この感情

零夜

第1話

春特有の爽やかな風が吹き、高校3年生になる私の背中を強制的に押してくる。学校へ続く並木道を今ひとり寂しく進む。どうせ今年も何も変わらない。真面目に勉強して、部活を淡々とこなす。ただそれだけの事。来年にはもうこの並木道は通らないようになるだろう。愛情もなければ執着さえない。どこにでもありそうな通学路。




学校に着いたら、教室には行かず体育館に向かう。朝礼で全校生徒が集まるのだ。人がごった返してノイズが鳴り止まない。自分がどこへ並べば良いのかわからないし聞けるような友達もいない。やっとのことで自分のクラスの列を見つけた。最後尾について体育座りをする。周りは友達と話していてなんだか楽しそう。少し羨ましい。

「静かにしろー!」

先生が大きな声で呼びかける。あなたの方がうるさいと感じてしまうのは私だけだろうか。呼びかけたところで変わらないということは誰でも想像つく。一瞬静かになるが、案の定その5秒後には元通りだ。

八時三十分の始業の鐘がなり、司会の先生が全員を起立させた。私も全員の中の一人だ。私の存在はちっぽけで群れを形成する一つの材料でしかない。

学園長の話が長くて嫌気がさしてきた。そんな時は全然違うことを頭の中で考える。今日は何しようだとか何時に寝ようだとか。いつも考えるのは客観的に見たらつまらないもの。


「学園長の話に続き、新任の先生を紹介していただきます。学園長よろしくお願いします。」

新任の先生なんてもう三年生だから関わることはないだろう。だから聞いたり聞かなかったり。次々に紹介されていく先生達。

「次に四条廉先生です。三年二組の担任をしてもらいます。」

「まだまだ至らない点がありますがよろしくお願いします。」

え、普通三年は進路のこともあるしベテランの先生が担任になるのでは。それに二組って私のクラスじゃん。この学校は昨年度の離任式で次年度のクラス割が発表される。先生の顔はどちらかと言うとイケメン寄り。誰からもモテそうな好青年という感じだ。生徒からの人気は格段に高いだろう。

「以上で今年度第一回朝礼を終わりとします。起立。礼。」

気だるく立ち上がり、なんとなくのお辞儀をする。この礼って誰に向けてやってるの。日本人は必然とやりがちな行為だけど、意味なんてないのかもしれない。


一限目の朝礼を終え、自分の教室に戻る。今日は三限で下校となるため、二限からはロングホームルームだ。私は苗字が「わ」から始まるから一番後ろの席。誰もが憧れるだろう席を勝ち取った。机に肘をついて前髪を整えながら待っていた。しばらくして担任が入ってくる。

「担任になりました四条廉です。みんなと仲良く、そして楽しくやりたいからよろしくね。」

「はーい」

「じゃあ早速なんだけど学級委員を決めたいんだよね。そうしないと何も始まらないから。」

「誰?」

「俺の指名でいくから。」

「えー」

「やりたくねー」

私も絶対やりたくない。選ばれることはないだろう。こんな地味でぼっちな私を選ぶなんて盲目すぎる。

「瑠璃、できそう?」

先生、今私の名前呼びましたよね。え。学級委員なんてやったことないよ。目立ちたくはない。何かと面倒そうだし。だけど、クラスメイトが期待の眼差しを存分に向けてくるから承諾の選択肢しかなくなる。ずるくない?この手法。

「わかりました。やります」

この一年どうなっちゃうの。不安でしかないんだけど。

「ありがとな。じゃあ次は書記。これは決めてないから、誰かやってくれる奴いるか。内申が少し上がるぞ。」

「じゃあやる」

手を挙げたのは去年同じクラスだった男子。勉強は普通レベルだと記憶している。その後、全員が係・委員会を決めていった。


そうしてこの日最後のチャイムが鳴る。なにかと忙しない一日だった気がする。みんな帰る支度をして次々に教室を出て行く。私も帰ろうと思い、筆箱やらを鞄にしまっていた時、先生に名前を呼ばれた。毎回ビクッとなってしまうのは何故だろう。まだ会って間もない人で緊張してるからだろうか。

