第2話

 それは蝉の鳴き声が聞こえ始めた初夏のことだった。

 俺は校舎裏に興(おく)ヶ原(はら)を呼び出した。


「何の用かしら?」


 興(おく)ヶ原(はら)は長い黒髪を風で靡かせながら、鋭い目つきで俺を見た。

 あまり好意的に思われていなさそうだというのは、この時点でよくわかった。しかし、この時の俺は一年も彼女に想いを抱いて、努力し、自分を磨いてきた後だった。

 つまるところ、愚かにもその想いを告げずにはいられなかった。


「好きです。俺と付き合ってください」


 やめておけばいいのに、俺は腰を90度に曲げて、握手を求めるように腕を彼女に伸ばした。

 興(おく)ヶ原(はら)が溜息を吐いたのが、聞こえてきた。


「返事は明日でいいかしら」


 続けて、


「明日の朝、わかるわ」


 そうして、俺は愚直にも翌日の朝を待った。

 その先に、地獄が待っているとも知らずに。






◆ ◇ ◆







「じゃ、気を付けて帰れよー」


 担任の教師がそう言うと、教室は段々と喧騒に包まれていく。

 放課後に一緒に話すような相手もいない俺は、鞄の中に教科書類を素早くしまい込むと、椅子を引いた。

 一学期までは置き勉をしていたけれど、今ではこれが当たり前になっている。


 立ち上がった間際、なんとなく興(おく)ヶ原(はら)の方を見やった。


 …………やはり、見られているらしい。


 一瞬だけ視線が合って、興(おく)ヶ原(はら)は隠すように顔を伏せたのだ。

 煩わしさしか感じないけれど、こちらから話しかけて、またあることないこと言われてはたまらない。


 俺は興(おく)ヶ原(はら)のいる席と反対側の扉から教室を出て、部室へと足を進める。

 途中、同級生―――特に女子生徒―――から避けられたけれど、今に始まったことでもなかった。




 それから3分ほど歩くと、俺は『文芸部』とプレートの掲げられた扉の前に辿り着く。


「…………もう着てんのか」


 人の気配を感じて軽く扉を叩くと「はーい」と返って来て、承諾を得た俺はそのまま扉を開けた。

 瞬間、ひんやりとした冷たい空気が俺を体を包み込む。


「うっす。冷房効かせすぎじゃねえか?」

「そうっすかね? こんなもんじゃないっすか?」


 教室の中央に置かれた長机。そこに上半身を倒しながら座っている三碓(みつがらす)の姿を確認して、軽く挨拶を交わす。

 俺は教室に入ると、後ろ手に扉を閉めた。


「遅いっすよ、先輩」

「授業が長引いたんだよ。つか、別に何をやるでもないんだから、早かろうが遅かろうがどうでもいいだろ」

「それはそうっすけど、来るかどうかもわからない人を待つ状況って、なかなか寂しいんすよ」


 三碓は唇をアヒルみたいにとがらせて、頬っぺたを机に押し付けた。俺と三碓が一緒に何かをする約束をしたわけでもないので、「待つ」という言葉に少し違和感を覚える。

 教室の隅に置いてある適当な椅子を見繕って、三碓の前に腰かけた。


 すると、三碓が俺の疑問に答えるように、


「今日は一条ちゃん先生がくるみたいっすよ」

「そうなのか? 珍しいな」


 一条先生とはこの文芸部の顧問であり、三碓のクラスの数学を担当する女(じょ)教師だ。おそらく、授業終わりにでも言われたのだろう。

 俺の入学と同時期にこの高校にやってきた、教師歴二年目の若手の美人教師。

 生徒――――特に男子生徒――――に好かれている先生だった。


「なんでも、話があるとかなんとか」

「話ねぇ……廃部とか?」

「あはは、まっさかー………ないっすよね?」

「どうだろうなぁ………」


 俺は三碓の手に支えられた、ボウテンドースイッチを見やった。

 それがわかったのか、三碓は「あー」と納得したように声を上げる。


「私達、部室でゲームしてるだけっすからねぇ………」

「部員も他の奴は幽霊部員だからなぁ………」


 俺と三碓は顔を突き合わせて、苦笑いを浮かべあった。

 俺達以外の文芸部員が、最後にここに顔を見せたのは春先の顔合わせの時だけで、それ以降は一度たりとも見ていない。

 故に幽霊部員。

 名簿上だけ文芸部に所属している、実質的な帰宅部員だ。


 部活動に入ることが義務付けられているこの学校において、文芸部は帰宅部気質な生徒の隠れ蓑。毎日足繁く通っている俺と三碓も、ただ空調が完備されているこの教室で自堕落にゲームをやりたいだけだった。


