呪われた子

 と、と、と、と。軽い足音がした。大人のものではない、されど動物ほど軽くもない。幼子の足音。駆け寄ってくる。近付いてくる。


 子供の足音。


 反射的に逃げようとしたのが、却って失敗だったらしい。向こうも同じように避けようとしたせいで衝突してしまう。ぼふりと腹にぶつかった頭が、弾かれて後ろに倒れていくのを、咄嗟に背中に手を回して引き止める。拍子にその子供の被っていた覆いフードが外れた。

 そこから現れたものを見て、閃は息を詰まらせた。

 大丈夫か、と問うことも忘れて呆然とする彼に、店主が何事かと店から身を乗り出した。そして彼も顔を強張らせる。


 桃色の眼をした少女だった。五つか六つくらいの、随分小さく貧相な、の、


「その頭を隠せ!!」

 店主が怒鳴った。恐ろしいものを、化け物でも見たように、少女から目を背け頭を抱える。

 少女はさあっと蒼褪めた。急いで覆いフードを目深に被り、一目散に逃げ出す。

「あ、おい――」

「にいちゃん!」

 振り払われた手を思わずその背に伸ばすが、届く前に逞しい腕に捕らえられた。込められた力の強さに顔を顰めるが、あまりに震えているものだから、振り払うのは躊躇われて足を止める。

「何ともないか!? 教会の場所はわかるか!?」

「は?」

「アレに触れられただろ! 早く、早くしないと呪い、が……」

 店主は必死の形相でまくしたてていたが、ぽかんとした閃の表情に気付いて冷静さを取り戻したようだった。強張った指から僅かずつ力を抜き、閃の腕を離す。そして自分の額を押さえて、ため息を吐いた。

「……すまねぇ……」

「……いや、いいけど。心配してくれたんだろ? ……呪われた子、だし、あいつ」

 閃は痛みをちらすように腕をぶらつかせ、そっと視線を地面に流した。


 ――古くからの言い伝えだ。

 髪は魂の色だ。

 煉獄の炎でも浄化しきれないほどの悪行を積んだ魂は、どす黒い髪をして産まれてくる。

 そして周囲の理を歪め、災厄を呼ぶ。


 黒髪への忌避感は、この国の何処に行っても、大なり小なりある、ごく当たり前の価値観だ。


「ただの言い伝えだって、わかっちゃあいるんだ。かびの生えた伝承だって……けど」

 顔を隠す手が震えている。店主は、滲むように自嘲の笑みを浮かべた。

「けど、もしもって思っちまったら……だめなんだ。……情けねえだろ? あのこはなんも、悪かねえのになぁ」

 深く、悔恨を滲ませる口調。

「……あんた、いいひとだな」

「いいもんか。さっきだってあのこに……」

「いいや。……まあ確かに、あいつは傷ついたんだろうけど。……もっと酷ぇとこ、沢山見て来た」

 期せずして、声から感情が抜けていた。親父が顔を上げる。目を合わせぬまま、思い返す。

「そりゃあたまーに、ほんとに偶にな? 黒髪だろうが気にしないやつらもいたけどな? でも、無視だ近づかないだは全然マシなもんだよ。それをあんたは悔やむんだから、尚更いいこった」

「……」

「暴言暴力、差別、迫害……いろんなとこで当たり前だった。家族ごと村八分されてるとこもありゃ、それを恐れた家族に殺される奴もいた。生贄扱いされる奴もいた」

 黒髪は、呪われた子だ。忌まわしい子だ。生きているだけで害になるのだ。産まれてきたこと自体が罪なのだ。

 旅の中で訪れた村や街では、それを声高々に言い放ち、害虫を駆除するように黒髪の子を殺すところも多くあった。それを善しとし、見て見ぬ振りするどころか己も加担する警邏もいた。

 同じ人間の形をして、人間の胎から産まれてきても、黒髪の子は人間という種として認められない。第一、黒髪の子に対してあらゆる人権をも認めてくれてないこの国で、国民がそういった思想になるのは当然の成り行き。

「無視くらいなら、きっとあいつはまだ恵まれてんだろ」

 隅っこであっても、生きることを許されているのだから。

 それすら許されなかった者たちに比べれば。

「……だから、まー、その、……なんだ。……あんま気に病むなよ」

 がりがりと覆いフード越しに頭を掻く。不器用な慰めに、店主は目をまるくし、へへっと笑みを浮かべた。

「ありがとよ、にーちゃん」

「別に?」

 素知らぬ顔で、けれど店主ではなく虚空を見ている彼に、更に笑いが込み上げる。照れているのだ。

「ありがとうついでに、悪いんだけどよ……」

 なんだ、というように浅く首が傾げられる。

「……あのこ、旅に連れてっちゃあくれねえか?」

 覆いフードの向こうで、金色の瞳が見開かれた。店主の言葉を頭の中で反芻する。更にもう一度、その更にもう一度反芻して、

「…………は?」

それでも口から零れたのは、間の抜けた声だった。店主は気安い雰囲気を保っていたが、目だけは真剣そのものだ。冗談ではないらしい。

「あのこ、もう家族いないんだ。もともと女手ひとつで育てられて……ひと月ほど前に、その母親も亡くなった」

「……病気か?」

「いや。あの親子、中央に住んでてな……チンピラに殺されたって話だ」

 あそこは雨風凌ぐ場所にゃあ困らねえが、治安は悪ィから。店主はやるせなさそうに首を横に振った。

 親を亡くし、他に頼れる者もいない。街の住人の中には少女を気にかける者もいはしたが、彼女を引き取ろうとまでする者は誰もいなかった。黒髪の呪いは、みんな恐ろしいのだ。

「例の殺人鬼のこともある。そうじゃなくてもあそこは治安が悪い。ヤクをやってる奴らもいるらしいし、警邏も見廻らん。そんな場所に、子供ひとりは危なすぎる」

「……それで、俺に連れてけって?」

 店主はゆっくりと頷いた。

「にーちゃんはそういう偏見が薄いみたいだし。別にずっと傍においておけって言ってるわけじゃねえ。あの髪を気にしないような場所があるんだろ? そこに預けるんでもいいんだ」

 確かに殺されることがない分、きっとあのこは恵まれてるほうなんだろうよ。けど。


「それでもあのこにとって、この街はつらい」


「……『あなたがわたしよりも苦しいからって、何だって言うの? それでわたしの苦しみは消えないわ』」

「……? なんか覚えがあるな、それ」

「童話の台詞セリフ。……まあ確かに、その通りだよな」

 ひとつ息を吐いて、空を仰いだ。広く、遠い、蒼穹。


 空が大きいからといって、人間の存在がゼロにならないように。

 つらさや苦しみも、誰かと比較したからといって消えるようなものではないのだ。


「あいつ……どのへん住んでんの?」

 空を見上げたまま、何でもないように尋ねる。店主は顔を明るくした。

「にーちゃん……!」

「まだ連れてくかはわかんねえよ? あいつに旅にでる覚悟があるのかもわからねえし」

 じゃあ行きますって言って旅に出れるものでもない。もしかしたら此処に留まるよりも酷い目に遭うかもしれない。生きるのがどれだけ辛くても、母親との記憶のある街を出たくはないかもしれない。

 ああ、ああ、わかってるさ。店主は何度も何度も頷いた。コガネムシのような目が、潤んでいる。

「あのこが行きたいと言ったときには、頼むよ」

「……で、住んでる場所は?」

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