「瑠璃ちょっと連絡とかあるから残ってくれない?」

「はい。」

生徒が全員帰るのをただただ待っている。話って何?連絡なんて今日じゃなくて良くない?私は早く帰りたい。お腹すいたし。部活もないからゆっくりできると思ってたのに。


「みんな帰りましたね。連絡ってなんですか。」

待てよ。みんなが帰ってからじゃなくても良くない?聞かれてまずい会話なんてないでしょう。

「あぁ。連絡なんてないない。」

先生は手を横にして振りながら、私の前の席に座った。机ひとつ挟んで向かい合っている。まるで人が変わったように話し始める。どことなく目つきも優しい眼差しではなく、キリッとしている。

「じゃあ帰ってもいいですか?」

「それは困るなー。」

「君つまんないんだよね。」

「は?」

思いもよらぬ言葉につい声を出してしまった。

「勉強もできそうだし、校則は絶対に破らなそうだし。髪巻いてる人がほとんどなのにストレート。綺麗な顔してるのにもったいない。」

先生は私の方に手を伸ばしその長い指が髪の毛に触れる。上から毛先へと滑らせてくる手。

「ちょっとなにやってるんですか。」

意図がわからず、若干の恐怖に襲われる。

「冷静で関心があるのかないのかも分からない。」

「人の話聞いてます?」

「ていうことでお前を狂わせたい。」

「私帰りますね。」

狂わせる?そんなのできるわけが無い。私は机の横にかけていた鞄を手に持ち席を立とうとする。すると先生は立ち上がって私の左腕を掴んできた。

「もう本当になんなんですか。」

「俺と付き合って。」

「なんでそうなるんですか。」

「好きだから。」

私は今、ドアに追いやられて逃げ場がない。言ってしまえば壁ドン状態。

「考えさせて、くだ、さい。」

断れなかった。なんでかなんてわからないけど、断ってはいけない気がした。


「もう生徒全員帰りましたよね?」

「今日は楽っすねー。」

当直の先生が廊下を歩く音がする。壁ドンされてる所なんて見せられない。ドアの影に隠れるように二人でしゃがみこんだ。担任はしーっと指を立て私の口に軽く押し付けてくる。

先生が通り過ぎてからあの人は言う。

「今日はもう帰っていいから。」

「はい。」

「告白の返事、考えといてねー。」

「さようなら。」

私は逃げるように教室から出て行った。




あの5分間が衝撃的すぎてなんとなく歩いているうちに家に着いた。

「おかえりー。」

「ただいま!」

家のドアを開ければ専業主婦の母が声をかけてくれる。

「あら、なんかあったの?」

「なんでもない!」

学校の勢いをそのままに怒り口調で言ったから、心配されてしまった。お母さん、今日は色々あったの。ごめんよ。リビングに寄らず、そのまま自分の部屋へ直行。鞄を先にベットに投げ捨て、次に自分の身もダイブさせる。制服がシワになると困る。ブレザーを脱ぐため携帯をポッケから取り出した時、白い小さな紙が四つ折りになったものも出てきた。それを見るより先にブレザーをハンガーに掛けた。


見覚えのない紙。ひらくとLINEのIDが書かれている。その下に「返事待ってる」と記されていた。それも丁寧な字で。あいつ、いつの間に。

好きな人はいた事があるけど告白なんてする勇気なかったし、告白された事もない。だからあんなに一直線に言ってくる人がいるとは思いもしなかった。恋というものが自分の中でまだ曖昧だ。余計にドキッとしてしまう。緊張の中にずっとあるような、よういう感じ。油断ができない。告白の件は保留にしておこう。考えている最中ということで。