「どうします? 廃部とか言われたら」

「んー。とりあえず、適当な部活に名前だけ乗せて、ゲームは………自分の部屋でやる」

「先輩って、確か独り暮らしっすよね? 私にも部屋を貸してほしいっす。うちの親、電気代にうるさいんすよ」

「お前一応は女だろ。男の部屋に上がりこもうとすんな」

「私をそんな目で見てたんすかー? 悪いっすけど、私、可愛い女の子以外に興味ないんで、お断りさせていただくっす」

「…………なんで俺が降られたみたいになってんだよ」

「ま、先輩がどうしてもっていうなら、やぶさかではないっすけど?」


 三碓は悪戯顔を浮かべながら言った。明らにからかっているだけだろう。


「冗談はやめろ、気持ち悪い」

「ひ、ひどい………乙女心が傷ついたっす」


 三碓がわざとらしく泣き声をあげて、机に突っ伏した。

 めんどくせえ。

 こいつのペースに乗せられるのは癪だし、ちょっとからかってやるか。

 俺はポケットからスマホを取り出すと、とあるホームページを開いて、机に顔を伏せている三碓の方へと画面を向けた。


「三碓」

「ぐすん………なんすか?」

「……………」

「………………………………?」


 机に伏せたまま顔を上げない三碓。

 俺が黙っていると気になったのか、ゆっくりとその顔を上げた。


「なんすか、これ?」

「お前が今やってるエロゲーのネタバレペー………」

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」


 三碓は悲鳴を上げながら、『ガタンっ』と椅子を思い切り膝裏で押し倒して立ち上がる。

 その間際、俺のスマホを叩き落した。

 「ごとっ」と音を立てて床に転がる俺のスマホ。


「あ、おい! 壊れたらどうしてくれんだ!」

「うるせえっす! やっていいことと悪いことがあるっすよ!?」

「お前のやってるのって抜きゲーだぞ。シナリオなんてあってないようなもんだろ」

「素人! このど素人が!!!! ヒロインたちが苦難を乗り越えた末に、男に靡いていくその過程があってこそのチョメチョメシーンなんすよ! それがわからないなんて、あんたは間男失格っす!!」


 ――――――鼻息を荒くした三碓が、エロゲーを熱弁し始めたその時のことだった。


「部室で痴話喧嘩はやめてくださいねー」


 がらりと教室の扉が開く音が聞こえたと思えば、入ってきたのは一条先生。

 眼鏡をかけて、肩まで伸びた黒髪をシュシュでひとまとめにしている、美人教師。一条先生が、教室の扉を開けて立っていた。


「い、一条ちゃん先生っ!? ち、ちちちちちち、痴話げんかじゃないっす!」


 三碓は顔を赤らめて、焦ったように唾を飛ばしながらの全力否定。

 汚ねぇ。


「今日はちょっとしたお知らせとお願いがあるので、ひとまず席についてくださいねー。それから、私は『一条ちゃん先生』ではなくて、ですよ?」

「一条ちゃん先生、聞いてるっすか!?」

「………………席に座らないなら、退部させちゃいますよー」


 一条ちゃん先生、諦め早いな。


 三碓は「パワハラっす!」とか言いながらも、しぶしぶと椅子を戻して腰を下ろす。

 一条先生はそれを確認すると、教団の前に立って「こほん」とわざとらしく咳をした。


「実は少し、昨日の職員会議でこの文芸部の廃部についての話題に上がってしまいまして」

「げぇ!」


 汚い奇声を上げる三碓。


「噂をすればってやつだな」

「先輩が余計なこと言うからっすよ! どうするんすか、楽園が! 空調があ!」

「諦めろ」

「そんなー(´;ω;`)」


 三碓は眉尻を下げて、目に涙を浮かべる。

 どうせ学校でゲームをやるか、家でゲームをやるかの違いでしかない。

 次の隠れ蓑ぶかつを探すのが面倒だけど、それだけだ。


「まあまあ、話には続きがありまして」

「…………続き?」

「はい。11月末、つまりは約二か月後に開かれる市の文芸大会で入賞以上の成績を収めれば、廃部は取り消し、というところまで、どうにか交渉しました」

「マジっすか!?」「マジですか?」


 市の文芸大会。

 小学生の頃に、その展覧会に行ったことがある。確か、短編小説・書道・絵画等、文化と呼べる諸々の総合大会のようなものだ。

 各部門ごとに審査され、入賞者はちょっとした賞状を市長から受け取れる。


「大マジです」

「でも、文芸大会って何をやればいいんですか? いっちゃあれですけど、俺達ってなんもそれらしい活動してないですよ」

「そうっすよ、一条ちゃん先生! 私達、もいいところっす!」


 文芸部員である俺と三碓だが、実際はゲームをして帰っているだけだ。今の今まで、創作活動など一つもやっていない。

 それをたった二か月しかない状況で、それも入賞となると、不可能としか思えない。


「書道や絵画は今からだと無理かもしれませんが、小説なら入賞の余地がありますよ、きっと」

「『きっと』って、そんな適当な………」

「まあまあ。一応、とても心強い助っ人を呼んでいますから」

「助っ人、ですか?」

「ええ―――――、入ってきていいですよ」


 教室の入り口に向かって一条先生がそう言うと、その扉ががらりと開けられ、その人物が入室してくる。

















「――――――は」


 息が止まりかけ、胃液が逆流し、心臓の音が激しかなり響く。

 体中の毛穴が、ぶつぶつと肌立った。


 ほっそりとしたモデル並みのスタイルを持つ、赤縁の眼鏡の少女。


「失礼します」


 そう言って入ってきたのは、俺のクラスメイト。

 興(おく)ヶ原(はら)涼香(すずか)その人だった

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