ユメの残骸

ユメの残骸

 夢は、必ず破れる。ありとあらゆる理想、自分の欲しいもの、そうあってほしいものをすべて手にすることはできない。


 少なくともこの街では、夢半ばで心が折れてしまう人間のほうが多い。それでも、人生は続く。生きたいというのも、人間の夢。そしてそれは、必ず訪れる死によって否定される。それでも、生きたい。


 そうやって人間は生きている。贅沢な夢を叶えられなかった人間にも、生きたいという要求は満たされるように。


「おはようございます」

「ようこそ、コンビニエンスストアドリームロールへ」

 来た。

 夢に破れそうな人が、またひとり。

「どうぞ。こちらに座ってください」

 扉を開けて、入ってくる。


 女。二十才ぐらいの見た目。胸が小さい。足が長い。モデルか。


「綺麗な事務所なんですね」

「わたしがひとりで掃除しています」

 嘘。掃除はだいたい小間。


「では、シートをこちらに」

「あ、はい」

 名前と年齢だけを要求する用紙。

 美田恵。十七才。

 事前の情報と同じ。

「あの、学歴とかは」

「大丈夫です。わたしのところは、名前とだいたいの年齢だけあれば」

 表情にわずかな怯え。


「そのメイクは、ご自分で?」

「あ、いえ」

 化粧してない。

 違う。

 わざと不格好に見せる化粧をしている。分かりにくいが、素顔は綺麗。


「じゃあ、世間話をしましょ」

「世間話?」

「うん」

 座り直した。

 相手の脚。硬く閉じられている。


「これ、たべる?」

 机に載っていた試作品を渡す。

「えっ、いいんですか」

「どうぞどうぞ。コンビニエンスストアドリームロールの、新作ロールケーキです」

「いただきます」

 袋を開けようとして、再び警戒。


「あれ、私、どこか怖いですか?」

「あ、いえ」

「大丈夫です。あなたはもう九割九分九厘合格してます」

 表情。消える。

「わたしのところは、広告求人出してないの。ここに求人で来たということは、うちの社員かアルバイトさんの伝で、ようするに顔パスに成功したってわけ」

 表情。動揺。


「ここは、何て言われた?」

「安心できて、こわくない職場、だって」

 動揺しているせいで本音が出た。こうなると次は恐怖が襲ってくるから、その前にこちらから話さないと。


「そのとおりです。安心できてこわくない職場です。ついでにいうと、あなたアルバイトだと思って来てるようだけど正社員です」

「えっ」

「うちはアルバイトもパートタイマーも全員正社員雇用扱いです」

 十七才なら、これで落ちるだろう。


「正社員って」

「学校通ってても大丈夫です。書類上はちょっと特殊だけど、普通のアルバイトと変わりません。学校ずる休みして働きに来てもいいし、働くのずる休みして学校の友達と遊んでも大丈夫」

