under the daylight

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 気付いているのは自分だけ。見えているのは自分だけ。他の人には見えない。

 そういうものがある。

 それが分からなかった頃、自分が指し示す先を怪訝そうに見ては首をかしげる家族に苛立ちながら拙い言葉でその存在を繰り返し伝えた。

 けれど妄想癖のある子供だと判断した家族は、根気強くそんなものはいないと諭す。

 その繰り返しと学校生活を送る中で、だんだんと理解した。

 自分の見えているもの全てを、他の人が見えているわけではないということを。

 そのことが生活するうえで、弊害になると幼いながらに理解した私は口を噤むことをえらんだ。

 見えることは当たり前すぎて、どれが普通でないものか区別がつけられなかったから、そうするしかなかった。

 突然無口になった子供に対し、家族は怪訝にも思わず、妄想癖がなくなったと安心したようだった。

 そしてわずかにいた友人たちも、しゃべらなくなった私から自然とはなれ、一人でいることが多くなった。

 平気なふりをしていたけれど、息苦しかった。家も、学校も。

 誰か、がいる場所は。

 学校帰りや休みの日、一人になれるところを探した。

 さびれた公園、路地裏の空き地、橋の下。長い時間、そこで過ごした。

 不思議とそういう場所には、他の人には見えないと思われるものがよく集まっていた。

 空に漂う淡い色のまるい靄が他の人の目には見えないものだということは、その頃はさすがに分かっていた。

 どこか薄暗いそれら場所で、ふよふよと浮かぶそれらを見ているのは、なんだか心が慰められた。

「もったいないよね、見えない人って。かわいいのに」

 指先でつつくと靄は分裂して小さなまるい靄になる。ふよふよとした動きが同意をしてくれているように思えて、それがうれしかった。

「みんな、キミたちみたいだったら良いのに」

 指先にとまった小さな靄に微笑う。

 その靄がびくりとすくんだように見えた。

 顔を上げると、空き地の端に人がいた。

 人の形をしていても、他の人には見えないこともあるけれど、その人は生きている普通の人に見えた。正確には普通の人よりもくっきりしている感じがした。

 突然現れたその男の人に、靄と同様に私もすくんだ。どうしていいかわからなかった。

 靄みたいに、見えなくなればいいのにと思った。怖かった。

 その人はちらりと私を見て、そして指先の靄に目を止めたような気がした。そして周囲に浮かぶいくつもの靄、それぞれにも目を向ける。

 普通に見えるはずもないのに。

 その人の手元でかすかな音がする。

 小さな炎があがって、ライターに火をつけたんだとわかった。

 煙草のにおい、苦手だから、どっかに行ってほしいな。というか、他の人に入ってきてほしくなかった。数少ない、自分が息をつける場所なのだから。

 顔の高さに持ち上げたライターから突然、蒼い炎が空地を覆うように広がる。

 反射的に目をつぶる。

 そして、熱くも何もないことがわかって、そろそろと目を開けると、あの靄たちがひとつ残らずいなくなっていた。

「なんで。いないの?」

 思わずこぼしてしまった声に、あわてて自分の手で口を覆う。

 聞かれたら、変に思われる。

 大体、こんなところに一人でいること自体、おかしいと思われているはずだ。

「ああいうものと馴れ合わないほうが良い」

 近づいてきたその人は、ため息まじりに私に向かって言った。

 まだ若い人だった。お兄さんと呼ぶには大人だったけど、おじさんでは全然ない感じ。

「……なにが?」

「見えていたんだろう。靄のようなものが」

 本当のことをこたえるべきかどうか迷っていると、その人は小さく笑う。

「隠さなくてもいい。俺も見えてたし」

「…………ほんとうに?」

 信じられなかった。そんな人、今までいなかった。

「別に信じなくても構わない」

 あっさりとしたその言い方のせいで、逆に本当だと思えた。

「信じる。……私が、おかしいんじゃなかったんだ」

 力が抜けて、地面にへたり込む。

 誰も見えないものを、いると信じている自分は幻覚でも見ているのっではないかと思うことも、実はあった。

「見えない人の方が多いが、見えるやつも普通にいる」

 持っていたライターをポケットにしまいながらその人はつまらなそうに続ける。

「でも、見えるからといって近づきすぎるのはダメだ。出来れば、見えていないふりをするほうが良い」

「なんで?」

 何にも悪いことなんてない。とくにさっきまでいた靄のようなものは、かわいいし、そばにいて、慰めてくれる。

 大事な、友達みたいなのに。

「心を寄せれば、引っ張られる。懐いているように見えても、それは勘違いだ。あれらにそういう感情はない」

「そんなことない。わかってくれるもん」

 誰も、わかってくれないのに。

 あの子たちだけなのに。そばにいなくなったら、本当にひとりぼっちになってしまう。

 そんなのは嫌だった。ひとりは、さみしい。

「あの子たちのこと、なんにも、しらないくせにっ」

 いつの間にか、そばに戻ってきた靄が同意するように明滅した。

 ほら。やっぱりわかってくれてる。

「戻ってきてくれたんだね」