翌日。少し学校に行きづらいが、あんな理由で休むわけにもいかず、学級委員を任されたからには行かなければならない。使命感は昔から強く、責任もってやろうという気はある。

「瑠璃、おはよう。」

背後から聞こえる声。教室に向かう途中、廊下で今最も会いたくない人に会ってしまった。

「おはようございます。」

「なんでLINE追加してくれないの?」

「なぜする必要があるんですか。」

耳元で言うのやめて欲しい。10センチメートルの身長差で、あなたも首を下にしながら話すのは大変でしょう。迷惑なのが顔に出て睨むような形相になってしまった。

「告白の返事は?」

「考え中ですって。」

「へー。断りはしないんだ。そうかそうか俺に興味があるのは間違いないな。」

「語弊を招くようなことはやめてください。」

「まぁいい返事待ってる。」

並んで歩いていれば教室の前まで来てしまった。先生は前のドアから。私は後ろのドアから入る。


「はーい。みんなおはようございます!」

「先生おはよー。」

先生は教卓に出席簿を置く。あの人はなんなんだ。みんなといる時と私といる時の顔が全く違うじゃないか。





先生は一回と限らず何回も直接告白してきた。だけど私は悪い事だと思っているものの、返事はいつもはぐらかす。

私と先生の関係はあやふやなまま、時が過ぎていく。





「資料運ぶから瑠璃手伝って。」

「わかりました。」

昼休みにぼっち弁当をかましていた私に仕事が舞い降りた。先生からの依頼だ。役目ならば快くやろう。

先生と職員室に行く。と思いきや、空き教室のドアを先生が開けた。

「なんで。」

「資料がえーっとここにー。なんていうのは嘘で。」

「ですよね。」

空き教室に入った時点で勘づいてはいた。

「そろそろ返事欲しいんだけど。」

迫られる私の後ろにはもう壁しかない。あの時と同じになってしまった。初めて会ったあの時のように。しかも壁ドンのやり方が前腕も壁につけてくるから先生の顔がより近くなる。真っ白で細い腕。なのにどこか力強い。

「返事くれるまでかえさないから。」

「授業はサボれません。」

「じゃあ早く答えて。」

「では一週間・・・。仮で付き合いましょう。」

そろそろ告白されて断りを入れるのも面倒だったから、これで試してみようと思った。それに土曜日からはもう夏休みに入る。会う機会も断然と減るだろう。だからいいかなって。

「ありがとう。じゃあ早速土曜日デートな。」

「え。」

「夏は遊ぶためにあるからな。一応付き合ってんだろ?俺たち。」

「はい。」

そうだよ。私たち付き合ってるんだよ。だけど勘違いしないでほしい。私はまだあなたの事が好きではない。

「10時に駅集合で。」

「わかりました。」


「そろそろかえしてください。授業に遅れてしまいます。」

「知ってた?次、俺の授業。」

ニヤニヤしながら言ってくるのがムカつく。すっかり忘れてた。次は数学だった。

「はぁー。」

「そんなこと言ったら指すぞ。」

「やめてください。」

私は先生より先に足早に教室へと戻った。


授業で指名されたがミスすること無くその場を終わらせた。


家に帰って自室の机にずっと置いておいた小さい白い紙の数字を、自分の携帯に入力した。登録が完了すると似顔絵のアイコンが出てきた。まぁまぁ似てる。友達枠に追加しただけであって会話することはない。




そして土曜日。デートとかした事ないし行く場所も決まってない。まず聞いてない。

服はどうしよう。いつも休みの日は家から出ないから基本ジャージでいる。ワンピース?スカート?恥だけはかきたくない。私はクローゼットの中にあった白色のワンピースを手に取り、着替えた。幸い、まだ時間はある。メイクもほどほどにして準備完了。言われた通り駅に行くため家を出る。

