第五話

「い、いてーですよ!」


「俺はもっとイタイことになってるんだよ!」


「?」


「つーか、マジか……さっきまでのお前の言ってたこと、全部マジなのか……?」


「だから、最初から『マヂ』ですよ!」


 覚えたばっかの言葉を早速実用してきやがった……。


 しかし、どうなんだ? さっきまでのが全部マジだったら……え、何? 俺、死ぬの? マジスか……!


 いやいや待て待て、さっきのでコレまで言ってたことが全部真実ってことにゃーならんだろ。俺の熱烈なストーカーなだけかもしれないじゃんか。だとしたらソレはソレでかなりヤバい状況だが。


「ソレで……信ぢてくれましたですか?」


 そう言って下から俺を覗き込んでくる、眠たげなとろんとした碧い瞳。それは、男の目に女性をとても魅力的に映し出す手法だった。


 ……こいつ、計算づくでやってんのか?


 そんな考えが頭をよぎったが、今までのやり取りから察するに、この娘にそんな計算が出来るとは思えない。てことは素でやってんのか。


 そんなことを考えながら見ていると、彼女の頬に涙の痕を見つけた。俺は慌てて視線を逸らしながら――


「い、いいやまだまだ百パーセント信用したワケじゃない! ご近所さんに迷惑だからとりあえず部屋ん中に入れただけだ! 最終的に信用出来なかったらまた叩き出すからな!」


 ――早口でそう捲くし立てた。我ながらよく噛まなかったモンだ。


「えぇ? まだ信ぢねーですかぁ? いー加減しつけーですよー」


 そう言って眉間に皺を寄せ、唇を尖らせる女。表情の豊かな女だ。まぁ、何だ。ちょっと可愛いと思えなくもないが。


「慎重だと言って欲しいな。つーか、あんな荒唐無稽な話をそう易々と信じられるか」


「……こーとーむけー?」


 小首を傾げる女……やっぱりね。


「ホラ、続きだ。他人が知りえない俺だけの情報、言えるモンなら言ってみろ」


「む~。まだやるですか~?」


「まだやるですよ。ホレ、チャッチャと言え」


「……ん」


 またも目を閉じる女。コレ、ホントに電波受信してるのかな? 全く以て分かり難い。


「えーと、歌うのが好き。スポーツわサッカーが好き。さっかぁて何ですよ?」


「いいから、ドンドン続ける。まだまだ確信的な情報じゃないな。どうせお前、自分が言ってる言葉の意味が分からんだろうから、判断は俺がする。だからお前は言い続けるんだ」


「一人暮らしをしてからたまごかけご飯が大好きになる。今まで鼻血を出したことがない」


「……むぅ」


 いくら俺の熱烈ストーカーがいたとしても、ここまで情報を集めることができるだろうか? 困ったことに俺はもう信じてやってもいいんじゃないかって気分になってきている。


 だが、話の内容が内容だ。とても簡単に信じられるようなモンじゃない。


 そう、そこがミソだ。話がいくらなんでも信じられないような内容過ぎるのだ。普通セールスや宗教の勧誘だったら、というか人を騙そうとするんだったら、もう少し、何とかして話に信憑性ってモンを持たせようとするんじゃないか?


「バンド活動の夢が破れて――」


 そう、目の前のこの女は、ただ『俺が自殺する』ということだけを告げてきた。そして『自分ならあんたを救える』と。まるで、俺がソレを信じないなんて想定していないかの様に。そして、俺が疑ったらこうやってドタバタとまるでスマートと言えない方法で必死に信じさせようとしている。


「今現在フリーター生活中で、そのことも自身喪失に繋がっていると思われ――」


 さっきから弁護する様なことばっか考えてる自分に俺は気づいていた。だって、どうしてもこの女が嘘を吐いてる様には見えないんだ。自分でもどうかしてるとは思うけど。


『自分が自殺する』なんていきなり言ってきた相手に対し、そう考えるに至ってしまってる時点で、確かに自分でもアホだと思うが、仕方ないだろ? 男ってのは女の涙には勝てないモンだ。つーか、勝っちゃいけないんだ。こういう状況では敢えて負けてやるのが男、だろ?


