序章B - 蒼穹の白鯨

「おかえりなさい団長」

 ふねに乗り込んですぐに、非常にお怒りな副団長と出会した。待ち構えられていたと云うべきか。

 生真面目に髪留めバレッタで上げた稲穂に似た金色ブロンドの髪が、薄紅色の魔力灯の光の所為でほんのりと赤らんで見える。この色は嫌いだ。機関部に後で文句をつけよう。そんなことを頭の隅で考えながら、彼はにこりと笑う。

リンちゃん顔こわいよー」

「誰の所為ですか?」

「誰の所為かなあ? シズくんがまた器物破損でもしたー?」

 翡翠色の瞳を細めて、彼女は眉を吊り上げる。笑顔が引き攣っている。

「それもあります」

 あるんだ……と、彼はうっかり真顔になった。冗談のつもりだったが藪をつついたらしい。元々悪かった輪の機嫌が更に下降してしまった。今度は何を壊したのやら。とうとう貴族の館でも吹き飛ばしたか。

 今聞かずともどうせこの後報告されるだろうと、彼女の横をすり抜けて執務室に向かう。一拍遅れて足音がついてくる。

 廊下を行く中、すれ違う団員たちが呆れ顔で声をかけてくる。

「うわあ団長がいる」

「団長おかえりなさーい」

「うん、ただいま」

「久しぶりだなあ」

「季節の半分くらいでしょ」


「……師団長がこんなにも留守にするのはうちくらいですよ本当に」

 こめかみを押さえながら苦言する輪に、彼はしれっと言い返した。

「半年いないこともあったじゃん。今回は短い方」

「あったから良いってわけじゃないでしょう!?」

 ぐわりと怒気が渦巻く。後ろの足音が荒立っても、彼は振り返りもしなければ歩調も乱さない。うんざりしたように首を傾げたくらいだ。

「行先も告げずに音信不通になるのやめてくださいって何度言ったらわかるんですか!? せめて電話には出る!」

「あーはいはい。耳たこだよそれ」

「団長が改めてくれないから!」

 執務室の扉を開く。書類の山が幾つも高々と聳えている机には目もくれず、三人掛けの革張りの長椅子ソファーに寝転がる。

「団長!」

「はいはい。それで? 静くん今度は何壊したの?」

「貴族の館の屋根吹き飛ばしましたよ!」

「……冗談だったのに」

 当てる気は皆無だったのに何故か正解してしまっていて、彼は不思議そうに首を傾げた。

「ま、いいや。報告はそれだけ?」

 肘掛けの部分に足をかけただらしない格好で、彼女が持っていた書類の束へと手を伸ばす。輪は自分を鎮める為に一度細く息を吐くと、それを彼の手に乗せた。表紙に書かれた赤字に、彼は「うげ」と顔を歪める。

「なんでこの時機タイミングで事件起きるの? めんどくさ。輪ちゃん、任せた」

「せめて読んでからにしてください!」

「いつもみたく適当に戦闘班に割り振っといてよ。あーあ、ヤなときに帰って来ちゃったなぁ……放浪に戻っていい?」

「今さっきふらふらしないでって言いましたよね!?」

「じゃあ街ごと滅ぼそう。それが一番早い」

「ダメです!」

「……民衆なんて腐るほどいるんだからちょっと減ったところで」

「ダメです!」

 ぴしゃりと跳ねのけると、彼は唇を尖らせて書類で顔を仰ぎ始めた。亜麻色の髪が風にそよぐ。今のは本気だったなと感じて、輪はうっすら冷や汗を浮かべる。もう二十年近い付き合いだが、こういうところは変わらず少し怖い。一度唾を飲み込んで、強いて冷静を装った声を出す。

「αクラス案件です。ちゃんと指示をください」

「……ふーん?」

 そこまで言われて漸く、彼は書類を捲った。貼付された写真を眺めていた白藍色の瞳が、次第に真剣さを帯びる。その空気を感じ取って、輪も居住まいを正した。

「第一の事件が発覚したのが昨日。その日の内に、一般課経由で『魔術師絡みの事件ではないか』と連絡が来ました。また、今日も被害者が出ています」

「殺られたのは?」

「昨日が六人、被害者は街の破落戸ゴロツキですね。今日は十八人。こちらも被害者は追い剥ぎなどを生業とした一般犯罪者かと。いずれも犯行時刻は深夜と見られています。目撃者はいませんが……」

 輪はそこで一度言葉を切った。ふ、と息を吐く。

「……写真の通り、件の殺人鬼で間違いないかと」

 貼付されてあった遺体の写真のひとつ。腹部で体を斬り離されている。厚い脂肪も、骨すらも、綺麗に断たれている。他の死体もすべて、切断面は豆腐を切ったかのように、うつくしい。どれだけ切れ味の鋭い刃物を使ったのか――それでもこんなに何人も斬れば、血と脂で切れ味は落ちるはずなのに。


 こういった切断面の死体は、過去何十件も挙がっている。


「……輪ちゃん」

「はっ」

「戦闘一班、二班に出撃準備の指示。出撃準備ができ次第街に入る。機関部に《いるか》の整備終わらせるように言って。あと本部に連絡。魔術の使用許可申請出しといて、面倒だけど」

「昨日時点で言ってあります。既に十機は終了してあり、今すぐにでも出せます。許可申請書類はこちらです、署名をください」

「さっすが僕の部下。仕事が早い」

 身体を起こすとすぐさま端末を差し出され、彼は笑みを浮かべた。署名欄に魔力をこめながら記名し、ついでに本部へ送信して、書類と一緒に返す。

 ぐぐっと伸びをして、言葉を待つ彼女を見上げる。

「僕も出るよ」

「……滅ぼさないでくださいね?」

「余計なことはしないよ。僕はそんな酔狂じゃない」

 ひらひらと手を振ってそう言うと、輪はほっとした顔で頷いて踵を返した。失礼します、としっかり礼をして、執務室から出て行く。早足に去っていく背中に「お腹減ったからごはんもよろしくー」と声をかけると、了解の言葉と一緒に「机の書類片付けててくださいね! 期限差し迫っているので!」と返ってきた。途端にやる気がなくなって彼はまた長椅子ソファーに寝転がる。水色の光を零す魔力灯を見上げながら、さて、と呟く。

「……『ボクは道を歩くとき、早足で歩くべきか、それともゆっくり歩くべきか、いつも悩むんだよ。どちらなら君と出会うことができるのか、わからないからね』――さぁて僕は前者を選択したわけだけど?」


 出会うことはできるのかなぁ?


 くすくすと笑い声が執務室に響く。


 巨大な白い飛空艇 《くじら》は、悠然と蒼穹を泳ぐ。

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