追われる者、追う者

統一暦499年12月2日午前8時50分

 逃げ出したはいいものの、聡兎とて特にアジト的なものを持っているわけではないのでとりあえず逃げ込んだのは恵吏の部屋だった。

「どうするつもりなの……?」

「これから考える。」

「ええ……。」

 恵吏は聡兎に呆れつつ、あの場を切り抜けることができたのは聡兎のおかげだったこともあり強く出ることはできない。

 アカリはコンビニで買ったお菓子を食べていて、呑気なアカリを見て恵吏はほんの少しだけ安心した。


統一暦499年12月2日午前9時

 早乙女在理沙ありさは複数のモニターの前でキーボードを打っていた。彼女が打ち込んでいるのは機械言語の一つ。ある少女を追い詰め、捕捉するためのプログラムを構築していた。

 コンピュータが指示を理解するために媒介される、人間の可読性とは別の指向性を持った言語。その始まりはチャールズ・バベッジの開発した解析機関を動かすためのパンチカードだったとか。コンピュータの発達とともに言語も発達する。コンピュータが複雑な動作を可能にすると、それとともにそれを動かすための記述も複雑化した。現在用いられているようなプログラムを一から人間が入力していたら何日、いや、何年かかることか。不眠不休だとしても。

 それでは在理沙はなぜそんな人間に不可能なことをやっているのか?当然、そんな馬鹿げたことを「機関」の解析チームの主任技術者たる在理沙がやるわけがない。彼女がやっているのは、幾つものAIに指示を飛ばすことだ。在理沙は適切な指示を飛ばし、AIたちはそれに従ってプログラムを高速で記述する。現在使われているプログラムはその殆ど、いや、全てと言ってもいいほどこうした手法で作成されている。在理沙はその効率が他の者の数百倍ほど良いだけだ。

 在理沙は全ての指示を終える。入力の手を止めたところで部屋のドアを開けた者がいた。

「終わった?」

「……うん。」

「はい、コーヒー。淹れたてだよ。」

「……ありがと。」

 祇園寺ぎおんじ霊那れいな。在理沙と同棲していて、仕事以外の在理沙に必要なことを全てやってくれる。嫁と言うには結婚していないしそこまで踏み入った関係ではない。彼女、と言うにもそんなに軽い関係でもない。……あいつと私の関係性に似てるな。

「……ごめん。」

「…………?何?」

「……もうすぐ終わりそうだから。思い出しちゃって。」

「…………。」

 霊那は在理沙に抱き着く。

「私は大丈夫だから。あなたに無理だけはしてほしくないの。」

 霊那は口を開いてもう一言だけ何かを言おうとしていたが、口をつぐむ。


 在理沙はACARI登場以前のネットワークの管理を行っていた組織の技術者だった。15歳で就職し、その能力の高さですぐに昇格を重ねていった。

 そして霊那と出会う。

 彼女と最初に会った時は同僚の娘という関係だった。同い年ということもあり、度々顔を合わせるような仲になる。

 統一暦489年1月1日、ACARI運用開始。それと同時にネットワーク管理に携わっていた者は全員が職を失うことになる。ただ、「延命措置」とでも言うべきものがあった。管理組織の技術者から数人をACARI運用開始後安定するまでという条件付きで雇用するというものだった。

 そこで在理沙は採用され、霊那の父は落ちた。簡単な話だ。在理沙の能力は圧倒的で、霊那の父はそれに比べれば凡庸だった。父が職を失ったことで、霊那は途端に生活苦に陥る。

 そして、霊那の父は自殺する。正確には、彼の書斎で亡くなった状態で発見された。遺書のようなものはなかった。

 霊那の母は霊那が幼いころに亡くなっており、これで霊那は一人になってしまった。そんな霊那を引き取ったのが在理沙だった。彼女は霊那の父が落ちたのは自分のせいであり、それは間接的に霊那の父を追い詰めて自殺させることに繋がったのだと思っていた。罪悪感があったのだ。

 それに、在理沙は霊那が努力家であることを知っていた。霊那は熱心に勉強していて、レベルの高い大学を目指していた。それが父による収入がなくなったことで学費が払えないために諦める、ということはしてほしくなかった。在理沙は才能だけで登りつめた自分とは違う、努力の塊である霊那に憧れに近い感情があったかもしれない。

 一時雇用の終了後、在理沙は「機関」に就職することになる。高すぎる能力を活かせる場であること、霊那を学ばせるための収入が欲しかったことなどもあるが、在理沙の本当の目的は一つ。

 ACARIによる支配を終わらせる。

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