アルルと秋色⑧
「よう、セバスニャン。隣、失礼するぜ。んどっこらせ」
「ニャ~」
翌日。俺はすっかりこの夕暮れ時の中庭のベンチを指定席と定めた猫の隣に腰掛ける。
ご飯とかどうしてるんだろう? 学校に住んじゃえば多分いろんな生徒が餌を持ってきてブクブク肥えて最後にはお持ち帰りされる定番ルートにでも入ったのかな?
「お前やるな。猫が学校に住むのは女の子がオタサーに入るくらいイージーモードへの裏ルートだぞ。白い雲の被さった足場で一定時間十字キーの下を押すと行けるんだ」
「ニャ~」
「……ツッコミがこないと思ったら、珍しいな……アルルはまだきてないのか」
「ニャ~」
俺の言葉を肯定するようにセバスニャンが鳴いた直後、
「ん?」
ふわりと、石鹸の香りにハッカ系の匂いを混じらせて、いつもの銀髪娘が姿を現した。
「よう」
「ニャ~」
「…………」
俺とセバスニャンが挨拶するも、アルルはソレには応えず無言で隣に腰掛ける。
「……おい?」
明らかにアルルは様子がおかしかった。
俺の方を見ようとしない。一言も喋らない。
一昨日は落ち込んでるのかと思った。
昨日は不機嫌なのかと思った。
今日は……嫌な予感がした。
「……何があった?」
俺は胸の中でどんどんやかましくなっていく警鐘を押さえ込むように、できるだけ平静を装って、静かな声音でそう質問した。
「な……」
相変わらずこちらを見ようとはしないモノの、ようやくアルルが口を開いた。
「…………」
『何も』と言いかけてやめたのだろう。明らかに何かがあったのだ。
嫌な予感がした。
いや、本当は昨日、アルルの帰り際からずっとしていたのだ。この予感は。
「…………」
「…………」
アルルが口許をぎゅっと締め、膝の上でスカートの裾を握るのが目に入った。
今、彼女は必死に湧き上がる激情と戦っている。
自分の感情を整理し、俺にソレを伝えるべきか、そして伝えるとしたら、自分の思いをどうやって、どのように言語化するか、考えているのだろう。
俺はソレが手に取るように分かっていたから、再度同じ質問を繰り返すことをしなかった。
アルルが言葉を紡ぎ出すのを、ただひたすらに待った。
「あんたの……言う通り……ね。あたし、ちょっと痛い目に遭ったみたい」
「…………」
「もっとも……あたしは全然痛手だなんて思っていないけど」
「……そうか」
強がるなよ。と言いたかったが、そこはアルルの性格を考えれば、認めるはずがない。
だから俺は黙って先を促すことにした。
「昨日会った男はホント傑作だったわ。最初笑っていて、その内泣き出して、終いには怒り出した。コレまで見た情けない男達の醜態の集大成だったわ」
「……何があった?」
俺は先程と同じ言葉で、先程とは違う質問をした。
「別に面白くも何ともない話よ。交際を申し込まれて、あたしはソレをハッキリと断って……相手が腕力にモノを言わせて実力行使に出たってだけ。オチもどんでん返しも何もないわ」
「…………」
「…………」
ホラ言わんこっちゃない。言い寄る方にルールがあれば、言い寄られる方にもルールはあるのだ……などと言う気にはとてもなれなかった。
「……しい」
「……?」
「なんであたし、女なのかしら……悔しい……」
どこか自嘲気味な声で、アルルがポツリと言った。
「…………」
「無理矢理抱き締められて、振り解けなかった。もう少し力があれば、思い通りになんてさせなかったのに……」
「…………」
「一緒にいた男がいきなり泣いたり怒ったり、ワケ分からなくなっちゃった。何て言うか……」
「…………」
『怖かった』とは彼女は言わなかった。
彼女なりのせめてモノ意地だろう。
彼女はそいつにも、そいつのした行為にも屈服したと認めたくないのだ。
「そんなワケで、さすがのあたしも一瞬思考が停止しちゃってね。その一瞬の隙を衝かれたワケ」
「……ん?」
「……何てことないわよ。唇がぶつかっただけ」
「…………」
……ふ~ん。
と、俺は誰に聞こえるワケでもないのが分かっているのに、胸中で努めて無感動な声を出した。
でなきゃ、何らかの感情に飲み込まれそうだったからな。
「あ、でも菌が伝染(うつ)りでもしたら一大事ね。けれど勿論徹底的にうがいはしたし、今は間違いなくあの男の細胞の一片も残さずに滅菌……いえ、殺菌したと確信しているわ」
……ふ~ん。
「でもあたしもただでやられっぱなしの女じゃないわよ。油断したところを思い切りぶん殴って逃げてやったわ。おかげで手首が痛いのよ。全くいい迷惑だわ」
そう言ってアルルが腕を上げる。
その手首には湿布が貼られていた。先程の香りはコレか。
「そもそも、もうそいつがどんな不快な顔で、どんな不快な声で、どんな不快な臭いだったかも一切、キレイサッパリ覚えてないのよね」
彼女は相変わらずこちらを見ない。なのでその長い髪でどんな表情なのかも窺えない。
「…………」
「…………」
一方的にまくし立てていた、彼女の言葉の羅列のような行為が終わり、沈黙が訪れた。
「……知りたかったの」
「……ん?」
「前にどっかのアホがね、明らかに割に合わないだろうに、そんなのお構いなしにボコボコになって他人を助けようとしてるのを見たの」
「……はぁ」
「最初は理解できなかったけど……多分、アレが『愛』なんだろうなって……思ったの」
「……うん」
「だから、あたしは知りたかったの。愛ってのが、ドレだけ凄くて、ドレだけ力をくれるのか」
ふと気づくと、俺の制服の裾が、ちょい、と摘まれていた。
「……アルル?」
「……エルには言わないで。多分あの子、相手のこと殺しちゃうから」
「……ああ」
「……こっち見ないで」
「……分かってる」
「……見たら眼球にデコピンするから」
「分かってるよ」
言われずとも、俺は彼女の顔を覗き見るつもりなどなかった。
別に彼女の為じゃない。俺自身が予想した彼女の表情を見たくなかったのだ。
ソレに、彼女もそんな自分を俺に見られたくはないだろう。
……アレ? コレって『彼女の為』に該当しちゃうのか? ああ、メンドくせー!
胸中にはないまぜになった得体の知れない感情が暴れ回っていたが、俺は黙って彼女の言葉に耳を傾け頷く他に、彼女の誇りを尊重する術を知らなかった。
……不快な臭い、ね。同感だな。全くもって同感だよ。
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