 安心と恐怖。半々。


「正直にいうとね、合同会社コンビニエンスドリームロール、お金が余ってるの。会社の利益がどうとかって、よくわかんないんだけど。私は作りたいもの作ってるだけだし」


 自分も、机からひとつ試作品を取って、袋を開ける。

「うん」

 たべる。

「うまい」

 うまいんだけど、商品にして出すのには、なんかこう、あと一歩、何かが足りない。味でも見た目でもない。何か。


「なんか利益に合った雇用数がどうこうっていわれてて。だからアルバイトも正社員にしてお金を押し付けてるわけ」

 事実。


「そう、なんですか」

 心を許しはじめている。

「それより、これ、あの、作られたんですか?」

「うん。スイーツの草案はだいたい私だけど」

「え、うそ」

 嘘だった。草案だけではなく、仕込みから流通までほとんど自分の差配。しかし、今それを言うとまた警戒されかねない。なるべく凡人に近づかなければ。


「あの、ここのスイーツ、すきです。ぜんぶたべました」

 テンション上がって興奮してる。

「そう。うれしいわぁ。あ、そのロールケーキ。食べてみて。新作」

「はい」

 スイーツが彼女の口に吸い込まれていく。

 美味しそうな表情。

「おいしいです」

 スイーツを食べれば、心の扉は開かれる。


「ほんと。よかった。あ、そうだ。じゃあ最初は、スイーツの味見担当やってみる?」

「えっ」

「うん、どうしたの?」

「ここって、コンビニの」

「うん。コンビニだよ。合同会社だけど実質個人経営のコンビニ、コンビニエンスドリームロールです」

「コンビニのバイトって、レジとか、品出しとか」

 コンビニバイト未経験者。

「そういうのはね、やりたい人がやるスタイルなの。スイーツよりそっちのほうがやりたい?」

「あっスイーツがいいです」

 即答。


「じゃあ、よろしくね。ええと、美田さん、でいい?」

「はい」

「私は甘味といいます。甘味と書いて、あまみです。そのままです」

「よろしくおねがいします」

「おっと、待った。まだ九割九分九厘の合格よ。あとひとつ、あなたには試験が残っています」

 緊張と、欲望。ここで働きたいという感情。


「私と世間話をしてください。お話が好きなのよ私。ここで軽く世間話をして、それで美田さんがなんか違うな、この人とやってけそうにないなって思ったら辞退してください。それが残りの一厘」

 弛緩と、安心。

「なんだ、てっきり私が試験されるのかと」

「逆よ逆。あなたが私を試験するの。さ、おはなししましょ」

 手を叩いて、小間を呼ぶ。


「小間、おかしもってきて」

「小間遣い荒いんだからもう」

 小間がおかしを持ってくる。すべて、うちの会社の商品。


 美田。表情。明らかな硬さ。警戒、いや完全な恐怖と孤立。


 小間が机におかしを載せ、反転しながら耳打ちしてくる。

「男性恐怖症です。たぶん軽度」

 口パクでありがとうと伝える。軽く頷き、小間は美田のほうを見ずに出ていった。


「さ、たべながらおはなししましょ」

 おかしを手に取る。つられて、美田もお菓子を手に取った。恐怖対象が消えた安心で、こちらの動作に対する無意識反復を起こしている。


「まずはそうね、あなたの来歴。好きなものからどうぞ」

「好きなもの。ええと、ここのスイーツが好きです」

「どういう系が好み?」

「プリンとかケーキとか。甘いものです。でもここのプリンもケーキも、甘いんだけど、なんかこう、ちょっと甘くないというか、その絶妙なところが」

 本当に、スイーツ好き。そして、仕込みが甘さだけではないことにも理解がある。使える舌だ。


「でも食べるとふとっちゃうのがこわくて、学校に行くときとかは走ってます」

「学校。どこの学校?」

 ここの近く。家も走って行ける距離。


「疲れたら、またここでスイーツを買って食べるんです。そうするとおいしくて、絵がはかどって」

「絵?」

「あ、えっと、こういう」

 通信端末を取り出して、何か手繰りはじめる。

「これです」

「おお」


 絵。


 この街の風景が描かれている。夜。美しい。


「きれい。写実と幻想の中間のような夜景。とくにビルの間を流れる、風、いやこれは車のライトね。ロングシャッターで」


 思わず感想がそのまま口に出てしまった。スイーツ担当が絵に詳しいのはおかしいか。


「ごめんなさい。つい口が」

「いえ、あの、うれしいです。そんなことを言ってもらえて」

 感謝と、なぜか、恐怖。


「学校でも絵について何かやってるの?」

 先に話題を変える。

「いえ、学校は普通の普通科です。勉強があんまり得意ではないので」

「じゃあ絵は」

「絵画アトリエで開く塾みたいなのがあって、それに通ってて」

 曇る表情。


「将来は絵のお仕事を?」

 無言。


 これが彼女の夢。絵を描きたいという夢。


「でも、アトリエはもう、行けなくて」

「どうして?」

 なるべくゆっくり、話しかける。ここは催眠と同じ。叶わなかった夢の話を、してもらわなければならない。これが、本当の、残り一厘。


「私は物や風景の絵が描きたかったんです。でも、先生に、人の絵も描いてみないかって言われて」

「それで?」

 ここは少し強めに。最後まで話させるように仕向ける。


「先生、急に服を脱ぎはじめて。わたし怖くて。それ以降、アトリエに行けなくなって」

「あっ分かった」

 大げさな声を出して、手を叩く。催眠解除のサイン。


「アトリエに行けなくなったけど受講費を払ってる両親には話せなくて、それで普段受講している時間にアルバイトして受講費を秘密裏に稼ごうってことね」

「はい」

 観念したような表情。


 事前の情報とも一致する内容。


「わかったわ。じゃあ、がっつり、ここで稼ぎなさい。アトリエの電話番号って分かる?」

「いえ、番号は」

「じゃあ、名前とかでもいいわ」

「K2Cスタジオ、です」

「ケーツーシー、ね。ありがとう。私から非公式に弁護士に相談しておくわ」


「えっ」


「大丈夫。あなたのことを明かすわけじゃない。他にも似たようなことをされた人がいないか調べるってだけよ。安心しなさい。ここにいる間はスイーツ担当のわたしが守ってあげる。だからあなたは安心して、わたしのスイーツを味見しなさい」


