それぞれの結末

フォローして頂きました方々、有難うございます。



~ 少年少女達 ~



アルミサッシの窓ガラスから差し込む仄白い陽の光が教室の奥の方まで照らし出している。窓の外にはくすんだ紅葉色の風景が広がっていた。

まだ弱々しい木枯らしがカサコソと葉擦れの音を立てさせながら吹き過ぎていく。


今日は木曜日、時刻は午後の四時頃である。この時期の薄明の始まる時間は早い。後、三十分もすれば茜色の西日が校庭をほんのりと染め始める事だろう。そうなれば下校のための集団に分かれることになる。


子供たちにとってはそうなるまでの僅かな時間が今日一日の締めくくりとなる語らいの場であった。



「ほんで玄狼、一体何があったんぞ? 三日も休むけん、どしたんかと思たが。」



賢太が玄狼にそう訊ねた。先週の土曜日のあの海坊主退治の夜から玄狼はずっと家にこもったきりだった。月、火、水と三日間、学校を休んでいたので今週は今日が登校初日であった。

おまけに休み時間の間は高田先生うさちゃんに呼ばれっぱなしだったので殆ど賢太達とは話をしていなかった。



「ああ、土曜の夜にちょっと体調崩してな・・滅茶苦茶大変やったわ・・・

火曜日ぐらいには来れんこともなかったんやけど何かしゃん身体がダルてな。(なんか身体がだるくてな)

大事とって今日まで休んどったんや。」


「風邪かなんぞか? 熱が出たり吐いたりしたんか?」


「え? あ、アァ、まぁ、そんなところやな。」


「ほうか・・・ここんとこ急に寒なったけんの。気ィ付けとかなイカンぞ。

ほんでもう調子は大丈夫なんか?」


「う、うん もう大丈夫や。」


「ほんなら週末に父ちゃんの船で釣りに行かんか? 団児も来るし久し振りに三人で遊ぼうで。今やったらメバルがよう釣れるんじゃと。

運がよかったら落ちギスのおっきょな奴も狙えるらしいど!」


「う、ウーン? その、今週一杯は様子見る様にて親からも言われとるし・・・

ごめんな、残念やけどこの土日は家でおとなしにしとくわ。」



賢太は肩を上げてシュラッグする仕草をみせると ”そっかぁー” と小さく呟いた。

その呟きが終わらぬ内に小柄な影が玄狼の隣の椅子を素早くサッと引くとドンと音を立てて座った。



「あの紅狐とかいう女の人との海坊主退治とかはどうなったん? 郷子からお稚児さん衣装の写真だけ見せてもろたけんど。

まぁ、そのぉ・・・メッチャ、カワイラシカッタケド………………

ほ、ほんで、どうやったん!? 調伏ちょうぶくできたん?」



小柄な影は志津果だった。彼女はその女子らしからぬ荒っぽい動きとは裏腹な小さな声で口ごもりながら話かけて来た。



「ああ、妖の調伏はなんとかなったわ。ものごっつ、大変やったけどな・・・てか、郷子の奴、やっぱりアレをばらまいとったんかい! 

それとその前、声がちっそてよう聞こえんかったけんど何か言うたか?」


「・・・・ううん・・なんちゃでないけん。」


「フーン、ほうか? ほんならええけど・・」



調伏の成否を訊ねる前に志津果が口の中で何かぶつぶつ言ったように思ったのだが彼女は何でもないと言う。そしてそれきり黙ってしまったので会話はそこで止まってしまった。


考えれば先週の月曜日の帰り道に手提げ袋レッスンバッグを頭に投げつけられてから口を利いたのは初めてだった気がする。

今週に入ってからは玄狼が学校を三日間休んでいたので仕方ないが先週は土日を含めるとほぼ一週間口を利いていなかったという事だ。


その時、彼は志津果に確認したいことがあったのをふと思い出した。それはあの手提げ袋レッスンバッグに結わえられていた女性の爪の様な形をした薄桃色のアクセサリーは何だったのかということであった。


だが言ってみれば志津果とは先週から喧嘩別れしたままの状態である。あの時の彼女の反応を思い出すとその事を訊ねるのは何となく躊躇われた。そのため二人は隣り合ったまま沈黙を続けることとなった。

やがてその沈黙のベールを引き剥がすように志津果がおずおずと口を開いた。



「その・・・この間は御免。あんなものレッスンバッグを投げつけたりして・・・」


「えっ・・あ、いや、それはもうかまんけど。俺の方もチョット揶揄いすぎやったし・・・・悪かったわ。」



互いにぎこちなく謝りながらも話の接ぎ穂が見つからずまた黙り込んでしまう。

二人の間のもどかしい沈黙を再び破ったのは別の人物だった。



「 ね、玄狼さん。だったらこの週末は玄狼さんの家で私とゲームしない?」



いつの間にか近くに来ていた郷子が少し大人びたメゾソプラノの声でそう言った。その言葉に玄狼だけではなく皆の視線が反応した。



「さ、郷子か? いきなり後ろから言うたらびっくりするやんか。

え、ゲーム? 何の?」


「ほら、先週の帰り道で言ってたじゃない。なんてったっけ?