「出かけてくるの?」

「うん。」

「珍しいね。お友達?」

「んー。まぁそんなとこ!」

「気をつけてねー。」

「いってきまーす。」

先生だなんて言ってしまえばもう終わりだ。自分自身がまだあの人と付き合うことは認めてない。だから一週間が終わればお断りしようと考えている。


約束の時間五分前に駅に着いた。早いと思ったけど、先生はもうそこにいた。

「おはようございます。先生。」

「おはよう。」

「随分早いですね。」

「先生って言うのやめてくれない?」

「なんて呼べばいいですか。」

「廉。呼んでみて。」

「れ・・・、ん。」

「よくできましたー。」

そういうと先生は私の頭をポンポンした。されたことがないからドキドキが止まらない。

「あと敬語もいらないから。彼氏だし。」

「わかりまし・・・。わかった。」


「行こうぜ。」

「どこに行くんで…どこ?」

そんな急に敬語は取れないよ。

「慣れてないの可愛い。」

ふふっと笑う先生の顔をもっと見たいと不覚にも思ってしまった。手、繋いでくれないのかな。気を使ってくれている?繋いで、くれないかな。待てよ私。何を期待しているんだ。私は先生のことが好きではないはずなのに。その事で頭がいっぱいになって、不意に先生の服の裾を掴んでしまった。

「ん?どうした?」

1歩前を歩いている先生が振り返る。

「手を繋いで欲しい・・・。」

「ほい!」

先生は私の右手に指を絡めて、優しく握ってくれた。絶対今顔赤くなってるからじっと見つめないで欲しい。

私たちは駅構内のショッピングモールで買い物をした。それなりに楽しい時間を過ごせた。彼氏彼女はこうしてるんだ。

「ねぇ今の人たちめっちゃ美男美女カップルじゃなかった?」

「それな。女の子も真面目そうなのに可愛い顔してた。」

「彼氏はイケメンオーラ凄かったよね。」

ちょうど同い年くらいの女の子たちがすれ違いざまに口にしていた言葉。

「俺たちってカップルに見えるんだな。まぁその通りなんだけど。」

「恥ずかしいからやめて。」

周りからの目があると余計に照れてしまう。こんな気持ちにさせるのはきっと先生だけだ。


もうお別れの時間だ。寂しい。もう少しだけでいいから一緒にいたい。なんでこんなこと思う?帰りたくないよ。

「ねぇこの後時間ある?」

「ある。」

「俺の家来ない?」

「え、良いの?」

「うん。狭いけど。」

「行きたい。」

やった。まだ一緒にいられる。だけどいきなり家に押しかけるなんて失礼じゃないか。先生は私の手を引っ張り家に案内してくれた。


「どうぞー。」

「お邪魔します。」

一人暮らしの割に綺麗で整頓されていることに感心する。黒を基調として統一感がある。

「意外と綺麗だね。」

「意外ってなんだよー。バカにしてる?」

「そんなんじゃないよ。」

「座って。」

「失礼します。」

私はカーペットの上に正座して手を膝の上に置いた。

「違う。こっち。」

先生は私の片腕を掴み上に持ち上げて立ち上がらせ、後ろにあったソファーに座らせた。レザー調のそれは先生の匂いをつけていた。シトラスの爽やかでさっぱりとした香りが、鼻孔をくすぐる。

