第十話

「あー! 思い出した!」


 放課後、文化祭に何をやるのかまだ決まっていない我が二年四組は、この時間を使って何をやるのか早急に決める、という会議の真っ最中だった。そんな中で、俺はあることを思い出してまたも奇声を上げてしまった。


「何だぁ? 何を思い出したんだ、秋?」


 文化祭ではクラスの出しモノなんかよりライブにしか興味のない宗二が、会議そっちのけで読んでいた北●の拳から目を離して俺を見た。


「あ……いや、こっちの話。どうぞ続けて」


 俺は宗二に、そして今日一日だけで何度も奇声を上げてる俺を、本気で気が触れたんじゃないだろうかと訝しげに睨んでいるクラスメイト達にそう言った。


 ちなみにジュンコ先生は、決まったら職員室に報告に来るよーに、とだけ言い残してさっさと教室を後にしてしまった。……いたらまたチョークを喰らうとこだったかもな。




 あの休み時間の後の授業中、俺の心を支配していたのは身を焼かれる様な恥ずかしさと、溺れる様な情けなさ。そしてもっと毅然と振舞うべきだったという後悔の念だった。


 ……石田賢いしださとし


 あの腰パン野郎の名前だ。確か周りにはイシケンなんて呼ばれてる。俺は同じクラスであるそいつの方をチラチラ見ては歯を食いしばり、拳を握り締める。そしてヤツの首がこちらに向きそうになると慌てて視線を教科書に落とす、という行為を繰り返していた。


 男子諸君なら、この俺の恥ずかしさが、やがて怒りに変わっていくのも理解してもらえるだろう? 受けた屈辱を冷静に、客観的になって考えられるまで落ち着いたら、その相手に見せた情けない自分を取り返し、頂いた屈辱を相手に叩き返してやりたくなるモンなんだ。男ってのは。


 ソレに今の俺にとってはあのイシケンなんてのは、十歳以上年下の、まだ下の毛も生え揃ってないガキだ。そんなガキをコレ以上調子付かせてたまるかってモンだ。今に見てやがれ。この野郎。


 ……何より、俺は親友として、宗二と対等でなきゃならないんだよ。だからコレ以上、あいつに失望されるワケにはいかない。


 そう、俺はあいつにだけはナメられたくないんだ。


《で、何を思い出したですか?》


 久しぶりにリライが話し掛けてきた。


 ふふん。教えてしんぜよう。俺はアレから、恋する乙女よりもイシケンのことを考えていた。もちろんその理由はヤツの弱点を探る為だ。相手を知り己を知れば百戦危うからず、というからな。


《ふへ? ひゃ、ひゃくせ……?》


 孫子の兵法など理解してるはずもなく、おそらくまた首を傾げているであろうリライを無視して、俺は説明を続ける。


 ソレは、俺が未来から記憶を持ったまま過去にやって来た人間というのが、ヤツにとっては命取りだったということだ。


 俺はイシケンについての記憶を出来る限りさらってみた。十年も昔の、ソレも友達ですらないヤツの情報を引き出すのは結構な苦労だったが、何とか思い出すことに成功した。


「ソレは、あの野郎は実は弱い、ってこった」


《ふへ? よえー、ですか? あの男が》


 そう。コレから約一年ほど先の話。あいつは宗二にKOされることとなるのだ。確か宗二と付き合ったばかりのトモミと廊下でぶつかって、尻餅をついた彼女に暴言を吐いた時に。


 烈火の如く怒りを燃え上がらせ、疾風の如く突っ込んできた宗二のストレートが、的確に野郎の顔面を捉えるシーンを俺は確かに見たのだ。


 そして一発KOという醜態を晒して、実は弱いことが発覚してしまったイシケンは、今までバカにされまくって滾る怒りを内包させていた連中にかわいがられることとなる。風の噂ではその後、高校でヤンキー復帰を果たすも、そこでまた誰かにKOされ、高校を中退したって話を聞いた。憐れな話である。


「……と、その時は思っていたが、考えてみりゃあいつの自業自得だよな」


《ぢ、ぢごーぢとく……? ふへ~。何で周りに害を撒き散らすですかね?》


 そんなん知らんよ。エラソーにしたかったんじゃねーの?


