ゲス共の戦場~球技大会編~②
「そんなワケで、体育委員はさっき渡した用紙に記入したら、職員室に持ってきてください」
そう言って担任教師が教室を出て行った途端、教室の中は喧騒に包まれる。メンバーの勧誘に回る者、昨日放送していたテレビの話をする者、様々だ。
今はLHRの時間。事の次第はこういうことだ。
来週行われる球技大会には全生徒が参加しなくてはならない。
男子は軟式野球。女子はバスケ。
そしてこのクラス、二年E組の男子は十八名。
「……だる」
クセッ毛に伊達メガネの少年、戸山秋色は人知れず呟いた。
強制参加なので仕方ないとはいえ、全くやる気の出ない彼は、やる気のあるヤツがテキトーに九人集まれば、残った九人がもう一チームだ。その辺のチーム分けはやる気のある連中に任せておこう、などと思い、前のめりに倒れるように机に体重を預けた。
「……やる気ねーのが見て取れるな、お前は」
コレから訪れる安眠を阻止するかのごとく、頭上から声がした。仕方なく頭を上げる。
「そういうお前はやる気あんのか? 賢」
声の主はネクタイや制服をだらしなく着崩した腰パンスタイルの少年、中学時代からの友人である石田賢だった。
「いんや全然。もうスポーツする歳でもねーし」
「だよな」
何をジジ臭いことを、とは秋色は思わなかった。何せ自分も賢と同じ考えなのだから。
「一回戦で負けて、あとは屋上やらでダラダラしてよーぜ」
「いいね、ポーカーやらカード麻雀でもしてるか」
早くも球技大会当日のスケジュールが決定してしまった。
「宗二ぃ~、野球なんて青春臭い不健全なモンはポイして、屋上で賭け事に励もうぜ~」
立ち上がった秋色は小学校来の親友、井上宗二の背中に歩み寄り、そう声を掛けた。
「……悪いな秋。今回俺はマジだ。故にお前らとは別行動を取らせて頂きます」
振り返った宗二がそう返してくる。
何だか知らないが、秋色とは対照的と言ってしまっていい程に燃えているようだ。
実は先述したチーム分けに回っていた代表格が彼だったのだ。
「……何燃えてんの?」
「さっき委員長から聞いたんだが、今回の球技大会、優勝チームのメンバーには『ネズミの王国ペアご招待チケット』が贈られるらしい。俺はソレが超欲しい。喉から手が出る程欲しい」
「ええ……? ホントかよソレ」
「ガセじゃねーの?」
瞳に炎を宿らせる宗二と対照に、秋色と賢は引き気味の声を上げた。
ソレもそのはず。この三人組の中で唯一、宗二だけが彼女持ちなのである。
「本当だよ。あんた達も少しは頑張ったら?」
そう言って話に紛れ込んできたのは、委員長こと
ショートカットにメガネ。正に委員長の呼び名に相応しい女子生徒だ。
事実彼女はその外見と面倒見の良さやリーダーシップからこのクラスの学級委員に推薦され、その役目を全うしている。
「賢も少しは身体動かしたら? あとから振り返って何も思い出のない青春なんて嫌でしょ」
「うっせーブス。よけーなお世話だバカ」
そして彼女は賢の幼馴染なのだ。家も近所らしい。
「何よ。わたしはあんたの為を思ってね――」
「ソレがよけーなお世話だってんだよ。学校に来さえすれば出席扱いなんだから、あとはテキトーに寝て過ごすんだよ俺は。無駄なエネルギー使ってたまっか。便所行ってくる」
そう言って賢は虫を追っ払うように手を振ったあと、廊下に出て行ってしまう。
「……戸山くんも?」
「……ん? んー。まあ」
いきなり話題を振られて戸惑いながらも秋色はそう答えた。
「戸山くんがやる気になれば、賢も少しは乗り気になると思うんだけどな」
「んー。そうかなぁ?」
「そうだよ。絶対。だって中学の時もわたしがいくら言っても聞かなかったのに、戸山くんとケンカして以来、あいつすごい丸くなったモン」
「あー……」
「だから今回も……ね?」
「……何か奥さんみたいだな」
