567



 っていう作品があるんですけど、まあこれは、かんなづき史上最大の問題作ですね。


 

 僕は今高校生ですけど、高校生が受けるには珍しい程の誹謗中傷を受けた作品ですね。いやーすごかったですね。死んでやろうかと思いましたからね笑。まあ誹謗中傷の話は別の機会に喋るとしましょう。



 この作品はもう完結してしまっているので、今新しい応援コメントが投稿されることってそこまでないんですけど、これはなんというか「作者信仰」の真髄を見た気がします。



 展開に対する非難が作者に来るのは当たり前じゃないですか。それに対して登場人物たちが責められる筋合いなんてないわけで。



 実は一部登場人物を侮辱するようなコメント、ありましたけどね。きっとそういう人たちは人の目を見てありがとうとか言えない人たちですよ。根拠のない偏見なんですけどね笑。



 そうではなくて、普通の応援コメントやレビューコメントです。



 コメントって言うくらいなんで作者への応援や感謝の言葉が多く出るのは間違ったことではないんですけど、ちょっとあまりにも登場人物へのコメントが少なかったんですよね。完結した時の最終回が顕著かなとは思います。



 登場人物たちへのコメントがないわけではないんですよ? ただそれよりも作者へのコメントが圧倒的に多い。


 

 完結したら「作者さんお疲れさまでした!」で埋め尽くされちゃうんですよ。画面の向こうの彼らは何も終わってないのに、もう全部済んだみたいになっちゃって。



 なんかまるで、作者である僕が、伝えたいことを書くために彼らの人生を道具として使っただけみたいな感覚になりませんか?


 

 それが何だか、汚い言葉で言うと気持ち悪いんですよね。



 画面の向こう側の彼らに申し訳ないと言うか……。



 もちろん応援コメントやレビューをいただけるのはありがたいし、



「それがカクヨムってもんやろ! 読んでもらってコメントまでもらってるのに贅沢言うな!」



 って言われるのもわかるんですけど。個人的には、作者である自分なんかどうでもよくて、もっと登場人物たちを見てほしかったですね……笑。



 こういう話をあとがきでちょっとしてみたら、「作者さんさすがに自己評価低いですよ~」と言われました。確かにこの考え方は小説家としては自己評価最悪かもしれません笑。



 作者が高校生だから。



 ひどい言葉を浴びせられながら最後まで書き切ったから。



 メッセージ性が強かったから。



 そう言った称賛の肥料もあるのかもしれないですが、画面の向こうの彼らも高校生でしたし、僕なんかよりもずっと心傷つけられて生きてたわけです。これから先もそうやって生きて行かなくちゃいけないと。



 これ鬻ぎ筆でも言ったんですけど、作者が称賛されるのなんて、彼らの映し出すカメラの画質がちょっといいからなんですよ。それだけなんですよね。僕がしてること。



 ドラマだってどちらかと言えばカメラワークよりかは俳優さん女優さんの演技に注目しちゃうじゃないですか。同じですよ。それと。





 あ、一応ラジオを語ってるので音楽でもかけましょうか。

 そうですね……何がいいかな……。



 これにしましょうか。



【ヨルシカ】思想犯 打楽器五重奏

 https://youtu.be/_aziHXlBvdo



 僕のYouTubeチャンネルからです。アレンジなんですけど、結構綺麗なのでよかったら聴きながら続きをどうぞ。

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