その価値は5千円

かおるさとー

その価値は5千円・1

 商店街のくじ引きで、1等の温泉旅館1泊2日ペア宿泊券が何かの間違いで当たってしまった場合、どうするべきだろう。

 普通はまあ喜ぶところだろう。しかし“ペア宿泊券”なのだ。つまりは1人では使えないということだ。一応お店の人に確認してみたけど、やはり2人じゃなければ駄目だそうだ。

 この久坂純菜に、温泉旅館まで一緒に行ってくれるような人間など、いるはずがない。

 こちとら真っ当なぼっち大学生である。講義もランチもゼミも基本的に1人だ。いや、ゼミはさすがに1人ではないけど、必要最低限の付き合いしかない。なんとなくリーダーみたいな立ち位置にいる田中さんと背の高いのっぽの渡辺くんがいつの間にか付き合うようになったらしいけど、同じグループ内で恋愛とかこなせる人なんて、もはや尊敬の域だ。あんたら気まずくないの? すごいよ。他の人たちの気の遣い方もすげえし。

 昔から、友達を作るのが下手だった。

 小学校まではそこそこの関係を築けていたように思う。だけど中学に上がったあたりから、そういうことがうまくこなせなくなった。

 何が原因なのかはわからない。いや、わからないというより、うまく言い表せないといった方が正しいか。思春期とかいう謎の時期に突入したころ、なんだか世の中における気の遣い方が一段と難しくなったのだ。小学校にいたころの付き合い方が通用しなくなり、もっとシビアな基準の立ち回り方を求められているような、そんな圧迫感が中学校にはあった。……と思う。

 地元の公立校ではなく、実家から離れた地域にある私立校に行ったことも理由の一つかもしれない。田舎者で、よそ者で、あと生意気なところもあったかも。これでも成績はよかったのだ。しかし、それが人間関係を向上させることはなかった。いじめられなかっただけましだったというのは、ちょっと後ろ向きすぎるか。

 高校でもそれは一緒だった。学校でも下宿先でも、常に1人だった。たぶん、他のみんなはそういう「人との付き合い方」をなんとなく体で覚えていくものなのだろう。子供が転倒しながら自転車の乗り方を覚えるのと同じだ。そしてあたしは転倒を恐れて、自転車に乗れないまま大きくなった子供なのだ。

 それなりに優れた成績を修めていたので、受験は苦ではなかった。推薦であっさり合格を決めて、あたしは大学生になった。

 で、大学でもぼっちなのは前述のとおりだ。

 いや、別に暗い話をしたいわけではない。そのことを不満に思っているわけじゃないから。そういうことではなくて。

 現状、このペア宿泊券をどう処理すればいいのか。それが問題なのだ。

 商店街の会長だとかいうおじさんは、盛大にあたしを褒め称えながら「大学生? なら彼氏と一緒に楽しんでくればいいよ。いやーよかったよかった!」などとほとんど目の前の当選者そっちのけで騒いでいたけど、あれはたぶんくじ引きの宣伝をかねた周囲へのパフォーマンスの面もあったのだろう。ほら、この通りちゃんと当たりますから、たくさん買い物をしてくじ引き券を手に入れてくださいね、という。2等の賞品はたしかタブレット端末だった。そっちが当たればよかったのに。

 彼氏なんかいないよ。というか、友達すらいないよ。

 家族と行くという方法もある。しかし、あいにく両親は現在外国にいるのだ。二人揃ってニュージーランドの知り合いの家に遊びに出かけている。2ヶ月ほどのんびり過ごしてくると言っていた。さすがに1泊2日の温泉のために帰ってこいとは言えない。だいたい1泊2日とかケチりすぎじゃないのか。せめて2泊3日にしようよ。

 あたしに兄弟姉妹はいない。親戚にも特に親しい相手はいない。となると、一緒に行く相手をこれから探すか、あるいは他の誰かにこの券を譲るか、どちらかになる。前者は正直厳しいといわざるをえない。何よりあたしのやる気がない。誰かを誘うなんてめんどくさすぎる。かといって誰かに譲るというのもなんだかもったいない。せめて買い取ってもらえないだろうか。1万円くらいで。5千円までならまけてやってもいい。いや涙を呑んで3千円あたりで……。我ながらせこい。

 可能性のある相手を求めて考え抜いた結果、アルバイト先の上司になら買ってもらえるんじゃないかという結論にたどり着いた。町外れにある倉庫でピッキング作業のバイトをしているのだけど、そこの係長さんは女性で、あたしのぼっち生活の中では数少ない知り合いの一人なのだ。既婚者なので、旦那さんと一緒にどうですか、とかなんとか勧めれば3千円くらいもらえるんじゃないかと思う。いや、せこいけど。ただであげるより全然まし。たぶん。

 そういうわけで、週末のバイトの日を待って交渉してみることになった。

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