「ラーメンわ醤油派だが、行きつけの『神らーめん』でわ味噌が最高だと――ふひゃっ!」


 未だにつらつらと喋り続ける女の頬に、まだ涙の痕が拭われないまま残っているのを見つけた俺は、無意識に手を伸ばし、涙の痕を指で擦っていた。


「な、何――しやがるですかっ!」


「あ、いや……」


 驚いたと思ったらすぐさま怒った様な顔になって身構える女に、正直に『涙の痕を拭ってやりたくて』と伝えるのが気恥ずかしかった俺は――


「……次で最後だ。『誰にも言ってない俺だけの秘密』……言ってみろ。慎重にな」


 ――ごまかす様に、そう厳しい顔で言っていた。


「わ、分かったですよ」


「……ソレが出来たら……全部、信じてやる」


「ま、マヂですか?」


「マジだ」


「……ん」


 そう確認する様に頷くと、彼女はコレまでより一層集中するかの様にキツく目を閉じた。


 ……正直、ここでこいつがどんなことを言おうが、とりあえず話を聞いてやろうと思う。というか、もうほとんど俺は彼女を信じかけていた。


 ええい、アホだと言いたければ言うがいいさ。もうヤケだ。


「一週間前の深夜、バイトからの帰宅中に強烈な腹痛に襲われ、到底トイレまで我慢出来ないと判断し、堪えきれずに神社の境内の裏で大便をした。そのバチが当たるんぢゃないかと内心ビクビクして――」


「うわあぁあやめてくれぇえ!! 違うんだソレはぁあ!」


 俺は頭を抱えて天を仰いだ。


「――心配で夜も眠れず、翌日、その神社の賽銭箱に千円入れる」


「分かったから! もう信じるから勘弁して下さい!」


「ふん、もっと早くそー言っとけばいーですよ」


 そう言うと女はまたも、してやったりとばかりに誇らしげにふん、と鼻息を吐いた。


「俺も激しくそう思ったよ……あの、誰にも言わないでね? お願いだから。マジで!」


「は? 何がですよ?」


「いや……うん、まあいいや」


 マジでか……そのことだけは、間違いなく誰にも話してない……宗二にもだ。


 ……てことはアレか。こいつマジで普通の人間じゃないってことか。


 ここまできてしまったら、むしろたまたまそのタイミングで腹痛に襲われた俺が、たまたま苦渋の選択をし、かつその翌日にお賽銭を入れてるのを、たまたま見かけたって方があり得ない気がする。


 え? マジでか。さっきほとんど信じる方向に傾いていたとはいえ、これは驚きだ。少なくとも普通の人間ではない女が今俺の目の前にいる。ソレだけはガチってことだ。


「あの……信ぢた、ですか?」


「あ、ああ……いや、まあ……話くらいは聞いてもいいかな……って気にはなったよ」


「ホントですか? 嘘ぢゃねーですか!?」


 女がぱあっと笑顔になる。本人がさっき口にした言葉の意味を理解してないのが俺にとってはせめてもの救いだ。


「お前さ、さっきから目を閉じたり天に向けて話し掛けたりしてるけど、アレは電波でも受信してるの?」


「……よく分かったですね。分からない言葉や対処しきれない出来事に遭遇した時わ、向こう側のブレインに波長を同調させて、情報をダウンロードするですよ」


「……マジでか。当たっちゃったよ」


「特に自分わ初仕事の上、色々と刷り込みに失敗してるんで、よく使うですよ。『使用頻度が高い』って怒られ気味ですよ」


 ふ~む。死後世界うんぬんはともかく、こいつがブレインとやらから情報を引き出せる存在だということだけは、ほとんど確定と言ってしまって差し支えないらしい。


「ふむ。色々と回り道をしたが……」


「ソレわあんたのせーですよ」


「うるせ。ここまで付き合ってること事態、常人にはあり得ねーことなんだよ」


 俺は無理矢理自分を落ち着かせる様に大きく息を吐いた。『順応早っ!』とか思わないで頂きたいね。そう見えないだけで内心まだちょっとパニックなんだからな。


「とりあえず『死後の世界があり、命を殺めたアホどもが多すぎて困ってる』ってのと、お前が『ソレを阻止する側の人間』てのと……その、『俺がもうすぐ自殺する』ってのは分かった。いや鵜呑みにするつもりはないけどそこまで説明があったってことは分かった」