Lord of EvilだかDevilだかそんな名前のゲーム・・・・・・

確かRPGの老舗だとか言ってたやつよ。

捲って捲って捲りまくるとなんもかも忘れてスカッとするとか言ってたじゃない?」



忽ち、周囲のギョッとしたような視線が玄狼に注がれた。

すぐさま、賢太が突っ込んできた。


「オイ、玄狼! セクハラRPGってどんなゲームなんや?」


続いて志津果が尖った声で訊ねて来る。


「捲りまくるって何を捲るん? まさか…スカート…」



玄狼は慌てて反論した。



「 郷子! な! 

ハクスラRPG! ハック アンド スラッシュ! 紛らわしい間違え方せんとってくれ!

志津果やったってその話しよる時、一緒に居ったやろうが。捲るじゃのうて

じゃ。

敵を倒して倒して倒しまくる、打って打って打ちまくる、アイテムと金をゲットしまくる、って言うとったやろ! スカートなんて何処っちゃに出て来てないぞ!」


「しまくる? いや、それはそれで仲々にエッチな響きが・・・」


「うん、むしろそっちの方がイヤラシイんちゃう? 

浦島さんと家で・・・うわっぁぁー、めっちゃエロイやん!」


「団児! 亜香梨! おまえら、癒しキャラかと思たら何ちゅうことを!」



ワイワイと騒ぎながら少年少女達の放課後はゆっくりとひなびた茜色に染まっていく。




― ― ― ― ― ― ― ― ―




~ 母親達 ~




鷹松駅のホームに立つすらりとした長身の二人の女性。一人は何も持ってはいないがもう片方は大きな旅行バッグを下げている。一見すると旅立つ片方を残った片方が見送りに来た姉妹の様に見えなくもない。

それは何処の駅にでもある見慣れた光景であった。その二人がホームを行きかう人達の目を引き付けるほどの美しさを強力な電磁波の如く放っている点を除けば・・・



「JRで帰るとは思ってなかったわ。車はどうしたの?」


「あれは鷹松市内で借りたレンタカーよ。こちらで色々と動くのに都合がいいと思って。おかげさまで仕事は無事終わったからレンタカー会社に返したわ。」


「あら、そうだったの? 久し振りに会えたのに随分無理を言って手間をかけさせてしまったわね。御免なさい、そして本当にありがとう、紅狐。」


「ううん、礼を言うのはこちらの方よ。この歳になってあんな命を振り絞る様な刺激的な経験が出来るとは思わなかったもの。決して皮肉じゃなくてよ。まだまだ鵺弓師として第一線でやれるんだって確信できただけでも得難い収穫だったわ。」


「当り前じゃない! 貴女ほどの力を持った祓い師が他にどれくらいいると思っているのかしら? 日本全国を捜しても十指に満たない筈よ。見た目も相変わらず若くて綺麗だし・・・とても中学生の娘さん達がいるお母さんには見えないわ。」


「それを理子に言われてもねぇ。そっちこそもうすぐ中学生になる息子がいるなんて思えないわよ。・・・あ、そう、その息子さんの事だけど・・・もし良かったら玄狼君を暫く私のところみかがみりゅうに預けてみない?」



紅狐の思いがけない提案に理子は一瞬、目を丸くすると「ハァッ?」と声を上げた。



「玄狼を? 貴女のところみかがみりゅうに預ける? え、どうして・・・?」


「あの子は人並外れた念能を持っている、凄まじいと言っていいほどのね。いいえ、そんな表現では生ぬるいかもしれない。控えめに見ても貴女と私を合わせたよりも遥かに強大な念能ちからを秘めているわ。