「……あ、いいこと思いついた」


 俺はまたリライにだけ聞こえる様に口元を隠しながらささやいた。どうやら小さい声でも聞こえるらしい。しかし周りから見られると、ホントにただの危ない野郎だと思われかねないな。そうなったら童貞を脱出どころじゃなくなるぞ。注意しないとな。


《……いいことって何ですよ?》


 ……ふふん。教えてしんぜよう。ソレは実は弱いあの腰パン野郎が、お前も言ってた様に周りに害を撒き散らしてるってことだ。


 そして現時点で実は弱いってのを知ってるのは俺だけだ。当然あいつは女子の評判もすこぶる悪い。多分この文化祭の準備も、手伝うどころかむしろクラスの足を引っ張る可能性が高い。


《ふむふむ》


 ……そこであいつが何か粗相をやらかした時に、この俺様が野郎を注意する。みんなの気持ちを代弁する勇者になるワケだ。粗相のレベルによってはぶっ飛ばしてやってもいい。当然みんなの俺に対する評価はウナギ昇り! 当然アスカちゃんの評価もな。コレで童貞を脱出っつー寸法よ。完璧だ!


《……はぁ》


「何だよぉその気のない返事は?」


《いや……何てゆーか……ずりー……ですね》


 何を言うか。災い転じて福と成す。ピンチの時にチャンスあり。……そしてチャンスは最大限活用するのが俺の主義だと前にも言っただろう。言ってないけど。


《いや……でも、カッコ悪くねーですか?》


 悪事を犯すヤツの方が何倍も格好悪いし迷惑だっつーの。あのスサノオノミコトだって、ヤマタノオロチ倒す時は酒飲ませて酔っ払わせたんだぞ。ソレどころか、一般的にはアレ、オロチから救った生贄のクシナダを娶ったと思われてるけど、実際は救う代わりにクシナダをよこせって戦いの前に条件出しやがったんだぞ!


《はぁ……まぁ、確かにここでの最優先課題わ、あんたが初体験をすることですよ》


 うむ。ある意味男の最優先課題だな。至って普通と言えよう。


 ……しかし、こいつに格好悪いとか、いいとかの感情があるとは思わなかったな。変なとこで人間味のあるヤツだ。


《…………》


 ソレきりリライは黙ってしまった。まあ俺としては現時点で特に会話する必要もなかったので、問題はなかったが。むしろ独り言を目撃されるリスクが減って助かる。


 ――結局出しモノの会議は、食品を扱うと検便を出さなければならない、ということにみんな難色を示し、至って簡単な簡易縁日をやることに落ち着いた。


 ちなみに宗二は相変わらず北●の拳を読んでいて、世紀末覇王が天に帰るシーンで涙ぐんでた。


 うん……どうでもいいな。






 時は満ちたり! 獲物が動いた! 俺が過去に戻ってから三日目。意外と早かった。


 文化祭用のポスターを作る作業で、床に敷かれた下書き済みのでかい紙に絵の具を塗っていた時、イシケンのヤツが横に置いてあったバケツに躓き、水を盛大にポスターへとぶちまけたのだ。


「ちょ、ちょっと!」


 さすがにコレにはクラスの女子達も抗議の声を上げたが、そこはイシケンである。謝ることなどない。ソレどころか――


「こんな邪魔なとこにバケツ置いてんじゃねーよ」


 ――ときたモンだ。


 くっくっく。コレ以上ない最高の舞台だ。見ててくれよアスカちゃん。行け俺。そして童貞を脱出だ!


