リビングデッドと不運な死体
譚月遊生季
リビングデッドと不運な死体
腹の底で憎しみを煮つめながら大人になった。
笑って取り繕うことだけが上手くなり、息をすることさえ下手なままだ。
がたん、ごとん。
目の前で電車が通り過ぎていく。
この駅は、自殺者が多いことで有名だ。
手が出てきて引き込まれるだとか、そういう噂もある。
がたん、ごとん。
いっそのこと、引き込んでくれたらいいのに。
こうやって逡巡する暇さえなく死ねるなら、それほど楽なことはない。
がたん、ごとん。
ああ、これは今日も死に損ねるかな。
そんなことを思いながら、乗るべき各駅停車にのそのそと乗り込んだ。
明日も仕事か。
明日なんて、来なければいいのに。
***
殺したい人間の顔が、頭に浮かんでは消える。
駆け込み乗車の客が走ってきて私の肩にぶつかり、乗り遅れて舌打ちをした。
殺したい人間がまた増えた。
さて、噂の手はいつ私を引き込んでくれるのだろうか。
がたん、ごとん。
目の前を電車が通り過ぎる。
どうやら今日も、生き延びてしまうらしい。
***
いい子でいようとして重圧で窒息し、悪い子になろうとして自責に潰された。
中途半端に子供のまま、中途半端に身体だけ大人になった。
がたん、ごとん。
スマホのニュースで私に似た人間が取り上げられていた。
彼の供述が胸に刺さり、コメント欄の冷たさに震える。
私の未来も、同じようなニュースの記事だろうか。それならいっそ殺してほしい。
がたん、ごとん。
今日も、五体満足で各駅停車に乗った。
特急でも帰れるが、くたくたなので座って帰りたかった。
力が入らなくて、ちゃんと座れない。人より少しだけ余分に取ってしまったスペースを「邪魔だろうな」と感じて、申し訳なくなった。
すみません、今日も死ねませんでした。
がたん、ごとん。
がたん、ごとん。
がたん、ごとん。
電車の音が耳に突き刺さる。うるさくて仕方がない。
がたん、ごとん。
挙動不審に思われたくない。不快に思われたくない。迷惑になりたくない。……ああ、だけど……
あわよくば、誰かに気づいてほしい。助けて欲しい。……なんて。
がたん、ごとん。
投身自殺なんて考えるくせに?
迷惑だからできない? 生きてるだけで迷惑なのに?
迷惑じゃなくてもどうせ死ねないくせに?
死ぬ勇気なんてないくせに?
がたん、ごとん。
肩を叩かれ、びくりと顔を上げる。
「終点ですよ」
いつの間にか乗り過ごしていたらしい。
ああ、明日も仕事だ。早く、帰らないと。
***
憎い誰かの顔が脳裏に浮かぶ。
あいつをホームから突き落としてしまいたい。
そうなる前に……過ちを犯す前に私が死ねば……死体は一つで済むんだ。私が死ねば、そのぶん、救われる人がいる。
いつからか、「呪い」が私を引きずり込むことを望むようになった。
他人の手で終わらせてもらえるのなら、それが呪いだろうが霊魂だろうが、私にとっては救いなんじゃないかって。
恋人がいたこともあったし、友達もいる。
でも、幸せになればなるほど、満たされれば満たされるほど、苦しくなる。胸が痛くなる。……逃げ出したくなる。
そうしてまた申し訳なくなって、死にたくなるんだ。
遠い記憶が胸の奥からせり上がって、喉元でつっかえる。くすくすとした笑い声が、ヒステリックな怒鳴り声が、私を否定する声が耳元から離れない。
がたん、ごとん。
視界の隅に、何か、白いものが映った。
手だ。青白い、生気の失せた、噂通りの怪異。
背筋が凍る。……そして、口元が緩む。
やっと、やっとだ。私を迎えに来てくれた。
やっと楽になれる。やっと解放される。やっと救われる……!!
びしゃりとホームに血飛沫が散る。
「なに!?」
「自殺……!?」
「うげぇ、迷惑……」
「死ぬなら場所考えろよ」
「最悪……」
当たり前に日々を生きる人達の、当たり前の声がする。
私は立ち尽くしたまま、動けなかった。
ホームに血飛沫が散っている。
スマホを構える人達が見える。
白い手はもうない。
電車の下には、きっと、顔も知らない誰かの死体がある。
ああ、なんで。
なんで、私じゃなかったんだろう。
──たすけて
引きずり込まれた誰かのか細い声が耳から離れない。
私が選ばれていたなら、死ななかった誰かの声だ。
ホームにへたり込む。駅員さんが私を助け起こしてくれる。
「大丈夫です」
笑って取り繕って、ベンチの方へと向かった。
耐えきれずに涙がこぼれ落ちる。でも、ほら、今なら泣いてもおかしくないか。みんな、変な顔しないよね。
頬に伝った雫がベタついて、気持ち悪い。
どうやら今日も、生き延びてしまったらしい。
リビングデッドと不運な死体 譚月遊生季 @under_moon
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