「ばっ! そんなんじゃないよ! ただ子供の時から世話ばかりしてるから、気になるだけ! 弟みたいなモンよ! あ、あとわたし学級委員長だし! ば、バスケのチーム決めあるから、ソレじゃっ!」
そう捲くし立てて委員長は女子の輪の中に入っていった。
「……分かりやすいな」
「あぁ……賢め」
宗二の呟きに秋色が相槌を打つ。そこに賢が帰ってきた。
「やっと消えたかあの女。口うるさくてたまんねーよ……何か言ってた?」
「……無知は罪なり」
「は?」
ボソッと呟く秋色の言葉に、賢が訝しげな声を上げる。
「んで? 秋と賢はテキトーに負けてダラダラ?」
再確認、とばかりに宗二が視線を送ってくる。
「ん、まぁ……委員長には悪いが、出すやる気が元々ないしなぁ」
「宗二も一緒にダラダラしよーぜ!」
「却下。先程も言ったように、俺はマジで優勝を取りにいきます」
『えー?』
「なので今回はマジ選抜メンバーでAチームを作ります。とーぜん運動神経ねーオメーらは除外。余ったヤツらとBチーム作ってくれ。あしからず」
と言い残して、宗二はクラス内でも運動神経豊富な連中のところに向かって行く。
「な、何じゃアリャ……」
「いくら何でもひどくね?」
ささやかな傷心と憤り、そして一抹の寂しさを感じながらも、自分の運動神経のなさを否定できない秋色は何も言い返せなかった。
帰り道、秋色はどこかモヤモヤした気持ちを抱えたまま一人で歩いていた。
宗二はさっそく球技大会に向けての練習。賢はバイトだそうだ。
正直、宗二が羨ましいと言うか、自分も球技大会に全力で取り組み、優勝した暁には、賞品であるペアチケットを有効に使いたいという気持ちがないでもない。
誘ってデートに行きたい相手も、いないでもない。
だけど宗二の言う通り、自分の運動神経では全校の頂点に立つなど到底不可能だろうし……。
「あ……秋くん!」
後ろからの声に振り返ると、そこにはにこやかに微笑む女性が立っていた。
秋色と同じ中学の先輩で、今は別の女子高に通う久住優乃だ。
彼女は秋色にとって想いを寄せる女性であり、今もその気持ちは変わっていない。
彼女を救う為、校舎の屋上から飛び降り、文化祭のステージジャックを敢行した程なのだが、リトライのこと、何故そんなリスキーなことをしたのかなどの記憶は、秋色自身の頭の中からは消え去っている。
自分でも自分の行動力にどこか他人めいたモノを感じているくらいだ。
「……ってことなんですよ」
カフェの椅子に腰掛けた秋色は、差し向かいに座る優乃に球技大会のことと、宗二にされた仕打ちを愚痴る。
「えー? あたしは秋くん、運動神経ないなんてことないと思うけどなぁ」
「そう言ってくれるのはありがたいですけど……あ、愚痴っちゃってすいません……ダセ」
「もう少し自分に自信持ったら? 少なくともあたしを助けてくれた秋くんは、すごいカッコよかったよ?」
「はは……あの時は夢中で……自分でも、なんであんなことできたんだか不思議なくらいで」
秋色が苦笑いで返すと、優乃はエスプレッソを一口飲んでカップを置き、何かを思いついたように目を輝かせた。
「あたし……もう一回秋くんとネズミの王国、行きたいなぁ……」
少しテレくさそうにこちらを窺う視線、甘えるような声、ソレはとても魅力的な仕草だった。事実秋色はしばし見惚れてしまった程だ。
「お、俺も……また、優乃先輩と行けたらいいな、って思うけど……でも」
「うん。楽じゃないとは思うけど。大変だと思う」
「……はい」
彼女の言葉に、少し頑張ってみようかと思った秋色だったが、余りモノのチームで全校男子の頂点に立てるワケがない、とすぐに意気消沈し、俯いてしまう。
「じゃあ、もし秋くんが優勝できて、あたしをデートに連れてってくれたらご褒美あげちゃう」
「ご、ご褒美……ですか?」
「うん。秋くんのお願い、何でも聞いてあげるよ?」