あの子なら充分な設備と優れた指導者の下で正しい修行を積めば世界でも有数の念能者に成れる筈よ。

でも、巫無神流神道と縁を切った今の貴女にそれだけの環境を彼に与えてやれることが出来るかしら?」


「貴女ならそれが出来ると?」


「ええ、出来るわ。御火神流神道の事実上の総帥である私ならね。」


「それであの子を御火神流に取り込んで有力な手駒にすることが貴方の狙い?」


「それが無いと言えば嘘になるわね。でもそれだけじゃないわ。あの子は将来、何か途轍もない事を成し遂げるんじゃないかって気がするの。

宗派も組織も超えた・・いいえ、物理化学の法則を塗り替えて現世と幽世の垣根すら取り払ってしまう様な何か大きな事をね。」



理子と紅狐は互いに相手を見つめ合った。巨大な二匹の猛獣が睨み合う様な異様な雰囲気が一瞬だけ辺りに満ちる。冷え込んだ晩秋の大気が熱を帯びた様にホームにうねった。

だがそれは直ぐに消えて元に戻った。理子がやや受け口のふっくらとした魅惑的な唇を開いて感情の読めない声で紅狐に答えた。



「そうね・・・考えておくわ。」



紅狐は薄くルージュを引いた形の良い細く奇麗な唇をニヤリと弛めると言った。



「勿論、直ぐにって話じゃないわ。そう遠くない将来にってところかしら。

そうだ! 良かったら卒業後の春休みにでも玄狼君を連れてウチに遊びに来ない? 彼の様な綺麗な男の子が来たら娘達もきっと喜ぶわ!」


「喜ぶかしら・・・島育ちの田舎者だけど?」


「島に居たのは三年ほどでしょ。それ以前は貴女と二人で欧米を転々としていたんじゃなかった? 帰国子女なんてカッコイイじゃない! 何より今の世の中じゃ男の子ってだけでも充分な価値があるもの。ましてや彼ほどのイケメンショタは希少種といっていいわ。」


「貴女の話を聞いているとあの子が近い将来、レッドデータブックに載りそうな風に聞こえるわ。ところで紅狐の娘さんって二人いたのよね。何て名前なの?」


「上の娘が中学三年で尽姉つくし、尽くすアネって書いて ”つくし”。最初から二人は産むつもりだったから面倒見のいいお姉さんになってねって意味でそう付けたの。」


「へえー、じゃ、下の娘は」


「今、中学一年で笑美わらび、笑うに美しいと書いて ”わらび”。笑顔の素敵な子になってねって言う事で。」


「つくしちゃん に わらびちゃんかぁ・・・何か美味しそうな名前ね。玄狼は食いしん坊だから気に入るかも。」


「あら、気に入った方を食べちゃってくれてもいいわよ。何なら二人とも。」


「紅狐! 貴女、なっ、なんてことを言うの! 食いしん坊っていうのはそっちせいよくの意味じゃなくてこっちしょくよくの意味よ。」


「おんなじことよ。どうせ取り込むんだったら搦め手も使わなきゃね。まあ、男女間の恋愛には少し晩熟おくてのようだしその手はまだ使えなさそうだけど・・・

そういや玄狼君の話だと郷子って娘が同じクラスにいるんでしょ。”九郎の正室”なんて名前でメールを送ってきたりしてたけど彼はその意味に全然、気付いてなかったみたいだわ。」


「郷子? ああ、浦島郷子ちゃんの事ね。秀次郎さんの娘よ。」


「秀次郎? うらしましゅうじろう?・・・えっ! まさか、浦島ってあの浦島?

それじゃ巫無神流の総家筋の娘が彼のクラスにいるって事!?」


「ええ、そうなるわね。」



理子の他人事のような返答に紅狐は呆れたようにやれやれと首を振って考え込んだ。


『それ絶対、おかしいでしょ! こんな地方の小島にワザワザ中央省庁のエリート役人の娘が転校してくるなんて・・・

懸念した通り、よその紐が付きかけていたってわけね。こりゃ面白がってばかりじゃいられないわ。早急に手を打たなきゃ。』


その時、彼女が乗る予定の陸山おかやま駅行きの特急列車の出発案内のアナウンスが流れ始めた。



「理子、その件はまた連絡するから。玄狼君にもよろしく伝えておいて頂戴。

それじゃね!」



彼女は大きなバッグを軽々と抱え上げると動き始めたまばらな人の波に加わって列車へと乗り込んで行った。




― ― ― ― ― ― ― ― ―




~ 老漁師と娘 ~



木地谷 亜香梨は家路である海沿いの道を歩いていた。海風に吹き上げられてくる浜砂に覆われたコンクリート製の道路は既に沈みかけた夕日に赤く染まりかけている。

何時もなら団児や賢太と一緒に帰る道だが今日は一人だった。学級委員の仕事が長引きそうだったので二人には先に帰って貰ったからである。


学校生活では特に変わったことは無い。先週、水上玄狼が週半ばまで欠席していたことぐらいである。

先々週の土日に彼の身に何かがあったらしいことは薄々知っていた。志津果がこっそり教えてくれたのだがその志津果も詳しい事は知らないようだった。それから後は今日まで欠席することなしに登校しているから多分、大丈夫なのだろうと思う。