「ありがとう。」

これを他にやってくれる人は世界に何人いるんだろう。数えればそれなりにいると思う。でもやってもらいたいと願うのはきっと先生だけだ。


先生はマグカップ二つを持ってきて私の横に腰掛けた。

「オレンジジュースしか無かった。いい?」

「うん。ありがとう。」

私は言いたいことがある。言いたいこと。膝の上に置いた手をぎゅっと握り勇気を振り絞る。十八年生きてきた中で一番緊張する。

「れ、れん。」

「ん?」

彼は首をかしげながら微笑んでくる。イケメンは笑い方もイケメンだ。歯を見せず口角を上げる笑い方。

「今度、部活の大会が、ある、から、来て、欲しい・・・。」

「行ってもいいの!?」

「うん。頑張るから。それに最後の大会なの。」

これが終わればもう引退。だから絶対見て欲しい。

「瑠璃を全力で応援しに行くから楽しみにしてて。」

「絶対来てね。」


なんでもない話ができるくらいに距離が縮まった。だけどもうさすがに家に帰らなくてはいけない。門限もあるし。

「そろそろ帰るね。」

「もう帰っちゃうの?」

「親が帰ってきなって。」

私は立ち上がって鞄を持ち玄関へ向かう。すると背中から温かいものが私を包んだ。先生が後ろから抱きしめてきた。左腕はお腹に、右腕は首に軽く巻かれた。なんでそんなことするの?余計離れられなくなっちゃうじゃん。ただでさえ離れたくないのに。

「帰んなよ」

耳元で聞こえた彼の声は、今まで聞いたことの無いくらい弱々しくて寂しそうだった。締め付けられたお腹がもっと苦しくなる。胸も痛い。

私は振り返り先生の顔を見た。そして向き合った。片手を握ると先生はきょとんとした顔で私を綺麗な双眸で見ていた。

言うなら今しかない。

「私と正式に付き合ってください。」

「もぉー。ほんとに良かった。」

先生は握り繋いだ手を引っ張り抱き寄せた。さっきお腹と首にあった腕は背中にまわり、顔と顔の距離がゼロに近い。身長差でなんとか距離を保っているようなものだ。

「大好き。」

「廉!」

ここで変わらなきゃ。

「廉のせいで私、良い意味で狂っちゃったよ。」

「んふふ。これからもよろしく。」

すごく恥ずかしかったけど、伝えられてほっとしている。


それから廉は私を家の前まで送ると言ってくれた。手を繋ぐのにも今日一日でだいぶ慣れて、今は嬉しいという気持ちが勝っている。さりげなく道路側を歩いてくれるところが紳士だなと思う。

「じゃあな。」

「うん。今日はありがとう。」

「また今度ね。」





夏休みが終わり、また学校が始まった。

「瑠璃おはよう。」

後ろから呼ばれて振り向く。

「れ!…。先生おはようございます。」

「危なかったな。」

つい嬉しくて名前を呼んでしまう所だった。この関係がバレたら私はどうにかなるにしても、彼は立場がなくなってしまうだろう。

「気をつけます。」

「大会、今週だろ?」

「そうです。日曜日。」

「絶対行くから。」

「よろしくお願いします。」



私はバスケ部に所属している。三年ということもあって試合に出れることが確定していた。それからの私は朝練に放課後練習、夜の自主練をして試合に備えていた。もちろん、彼のために。


そして迎えた試合当日。ユニフォームに着替えて最終チェックに入る。友達がいない割に部活の仲間とはいい関係を築けている。と思っている。客席の方を見るともう廉が座っていた。目が合うと嬉しくて笑顔になる。おかげで緊張が少しほぐれた。


二チームが向かい合わせに一列になり挨拶をする。

「お願いします!」

絶対に勝ちたい。良いところを見せたい。

主審がジャンプボールを上げ、相手チームが高く飛んだ。ボールを早速奪われ、パスを繋げている。私の横をすり抜けて早くも一点を決められた。このままではいけない。攻めに出てやっとの事で取れたボール。仲間にパスをする。上手く受けとってくれた。彼女はすごく信頼できる人。だけど。

「十番、八をマーク!」

「いいよー!その調子ー。」

圧倒的に相手チームの方が強い。

最終クオーターで七十二対六十となり、明らかに相手チームが勝っている。

相手チームに最後の一秒でスリーポイントを決められた。


負けた。

あんなに頑張ったのに。廉にも応援してもらったのに。なんで。悔しい。私は思わず涙を流す。試合終了の挨拶をすると仲間と抱き合って全員で泣いた。監督に慰めてもらったけど、負けたことは変わらない。


