第1話 食事の神 シロ
夜空に撒かれた瞬く星々。
それがすべて金平糖に見えて腹が鳴った。
一体いつから食べ物を口にしていないんだろう?
そもそもいま自分がどんな状況に置かれているのかということすらわからない。
背中に強い風を感じる。眼前に広がる星空はほんの少しずつ遠ざかっている気がした。
――あれ? これってもしかして落下してる真っ最中か?
慌てた俺は両手両足をばたつかせたが、宙を掻くばかりで掴まるところがどこにもない。
そうこうしている間に全身を強い衝撃が襲い、土煙と白い瞬くような光が視界を覆った。光はさっき見た瞬く星に似ている。
落下した体勢のまましばらく固まっていたが、どこも痛くないことに気がついて俺はゆっくりと起き上がってみた。
手足はくっついている。胴体だって健在だ。なぜか着ている服が白一色の簡素な服になっていたのが気になったが、落下しても無傷なことのほうが気になって服どころじゃない。
「ようこそ、新たな神よ! この私、夜の女神スイハが祝いにきてあげましたよ!」
突然背後から声をかけられ、飛び跳ねるほど驚いた。
恐る恐る振り返ってみると声の主は背の高い女性だった。ストレートの長い髪も、瞳も、暗い星空のようなマーメイドドレスもすべて黒を基調としていて背後の闇に溶け込んでいる。
頭に被ったつばの大きな帽子はまるで魔女のようだ。
スイハと名乗ったその女性はそのままにこやかに近寄ってくる。
「か、神様ってなんのことだ?」
「星空より落ちてきたでしょう、この世界ではこうして新たな神が誕生するのですよ。まあ他の皆は興味がなさすぎて……ついでに飽きてしまって、誕生を察知しても顔すら見せませんけれど」
スイハは片手を差し出したが、なんだか胡散臭くて俺は自力で立ち上がった。
神様なんて言われても信じられるものか。というか人違いでもしてるんじゃないか?
それでも少し不安になって、自分のことを振り返ってみる。
俺の名前は
高校一年生で成績は中の中、悪すぎるわけではないが両親には「よく食べてよく寝るのはいいけど勉強もしなさい」と叱られていた。
趣味は食べること。特に好きなのが――あれ?
どの料理も好きだけれど、一番の好物があったはずだ。
なのに思い出せない。一体なんだっけ?
再確認を中断して眉間にしわを寄せる。おかしいぞ、記憶が虫食いみたいになってて思い出せないことが沢山ある。
食べることが好きで……
(そう、そうだ!)
好物は思い出せないが、あることを思い出して俺は自分の腹を押さえた。
両親が事故で亡くなり、他に親族もおらず、俺は高校生にして天涯孤独の身になったのだ。
施設の世話になる前に思い出の詰まった山、父さんとよく出向いていた山に登って心にケジメをつけたい。
そう考えて登山に挑み、そして遭難して最後には餓死したんだ。死んだ瞬間のことなんて覚えてないけど、腹が減りすぎて胃に痛みと吐き気が延々と続いていたのは今も記憶にこびりついている。
その時スイハがにこやかに言った。
「あら、緊張してるのですか? うふふ、大丈夫、すぐに慣れますよ。さあ、そんなことよりも――あなたは何の神でしょうね?」
俺が混乱しているのをいいことに、スイハはすらりとした指を近づけてうなじに被さる髪を横に払う。
長い髪じゃないが首が隠れる程度には伸びているので見えなかったらしい。
だがなんで確認のためにそんなところを見ようとしているのかがわからない。俺の中でスイハは不審者疑惑のある女だったが、そこから不審者確定にランクアップした。
「な、何す……」
「私、この確認が運試しのようでとっても好きなんです」
ガチャ感覚か! と俺は声に出さずに叫んだ。
なんであれ、いくら美人でも不審者にうなじをまさぐられるのは良い気がしない。そう思い距離を取ろうとするとスイハは腕を俺の顎の下に滑り込ませてがっちりとホールドした。
痛みはないが動くことができなくなる。
な、慣れてるな……!?
「大抵は取るに足らない神ですけれど、大丈夫、もしそうでも私の派閥に加えて差し上げますよ」
「それって勢力拡大が狙いなんじゃ……!?」
「おや、心外ですね。生まれて間もない神に居場所を与えてあげてるだけですよ? さあさ、ここに何の神か示すお印が……、っ!」
ぎょっとした雰囲気が背中から伝わってくる。
なんだ?
もしかしてデカいホクロでもあって、そのお印とやらが見えなかったのか?
スイハがあまりにも驚いたのか腕の力を緩めたので、その隙に俺はするりと拘束から抜けて今度こそ距離を取った。
スイハは口元を両手で覆ってふるふると震えている。ホクロどころか変な虫でもいたんじゃないかと心配になり、自分でもうなじに触れてみたが凹凸は感じられなかった。
様子を窺っているとスイハはか細い声で呟く。
「……事の……神……!」
「え? 今なんて……」
「食事の神だなんて初めて見ました!!」
急に大声になるな!
小声に集中していた俺は唐突な激しい声量に飛び退く。その間にずんずんと距離を詰めたスイハはぎゅうー! っと俺の両手を握って目を輝かせた。
さっきから距離感がおかしいが素なんだろうか。
「素晴らしいです! 素晴らしいですよ、食事の神!」
「ええと」
「ああ、知識がなくて喜べないのですね。我々の世界で『食事』はもっとも重要なもの、万物は常にフードファイトを行ない勝敗をつけるほどです! つまり食事を司る神は最強の神なのですよ!」
「ふ、ふーどふぁいと?」
どうにも事態が掴めないが、どうやらスイハからすると適当に無料デイリーガチャを回したら高性能SSRが出たような気分らしい。
それは俺でも嬉しいが、喜ばれる側になると複雑な心境だ。
「これは祝いの席を設けなくてはなりませんね! 傘下の者たちにも知らせねば!」
「あ、いやその、とりあえず俺は家に帰――」
「美味なお食事もたっぷり用意いたします!」
ぴたり、と俺は思わず動きを止めた。
ここに落ちた時からずっとずっと空腹を感じていて、正直言ってそろそろ限界だった。今なんて腹の虫が鳴くのをやめようとしているくらいだ。究極まで腹が減ると腹が鳴らなくなるのを俺は知っている。
でもこんな怪しい奴についてっていいのか?
言葉巧みに自分の手の内へ引き込もうとしてるだけじゃないのか?
もし一度は死んだものの何らかの理由で生き返ったのなら、俺は家に帰りたい。
まあ帰って何かあるわけじゃないけど生存くらいは知らせておかないと。遭難者の捜索ってたしか想像を絶する金が必要だった気がするし……。
そんな俺の悩みをよそにスイハは次から次へと話を進めていた。
「私の誕生会のために用意してあったものですが、牛の神から取り寄せた最高級の肉を焼かせましょう。食事の神、あなたはどんな焼き加減がお好みです? レア、ミディアム、ウェルダン? それと果物と凍らせた果汁による芸術的なデザートもお見せしましょうか。私の陣営には果物の神と氷の神もいるのです」
「え、えーっと」
「先日仕入れた新鮮なカボチャでスープもいいですね! とても美しい橙色で、ミルクを混ぜると甘くて美味しいのですよ。そこにクルトンとパセリをぱらり」
「う……」
「白く艶やかなライスと、ふっくらとしたパンは気分で選べるようにしましょう。両方召し上がっても宜しいですよ。さあ――」
如何ですか? とスイハは妖艶に微笑む。
――こうして、俺は夜の女神の領地へと連れて行かれることになったのだった。
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