「はいですよ」


「だとしたら、だ。またさっきの質問に戻るけど、お前はここに何しに来た?」


「続きを説明するですよ」


 銀髪娘は大きく頷いて、そう言ったのだった。


「自分が属する輪廻転生を阻害するモノへの対抗機関――」


「長いな、おい。何か名前ないのか。機関名」


「ねーですよ。あんたに理解させる為だけに言語とゆー手段を用いてるだけなんですから」


「じゃあ、便宜上『管理者』でいいか?」


「う~ん。『管理者』だと全体になっちまうんですが……。どちらかとゆーと自分達わそこから分けられた『対策執行者』が正しー気がするですよ」


「じゃあ『執行者』で」


 目の前の『執行者』が俺の言葉に頷く。しかし簡単な言葉は分からなかったりするくせに、小難しい言葉をつらつらと並べたりもする。本当にメンドーな女だ。


「執行者が取った手段わ、『命を殺めた者に、ソレを未然に防がせることを償いとする』といったモノですよ」


「……は?」


 全然意味が分からん。


「あんたに説明する場合、『命を殺めた者に』でわなく、『コレから命を殺める者に』って言った方が伝わりやすいですよ」


「……ごめん。まだ分かんない」


 俺としてはここで『なるほどね』と言ってやれたらカッコよかろうと思うのだが、分からんモンは分からんのだからしょうがない。


「罪人わ、罪を償うまで転生出来ねーですよ。だから、その『罪を償う』とゆー行為を、『誰かが命を殺めるのを防ぐ』とゆーことに定めたですよ」


 ……俺は一言一句を聞き漏らすまいと執行者の言葉に耳を傾け、そして聞き終えてからはその言葉を脳内で数度に亘り反芻した。


「……なるほど」


「理解したですか?」


 目の前の執行者なる女は、今さっきまで小難しいことをくっちゃべっていたヤツと同一人物と思えない様な、ぽけーっとした顔で俺の瞳を下から覗き込んできた。アホ毛がぴこっと揺れる。


 ……こういった仕草も管理者だか執行者だかに仕込まれたんだろうか?


「……じゃあアレか。俺がコレから先の人生で……その、自殺……しちまうから、お前がソレを阻止しに来た、と……。え? じゃあお前も命を殺めた罪人ってヤツなのか?」


「ちげーですよ。あんたの償いわあくまで自分で自分を殺めたあんたがしなきゃ意味ねーですよ。そのサポート要員として来たのが自分ですよ」


 今更だが、こいつの一人称が『自分』なのがめっちゃ紛らわしい……て、


「えぇ? ちょっと待て。またワケ分からなくなってきた。俺が償うの? だって俺まだ死んでねーじゃん。命を殺めて初めて罪人になるんじゃねーのかよ?」


「あ、まだ話してなかったですよ。だから罪人が命を殺める前に、本人の了承を得て、自主的に死後の世界に来てもらうですよ」


「……んん?」


「そーすれば殺めた命が他人のならその殺められた人はまだ死なず、殺めた命が自分のなら、まあ多少わ減刑されるから、少しわ転生が早まるっつー寸法ですよ。一石二鳥ですよ!」


 本人的には自慢のセールスポイントを発表したつもりなのか、或いは、『一石二鳥』という言葉を知っていて、スムーズに使えたことのアピールなのか、やたら誇らし気だが、冗談じゃない気がするぞソレ。


「ちょっと待てちょっと待て。じゃあアレか。俺がここで本来命を殺めるはずの誰かを助けたら、俺はいくらか先の人生での死後、速やかに転生出来るってワケか?」


「う~ん。ちょっと違うですよ。いくらか先の死後にじゃなくて、償いきったらすぐに次の人生が始められるって話です。まぁ、人としての生かわ分からねーですが」


 こいつ今さらっととんでもないこと言わなかったか?