私はユニフォームを脱ぎ着替えて、家に帰ろうとした。体育館から出ると雨が降っていた。朝は晴れてたから傘を持って行くのを忘れてしまった。しょうがないこのまま帰るしかない。屋根で雨宿りする気もなく私は飛び出した。雨がさらに強くなり、ゴロゴロと空が唸り始めた。雨が涙を隠してくれていることに感謝している。私はずぶ濡れのまま歩き続けた。重い足取りと重い心で。学校の体育館ではないから家まで遠い。体温も下がってきて、家に帰ったらしっかり温まらなくては。


雨は止むことを知らないはずだったのに、私のところだけ急に冷たい水が当たらなくなった。

「なにやってんだよ。」

今一番会いたくて一番会いたくない人。

「れ…ん?」

「風邪引くぞ。」

「ごめん。私、勝てなかった。」

「なんで謝んだよ。」

廉は傘を差し出してくれて私を雨から守ってくれた。ヒーローみたいな存在。私は汗と雨が染みた身体なんか気にすることもなく廉に抱きついた。彼は黙って私が泣き止むのをただひたすら待った。


数分だった後に私は抱きついていた腕を緩めた。

「傘は?」

「忘れた。」

「しょうがねーやつだなー。」

だろうなという表情で彼は見てくる。少しは期待して欲しい。まぁやらかしたのは事実だけど。

これは送ってくれる流れだ。廉と一緒にいる時間が増えてお互いのことがなんとなくわかってきた。

「送ってくれるんだ。」

「さっきまで嗚咽してた彼女をこんな雨の中、置いていく人なんていないだろ。」

「ありがとう。」

ひとつの傘を二人で分け合っているものだから、どっちか濡れてしまうのは容易に想像出来る。だけど私は一切濡れてない。さては。

「廉、肩濡れてる。」

「あー。ほんとだー。」

「ねぇ絶対気づいてたでしょ。」

たまにするんだよね棒読み。私を心配してくれるのはありがたいのだけれど、少しは自分のことも考えて欲しい。私だって、廉に嫌な思いはさせたくないから。

「風邪引くからちゃんと傘の中入って。」

「じゃあこうすればいい?」

「おっ。」

廉は私の肩をぐっと掴んで寄せた。その反動で体がアンバランスになりふらつく。肩と肩がぶつかってお互いの体温を感じ取る。綺麗な横顔を見ようとしたら、顔が紅くなっていることに気がついた。もしかして熱でもある?さっき濡れたせいだったとしたら、私が悪い。

「顔赤いよ。大丈夫?さっき濡れちゃったから。」

「大丈夫。」

「もしかして照れてる?」

廉はさっきまで目を合わせていてくれてたのに、そっぽを向き出した。

「図星?可愛いところあるんだね。」

初めて彼の弱点を知った。これは数ヶ月かけていじっていこう。

「うるせーよ。理性が保てな…。」

最後の方は雨音と被って聞こえなかった。

「なんて言った?」

「なんでもない。」

耳を傾けても教えてくれない。気になるけど、今は聞かないでおこう。


やがて家の前まで来た。

「送ってくれてありがとう。」

「ゆっくり休めよ。」

「うん。」

「また連絡するから。」

廉はまた頭を撫でてくれた。撫でられるのは嫌いじゃない。

「傘そのまま持ってけよ。」

「え、でも。」

「俺のことはいいから。」

そういうと彼は走って去っていった。




それから数日。だいぶ気持ちも廉のおかげで落ち着いてきた。今日は三者面談の日である。私は自分ののレベルに合った大学を第一志望にしていた。いつもの教室にお母さんと二人、それと教師であり彼氏。中央にある三つの机。向かいに先生がいる。

