最終話:そして現在へと
多剤大量処方は、私の人生を破壊した。
でも、多剤大量処方を呼び込んだ原因は、私の甘えた心にもあった。
しかし、そこから私は運良く回復できた。
医療は人を救うものだが、時として人の人生を壊す。
薬は、いつも良いものだとは限らない。
初めて、二年前にこのエッセイを書いた時点では、私の記憶の復活率は三割くらいでした。それからどんどん私の記憶が回復し、私はこのエッセイを【改稿版】して全て書き直し、都合の悪い記憶にも向き合い、自分の弱さにも向き合いました。
己の弱さに目を向ける事は、とても苦しい。他人のせいにしてその事実から目を背けていたほうがどんなにか楽だろう。
しかし、私はこれから一社会人として前に進んでいきたいのだ。人として成長していきたいのだ。だから、都合の悪い事実に目を向けてこのエッセイを書き直した。
今、私はフリーランスのクリエイターとしての一歩を踏み出している。回復してから、スーパーマーケット店員・医療事務員・学校事務員と職場を転々とした。
社会に慣れていない私は数えきれない失敗をした。周囲にも心配や迷惑を沢山かけたきた。両親や夫となったおいたん(Eさん)には、未だに心配ばかりかけている。
しかし、回復してから私は毎日気持ちがいいのだ。
自分の意志で行動し、自分の目標のために努力出来る。そして自分が自分だと分かっている。現実を、現実として見れている。
もう私は、妄想の中の住人ではないし、目の前の人を大切にすることが出来る。
そんな当たり前の事が、とても気持ちいい。
そんな当たり前の事すら出来ない状態は、本当に苦しい。
母は、いつも言っていた。
「医学は進歩してるから、いつか無雲の病気も治るよ」
この母の言葉は、全てを表している。M先生はよくこんなことを言う。
「当時はいい薬が無かったから鎮静させるしかなかったっていうのもある」
しかし、多剤大量処方は避けようと思えば避けられることだ。
『真に人を救う』とはどういう事なのか。
今一度、考えてみて欲しい。
そして、自分が納得いく医療を受けて欲しい。
それは全て、自分の人生のためなのだ。
──────了
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