 靄の一つに手を伸ばすと明滅したままふわりと掌に乗り、ひとまわり大きくなった。

「それはきみの味方ではない。絶対に、ありえない」

 淡々と言いながらその人は近づいてくる。

 こわい。

「ちがうっ」

 叫ぶと同時に、掌の上が熱くなり靄が真っ赤に光って、破裂した。

 閉じたまぶたの裏にまで焼きつくように広がった赤がおさまったあと、目を開ける。

 おそるおそる顔を上げると、いつのまにかすぐそばに来ていたその人は傷だらけになっていた。

「……な、んで」

 大きな怪我はないようだけれど、顔や手にたくさんの赤い線のような傷。さっきまでは、なかったのに。

「味方じゃないって言っただろ。あえて言うなら、それはきみを利用しているだけだ。きみの気持ちを吸い取って大きくなる。今はこの程度だが、この先、同じようにそれに心を傾けるなら、近いうちに人が死ぬ羽目になる」

 ため息まじりに言った後、その人は何故だか笑みを浮かべた。

 笑ってるはずなのに、すごく、こわかった。

「まぁ、心配しなくてもきみが攻撃されることはない。他の人なんかどうなっても構わないと思うなら、そのままそれと仲良くしてればいい」

 そんなのイヤに決まってる。けど。

 でも、そばにいてくれるのは、この子たちだけなのに。

「だって、わかんないもん。なんで、みんなには見えないの? いるのに。だから、」

 見えない人が多いから。わかってもらえない。

「見えなくなるように、してやろうか?」

 笑みを消したその人は、静かに言う。

 真面目な顔なのに、笑っていた時より怖くない感じがした。

「……そんなこと」

「出来るよ。そうすれば他のみんなと一緒だ。見えることでつらい思いすることはなくなる」

「……でも、いなくなるわけじゃ、ないんでしょ?」

「見えなければ、いないと同じだよ」

 確かに、そうかもしれない。他の人には見えていないモノは、その人たちはいることさえ知らない。

「でも、私は知ってるもん」

 良くないモノだってわかったけど、でも、あの靄だって、一人の私にはやっぱり友達だった。

「別に知っててもいいよ。見えなくても居るよ。でも、見ないで済む方が楽だろう」

 そう、かな。

「……でも、居るのに見えないのも、こわい」

 なんか、そんな気がする。

「じゃあ、やっぱり今まで通りあれらと馴れ合うのか?」

「うぅん。見えないふり、する。誰かが、ケガするの嫌だ。ごめんなさい。私のせいで」

「そっか」

 あの子たちは、好きだったけど。今でもやっぱりわかってくれている気はしているけれど、誰かを傷つけるのは嫌だ。こわい。

 大きな手にそっと頭を撫でられる。

「怪我は大したことないから心配しなくていい。……がんばれるか?」

 うなずきかけて、心配になる。

「わかんないの、いる。区別つかないの。どうしたらいいの?」

 靄とかはわかる。でも人間とか犬とか猫とか、普通にいるものとそっくりで、判別がつかないモノも結構いる。

 その人は少しだけ困ったような顔をした。

「難しいけど。だいたい、そういうものには影がないから足元見ればわかることが多い。でも、いつも日向にいるとは限らないし、ああいうのは影を好むから……下ばっかりいているのも良くないかな」

「なんで?」

「寂しそうに見える。あれらは暗い気持ちに寄っていく。顔を上げて、笑っていたほうが良いんだよ。で、周りをよく見る。そうするとね、自然と違いがわかるようになってくる」

 ほんとうかな。

「できるかな。私に」

 心細くなって小さく呟くと、やさしい手が頭に触れる。

「もし困ったことがあったら、ここに電話。たすけに来るよ」

 電話番号だけが書かれた小さな紙を渡される。

「ほんと?」

「約束」

 笑顔が今度は怖くなくて、うれしくてつられて微笑えた。



より、どうした?」

 雑踏の中、突然立ち止まった私を呼ぶ声に目線を戻す。

「なんか変なものでもいた?」

 どこか心配そうに耳元で尋ねる相手に笑ってみせる。

 あれから十年ほど過ぎて、見えないふりをすることにも随分慣れ、友人もできた。

 そして、見えることに理解を示してくれる人にも出会えた。

「ちょっとね、昔の知り合いを見かけたから」

 結構な年月たっているにもかかわらず、一目でわかった。

 あまり変わっていないように見えた。

 相手はきっと気付かなかっただろう。子供のころからの十年では外見がずいぶん変わったし。

 そもそもほんの少し話しただけの子供のことを覚えているかどうかもあやしい。

「声かけなくて良かったのか?」

 もう一度振り返ると、その人は人混みに紛れてもう見えなかった。

「うん。いいの」

 何度か、かけようと思ったことはあったけれど、電話は結局しなかった。

 でも、あの紙は今でもずっと持ち歩いている。一種のお守りのように。

「もう、大丈夫だから」

 呟いた声は、たぶん誰にも届かなかった。

「行こ」

 手をつなぎ、促すと怪訝そうにしながらも笑ってくれる。

 そういう人が出来た。

 それを、伝えられたら良かったかもと少し、思った。

                                  【終】

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