「瑠璃さんの場合はこの進路で問題ないかと思います。」

「そうですか。良かった。」

「そこで提案なのですが、もうひとつ上のレベルを受けてみませんか。」

「え?」

LINEで連絡は取り合っていたものの、そんな話は出たことがなかった。雑談とかばかりでそういったことは出てきたことがないのだ。

「この大学なのですが、どうでしょうか。」

大学の資料を指さしながら先生はこっちを見て微笑んだ。

「同じような学部もありますし、より充実したキャンパスライフが送れると思いますよ。」

「この子が受かるでしょうか。」

「正直、今のままでは五分五分です。しかしこれから勉強すれば受かる確率は格段に上がります。」

「そこ受けさせてください。」

私はなにか先生に意図があるのだと感じた。だから受けると決めた。ダメだったならしょうがない。

「面談は以上になります。なにか疑問な点などはありますか。」

「大丈夫です。」

「大丈夫です。」

先生にお礼をし、教室を出ていった。

「まさか違う大学を勧められるなんてね。」

「びっくりした。」

「何も聞いてなかったの?」

「そうだよ。」

一番驚いているのは母ではなく私だ。


その日の夜、廉から連絡が来た。何かと思い携帯を開く。

「志望校変えさせたのは、あの大学が俺の卒業した学校だからだ。」

そうだったのか。知らなかった。私はまだ廉のことを何も知らない。

「瑠璃にもそこに行って欲しい。もちろん強要はしない。」

「私、受ける。」

「応援してる。」

頑張れという旨のスタンプが送られてきて、そこで会話は途切れた。




面談の日の夜から私は本格的に勉強を始めた。それからというもの、廉と連絡をとることもなくなってしまった。寂しさを感じつつ勉強に励んだ。成績は順調にあがり、万が一のことがない限り受かるだろうとの事だった。