少し思い切った発言だったのか、そう言った彼女は少し頬を赤らめて視線を逸らした。
「な、何でも!? ホントですかっ!? 嘘じゃねーですかっ!?」
「ほ、ホント……」
秋色の異常なまでの食いつきっぷりに、若干引き気味になりながらも彼女はそう答えた。
「じゃ、じゃあ、じゃあ……」
「う、うん……」
「もし、もし俺が優勝したら……!」
「は、はい……!」
秋色の、今までに見たことのないくらいの真剣さに気圧され、優乃は自然と背筋を伸ばし、膝の上に両手を重ねて返事した。まるで『面接時の正しい座り方』の見本のようだ。
「…………」
「……?」
「……いや! さすがにコレは……!」
そう言って秋色はテーブルにがん! と頭を打ちつけたあと、自分を落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。思春期真っ只中のこのゲス男が今、何を言おうとしたかは読者諸兄のご想像に任せよう。
いくら渇を入れる為とはいえ、『何でも聞いてあげる』など、途方もない条件だと思うかもしれないが、彼女はある程度の覚悟は決めている面持ちだ。
「じゃ、じゃあ……優乃先輩、もし俺が優勝したら……」
「はい……!」
気を取り直して優乃は秋色の真剣な視線を真正面から受け止めた。
……彼は何と言うのだろう?
『優勝したらキスしてください』とか言ってくるのだろうか?
ソレとも、自分がずっと待っている言葉を届けてくれるのだろうか?
彼女は人知れず胸を高鳴らせていた。
「……お」
「……お?」
「おっぱいを! 揉ませてください!」
そう言って彼は再び頭をテーブルに打ちつけた。
「…………」
「…………」
「……は?」
日本語なのに、一瞬理解ができなかった。聞き逃したワケではない。
『付き合って下さい』とでも言えば、OKをもらえそうな空気だったのに、あろうことか秋色は『優勝したらおっぱいを揉ませてください』と、そう言ってきたのだ。
この辺が、戸山秋色が戸山秋色たる所以だったりするのだが。そして彼がこの時から約十年間童貞を貫く所以でも。
「だ、駄目……ですか?」
「だ、駄目ってゆーか……」
秋色の言葉に、めまいを覚えながらも優乃は何とか声を発した。
……え? 本気? おっぱい、なの? ソリャ男の子だから興味があるのは分からないでもないけど……この状況でおっぱいって……えぇ? 混乱してきた。
「……?」
回復した視線を向けると、そこには目一杯不安そうな顔をした秋色が映っていた。コレを拒否されたら、自分はもうどうしていいか分からない、といった表情だ。
……ズルい。いつもこの子はこうやって、とても断れない甘え方をしてくるんだ。もう。
「あ~、う~ん、えぇ~と……い、いいよ」
悩んだ末、彼女は顔を引きつらせながらもそう答えてしまった。
「ホントですか!? おっぱいですよっ!? 嘘じゃねーですか!?」
「ほ、ホント……てゆーか秋くん……」
「おっしゃぁぁああっ!! 燃えてきたぜぇぇええっ! おっぱい確定!」
「ちょ、秋くん……!」
「やってやる! 掴んでやる! あ、いやこの掴むってのはおっぱいの掴むじゃなくて! あ、でも同じことか……?」
「どっちでもいいから! ソレより秋くん……」
「俺! 頑張ります! そしておっぱいを迎えに行きます!」
「大きい声でおっぱいおっぱい言わないで!」
テーブルに手を打ちつけながらそう叫んだあと、彼女は頭痛を起こしたかのように額に手を当てて溜息を吐いてしまう。
「す、すいません……でも、俺、頑張りますね?」
「あのね秋くん……胸に話し掛けないでくれる?」
こうして秋色は先程までとは打って変わって、球技大会へ情熱を燃やし始めるのだった。
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