 泣き出す。


「あらあら。ほら、もっと食べなさい」

 泣きながら、食べ出す。


「じゃあ私は書類だけ作ってくるから、そこでスイーツ食べて待っててね。なくなったらさっきの小間がスイーツ持ってくるから。大丈夫よ。扉の向こうにいるから、何かあったらすぐ分かるから」


 事務所を出る。すぐに、小間が寄ってくる。


「どうでしたか」

「アトリエの先生が目の前で服を脱いだんだとさ。ケーツーシー、っていうスタジオで合ってる?」

「合ってます」

「電話は」

「今つながっています」

「よし。外で話す」

 渡された通信端末を持って、階段を昇る。屋上。


「お電話変わりました。代表の甘味です」

『克史といいます。この度は塾生がそちらに』

「ご迷惑でもなんでもないわ。事前の情報も丁寧だったし。あの子、絵の才能の他に美食の才能もある。いい芸術家になれるわよ」


 叶わない夢。しかし、手の届くところにある夢。


『しかし、アトリエに来てもらえないことには』

「それなんだけど、あの子の前で、服を脱いだこと、ある?」

『服、ですか?』


「いま話を聞いた感じ、あなた、人の絵を描きたくないかって言って服脱ぎだしたらしいけど」


『いや、服を脱いだというか、作業着を脱いだだけ、ですが』


「作業着ね。いままでにその子の前で作業着を脱いだことは」


『ないですね。たしかそのときは、えっと、人の絵を書くとき参考になる本があるんですけど、それを取りに行こうと思って作業着を脱いだ記憶があります』


「わかった。こちらでうまく調整するわ」


『ありがとうございます』


 思春期のおんなのこが、目の前で作業着を脱いだだけの人間を見て、妄想を膨らませただけ。


『よろしくおねがいします。あの子の絵は、きっと素晴らしいものになる』


「わたしもそう思う。先に言っておくけど、あなた、あの子の被害妄想では加害者になってるわよ」


『え?』


 電話を切った。後のことは小間でいいだろう。しかし、この克史という男には少しだけ会ってみたい。十七才のおんなのこが被害妄想をするぐらいなのだから、美男子のはず。


「思春期、かぁ」


 シガレットを取り出し、ひとつ、口にくわえた。


 小間が寄ってくる。


「わたしも体験してみたかったなぁ、思春期」

「何言ってるんですか。いま下でスイーツ食べまくってる子供と同い年でしょあなた」


「いやまぁ、そうだけど。私そういう男女関係の妄想って、したことないし」


「小間から見れば、充分あなたは思春期ですよ。じゃなきゃこんな、ココアシガレットでタバコの真似事なんてしません」


「あ、こら、返せ」

「小間使いには代償を要求します」


 小間。私から奪ったココアシガレットを噛み砕いていく。

「あの子の夢、戻ってくるといいですね」

「そうね。折れてもまだ、夢は夢よ」


 夢は、必ず破れる。ありとあらゆる理想、自分の欲しいもの、そうあってほしいものをすべて手にすることはできない。


 少なくともこの街では、夢半ばで心が折れてしまう人間のほうが多い。それでも、人生は続く。生きたいというのも、人間の夢。そしてそれは、必ず訪れる死によって否定される。それでも、生きたい。


 そうやって人間は生きている。贅沢な夢を叶えられなかった人間にも、生きたいという要求は満たされるように。


 そして、どうせなら、夢を追って、生きたい。叶わなくても。心が折れても。それでも、夢を追って生きる。そのために、この街には私たちがいる。


「さて、コンビニエンスドリームロール、あの子の夢を取り戻しに行きますか」


「思春期の妄想をぶち壊しに行く、の間違いでしょ」



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