先に前の第一志望の大学の試験があった。問題なく終わり、たぶん合格だろう。ついに明日が本番だ。絶対廉と同じ大学に行きたい。


受かったら言いたい。一緒に住んでくださいって。大学から廉の家は近くて、これからも一緒にいたいから。


試験を受けて、自分では結構できたと思うけど、不安だ。


それから数週間の合格発表の日、お母さんとお父さんと三人でパソコンとにらめっこ。そして、十二時になった。ワンクリックすれば結果が出る。押すんだ私。

カチッと音を鳴らす。画面が切り替わり、出てくる文字は「合格」。

「やったー。」

「おめでとう。」

私は両手をあげて喜んだ。

「と、友達に電話してくるね。」

友達ではなく彼氏だけど、親に伝えてないからここは誤魔化しておこう。


リビングから自分の部屋に駆け上がり、さっそく電話する。

「もしもし廉?」

「正真正銘の四条廉だけど。」

「受かったよ。」

「まじか!おめでとう!頑張ってたもんな!」

こうやって連絡するのは久しぶりだ。

「廉、言いたいことがあるんだけど。」

「ちょっと待った。」

「え?」

「瑠璃、一緒に住まない?」

まさか向こうから言ってくれるとは。

「よろしくお願いします!私も言おうと思ってたんだ。」

「ありがとう。ちゃんとご両親にも伝えてね。」

「言ってないこと知ってたんだ。」

「知ってるもなにも見てればわかるよ。なんせ彼氏なもんで。じゃあ明日卒業式だから学校行くの忘れんじゃねーぞ。」

「わかった。」

「おつかれ。」

「じゃあまた明日。」

「はーい。ばいばーい。」


再び両親のところに帰る。

「あのね。大学生になったら、一緒に住んでくれる人がいて。今付き合ってる人なんだけど。」

「まぁ。」

「いい?」

「その人に迷惑かけるんじゃないぞ。」

「わかってるって。」

「で、誰なの?親なら知っておくべきよ。」

「担任の四条先生。」

「あら!」

お母さんは口を開けて驚いている。鈍感なところがあるのも母らしい。

「瑠璃がいなくなると寂しいものね。」

「良いの?」

「いいよ。だって私には拒否権がないもの。お父さんはどう?」

「いいぞー。」

「ありがとう!」



卒業式では部活の後輩から手紙をもらった。特に話す友達もいないから、そそくさと家に帰った。本当は先生とツーショットが撮りたかったけど、これからは毎日会えるから。


一週間後、荷造りをして廉の家へ。迎えに来てくれると言ってくれてたんだけど、親の前だと恥ずかしくなってしまうだろうから断った。

「お邪魔します。」

「待ってたよ。いらっしゃい。」

渡してくれたのは合鍵。準備してくれていたんだと嬉しくなる。

「提案があるんだけど、もっと広い部屋に住まない?」

「でもお金が。」

「そこは気にしなくていいから。」

「じゃあ私、バイトする。」

広いと何かと便利だけど、生活できるかが心配だ。私がバイトすればちょっとは廉が楽になるよね。


「俺、ソファーで寝るから。」

「いや私がソファーで寝るからベット使って。」

「いやいや瑠璃が。」

私が折れた結果、ベットで寝ることに。

「おやすみ。」

「あ、明日不動産屋行くから。」

「いきなり!?」

「この時期、いい物件はすぐ売れるんだよ。」

「さすが教師。わかってるね。」

「じゃあ今度こそおやすみ。」

「おやすみー。」


内見をいくつかして何日もかけて相談してやっとここに決まった。


大学に入学して慣れてきた頃、私はバイトの面接を受けた。早速明日から働くことに。家に帰れば好きな人がいる。それがあるだけで頑張れる。



夜ご飯は私の担当。料理を作っていると、後ろから抱きしめられた。

「危ないよー。」

「たまにはいいじゃん。」

包丁で野菜を切っている時だったからなおさら危ない。実は甘え上手で仕事してる時とは全然違う。


あと彼の好きなところがある。それはリビングでパソコンを見つめて作業しているとき。メガネ姿にキュンと来る。


廉と同じシャンプーを使って、同じ洗剤を使っているから、同じ匂いがする。もっと近づけたように感じて嬉しい。


順風満帆に生活している私だが、最近好きと言ってくれないことに不満を感じる。お風呂でそんなことを思っていた。確かめてみるか。私は洗面所の外に出て聞く。

「ねぇ廉。私の事好き?」

「好きに決まってんじゃん。急にどうしたの?」

彼は私のところに近づいてきてくれた。

「最近、好きって言ってくれないから。」

「不安になっちゃったの?」

「うん。」

「ごめんね。俺、慣れると扱いが雑になっちゃって。お望みなら毎日好きって言うよ。」

「そこまでしなくていい。」

毎日言われてしまうと、照れて顔が見られなくなってしまうから。




部屋が広くなったからダブルベットを買って、毎日二人同じところで寝ている。

「おやすみ。」

「おやすみー。」

廉が壁側だからたま腕がお腹に来ることがある。まぁ嬉しいけど。


起きたら隣にいるはずの廉がいなかった。

「れ…ん?」

家の中を見渡しても彼の姿はなくて、一気に寂しさが込み上げる。やばい、泣きそう。

そんな時、ガチャっと家のドアが開いた。

「瑠璃どうした?」

彼が買い物袋片手に、ベットで涙ぐむ私に近づいてくる。ふわりと隣に腰掛けて心配そうな目をして見てきた。

「いなくなっちゃったっと思って。心配になった。」

「ごめんな。一人にさせて。朝メシ買いにコンビニ行ってて。」

良かった。いなくなってたらどうしようかと。嫌われたかと思った。

「携帯持ってたし連絡してくれれば良かったのに。」

「あ。」

「寝ぼけてたからか。可愛いなー。」

わしゃわしゃと頭を撫でてくる。


「瑠璃は俺のこと好き?」

「好き。」

「俺は大好き。」

「これからも一緒にいてね。」

「もちろん。」


〜完〜

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