 俺は既に倒れたのとは別の、水がナミナミと満ちているバケツを持ち上げ、イシケンの後頭部の上で逆さまにしてやった。もちろん女子に飛沫が掛からない様に注意はしたよ。


 ちなみに今の俺は既に眉毛も整え伊達メガネもしている、生まれ変わった秋色Ⅱだ。


「……ってめえ!」


「そんな邪魔なとこに立ってんじゃねーよ」


 慌てて振り向くイシケンに、俺は冷たい声で言い放ってやった。


「バケツの逆襲だな。水も滴るいい男」


「殺す!」


 顔面のパースを狂わせながら拳を振りかぶるイシケン。俺はその顔の前に手を突き出し、


「待て、ここじゃ迷惑が掛かる。表に出よう」


 そう言った。ここで格闘して他の作業の妨害までしたら、ソレこそ台なしだ。ソレに、女の子はちょっと悪いくらいの男の子が好き、なんて風潮はあるが、実際にガチの殴り合いを目の当たりにしたら引いてもおかしくない。ドン引きだ。


 だからここは無法者を咎める、勇気あるみんなの代弁者であるところを見せれば充分だ。そして十四にして童貞を脱出だ!


「何だてめーは。この間は便所でブルってたくせによ! 女子の人気でも取りてーのか?」


 ずばりその通りです!


「あぁそうだぜ。このクラスはかわいい女子多いしな。ソレに何より、コレ以上お前みたいな無法者を野放しにしておけねーな」


 チャラい野郎だと思われるリスクもあるが、ソレ以上に女ってのは……いや、女子に限らず、人間ってのは好きって言ってくれる相手を大なり小なり好きになっちまうモノなのだ。


 実際にはソレを加味してルックス、性格、財力などの総合点が合格点を越えれば、なのだろうが、ソレが重要なウェイトを占めるのは間違いない。


 さらに言えば、恋愛に興味津々な中学二年生。告白して失敗するかも、などのリスク回避から、無意識に自分をかわいいと言ってくれて、既に自分に興味を持ってくれてる相手を意識するってモンよぉお。……人間って結構保険が好きだよね。


《はぁ。やっぱり実行したですか……やっぱ何かずりー気がするですよ》


 俺の作戦を事前に知っていたリライがボヤく様に言った。


 えーい黙れい! コレは戦略だ! コレがずるいのなら諸葛孔明は大悪党だ!


 さらに解説するのなら、女ってのは周りの女の評判に拠って恋愛度が左右されるのだ!


A『秋色ってケッコーイケてるよね』


B『あたし正直、好き』


C『え、マジで!? 秋色だよ!? あり得なくない?』


D『……あたしも正直、いいと思ってた』


C『……え、みんなそうなの? ……あ、あたしも実は……』


 ……みたいにな! だからここで女子全員の評判を上げておけば俺の童貞脱出は安泰ってモンよ! 無知蒙昧むちもうまいなイシケンを筆頭に女子ごと啓蒙けいもうしてやるぜ! はっはっは!

 

「上等だ! 表出ろ!」


「おう。ついてきな」


 ただの一度も主導権を渡すワケにはいかない。俺は先んじて歩き出した。


「ちょっと待てよ秋! 俺も行くよ!」


 驚きながらも、心配そうな顔をした宗二がそう言ってきた。


「抜け駆けして悪いな宗二、ここはタイマンだ。俺に男魅せさせてくれ」


「いや、だって、秋、お前――」


「俺が一人でヤらなきゃ意味ねえんだ。ついてくんなよ」


 何か言いかけた宗二の言葉を遮って、俺は歩を進めた。


 ……大丈夫だって宗二。だって実はこいつよえーんだモン。本来お前がぶっ飛ばすはずなんだけどね。こんな些細なことくらいなら歴史を変えてもいいでしょ。


 ようやくこの間の屈辱を晴らせる。この日まで気が昂ぶっちゃって部屋の電気の紐をパンチして避ける、なんて思春期特有の謎修行までしちまったくらいなんだからな。

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