「ちょっと待てぃ! じゃあアレか? 今から償い始めて、終わったら次の人生ってことは、今の人生はもう終了ってことか?」


 俺は執行者に詰め寄る。


 しかし驚いたことに、執行者は何ということもなさ気に――


「そーですよ」


 ――こんなことを言いやがった。


「ソレ今死ぬのと同じじゃねえか!!」


「わっ、びっくりした! 全然ちげーですよ! 死に伴う痛みも苦しみもないし、すんなりと次の人生始められるですよ!? 周りの人達もあんたのことを忘れて、悲しむこともなくなるですよ?」


「ますます嫌だよそんなの! お前死神みてーなモンじゃねーか!」


「は? 死神ってなんですよ? 大体、自分達が現れるのわ綿密な調査の上で判明した、本人も生きる意志や希望を失ってる、早く次の人生に賭けた方がいい、いわゆる『生きてても仕方ねーヤツ』の前だけですよ」


 頭を殴られた様な衝撃を受ける、っていうのはこういうことを言うんだろうね。


 俺は今『あんたは生きてても仕方ない、使えねぇ人間だ』と言われたんだから。


 コレだけで死にたくなるわ! コレって色んな意味で死刑宣告だろ! この侮辱罪という名の罪はどうやって償ってくれるんだ?


 ソレとも『管理者』やら『執行者』やらには、何やってもオッケーてな免罪符でも付いてやがんのか?


「そんなこと言われて『よーし、やってやるぜ』なんて言うバカいるのか!?」


 俺が半分涙声で問うと――


「……さぁ? 自分、初仕事なので、分かんねーですよ」


 ――あっけらかんと答える死神女。……こ、殺す。


「あったまきた! つーか、そんなペナルティーがあるって知った時点で、自殺なんかしねーよ俺! 俺は死なねーから罪人にもならない! お前達も余計な手間を省けるわ向こうでの罪人が一人減るわで万々歳じゃねーか!」


「あ、ソレわ無理ですよ。もし断ったら自分のことわ忘れちまうですよ」


「えぇえ!?」


「え~と、確か……今言った説明と自分に関する記憶を全部消去されて、もう二度とサポート要員わ現れねー、ですよ」


 何なんだその明らかに非効率なシステムは。こいつの親玉はアホなのか?


「断る気……ですか?」


 俺が不機嫌顔を隠そうともしないでいると、非効率女は不安そうに聞いてきた。


「断らねー方がいーですよ! 何も知らずに自分で自分を殺めて、死後の世界に行ってから初めて断ったのを思い出して、後悔しながらハンパじゃない量の償いをするですよ?」


「……ちなみに、断った場合、死後向こうに行ってからする償いは……どんなことなの?」


「……ソレわ……機密事項だそーですよ」


 ……ビキビキ。そんな音が俺のこめかみからしてるんじゃないだろーか? とことん嫌がらせみたいなシステムだな。おい。記憶を消すんなら、機密事項を教えてもよさそうなモンじゃないか?


「あんな辛いことをずっと続けるなんて……そんなの、駄目ですよ……困るですよ」


「……何で、お前が困んだよ……?」


「わ、分かんない。分かんない……けど……こ、困るよ……」


「……困るよ?」


 何か知らんが目の前の死刑宣告者は、俺が協力してくれないと困るらしい。ソレも口調が変わってキャラ崩壊を起こしかねん程に。


 いや、知ったことか。こっちはもっと困ってんだ。自分の人生無駄だったって否定されてんだぞ。一方的にそんなことを言い放ってきた相手に同情なんかしてる場合かっての。


「…………」


 女は俯いたままだ。目は開いているモノの、視線が定まっていない。多分何も見ていないのだろう。やがてその碧い瞳から、一粒……二粒。ポロポロと雫が溢れてきた。


「……お、おい、泣くなよ」


 事情は分からなかったが、俺は上着の袖で彼女の涙を拭った。


「……え?」


 女はびくっと身体を強張らせながら俺を見る。そして――


「な、何しやがるですかっ!」


 ――思いっきり横面をビンタされた。


 ……何なの? この女。もうヤダ……。

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