担任の高田先生うさちゃんが随分心配していて玄狼がよく呼び出されているところをみると彼女は彼が欠席した理由を何か知っているのかもしれない。


この時期は陽が傾き始めてから落ちるまでがつるべ落としと呼ばれるほど早い。今はまだ茜色の夕日に照らされてはっきりと見渡せるがあと二十分もすれば周囲は真っ暗になるだろう。


ずっと向こうに見える松原と海沿いのごつごつした岩礁以外、何もない殺風景な道であった。それでも亜香梨はこの道が好きだった。小さい頃から慣れ親しんだこの風景は彼女の生活の一部となっていた。


ずっと夕日に赤く染まった海を見ながら歩いていた彼女がふと視線を前に戻した時、向こうから誰かが荷車の様なものを押しながらやって来るのに気付いた。

亜香梨は最初、漁師の誰かが漁具でも運んでいるのだろうかと思った。だがよく見るとそれは荷車ではなく車椅子であることが分かった。

車椅子に座っているのは銀髪の大柄な老人で押しているのはよく似た面影を持つ中年の男性だった。



「オン爺・・・それとシンジおっちゃん?」



やって来るのが網田音次とその息子の真司であることがわかると彼女は急ぎ足で近づいた。オン爺こと音次は先々週辺りから姿が見えなくなった。

一時は散歩の途中で道に迷って徘徊するうちに海にでも落ちたのではないかと騒ぎになったが二、三日して本土の病院に入院していることが分かった。息子の真司が連絡してきたらしい。


音次は島の沖で小さな漁船で漂流しているところを漁協の船に救助されたのだと言う。亜香梨は先週の中頃にその話を母から聞かされていた。



「オン爺! 大丈夫やったん? 何時いつ、もんてきたん?(何時、もどってきたの?)」


「おう、亜香梨ちゃんか! もんて来たんは今日の昼間じゃが。夕方になったら親父が散歩したい言うんでこうして外に連れて出たとこじゃ。」



太い声でそう答えたのは車椅子を押していた息子の真司だった。亜香梨はそれを聞くと立ったまま膝に手を突き、しゃがみ込むようにして老人と視線を合わせた。そしてゆっくりとした口調で話しかけた。



「オン爺、ウチが誰か分かる?」



音次は怪訝そうな表情で彼女の顔を見詰めた後でニマッと笑うと答えた。



「何や、誰か思たら木地谷さんとこの嬢ちゃんか。香世ちゃんやったかの? しばらく見ん間になんかしゃんちいそうなったような気がするけんど・・・・」


「違うがな! 香世はウチの母さんやがな! ウチはその娘の亜香梨! 

そらちぃっそに見えて当たり前やん、うちあなんデブでないし・・大体、年見たら分かるやん。あななオバハンと一緒にせんといてつか!(あんなおばさんといっしょにしないで頂戴!)」


「えっ? あ、そやったかいの? おお、そう言えば亜香梨ちゃんじゃったわ。

そうじゃわの、おかしと思たんじゃ。確か、娘さんになって婿さんもろうて赤ちゃん抱いとったはずじゃのになんでこなんちいそなったんかいの、と思たんじゃ・・・まぁ、ほんだけんどよう似とるぞ。」


「もう! やめてって言よるのに! オン爺、ボケとんな? それともウチを揶揄からこうとん?」



憤慨する少女を見て老人はカラカラと笑った。



「ハァッハハハハ。わるい、わるい、そなん怒るなや。チョットてごうてみただけじゃきん(チョット揶揄ってみただけだから)

そやけど、その怒り方、香世ちゃんのこんまい頃に(小さい頃に)そっくりじゃの。 ああ、また言うてしもたが。ハァッハッハ。」


「フンッ! ウチはまだ小学生やきん。あなに太っとらへんしオバハンでもないし!」



亜香梨の抗議の声を聞いた音次は笑うのをやめて真顔になった。



「小学生・・・そういうたら亜香梨ちゃんのクラスにクロウとかいう男の子はおらんか? まるで女の子みたいな顔をした綺麗な僕じゃったが・・・」


「クロウ? おるよ・・・水上 玄狼いう子が。まぁ、確かにめったにおらんぐらいのイケメンやけど・・・」


「おお、確かその子じゃ。その子に会うたら言うとってくれんかの。亡くなった孫に会わせてくれて有難うちゅうての。」


「玄狼君が・・オン爺を孫に会わせてくれた? 何のことかよう分からんけどそう言うたらええん?」


「おう、そうじゃ。そう伝えてくれ。あの子はホンマに優しい子じゃ。どんな法力か知らんけんどワシの為に淳司の姿を作り出してまで慰めてくれたが・・・

亜香梨ちゃんよ、嫁に行くか、婿に貰うかどっちにしても相手はあの子がええわ。

今のうちに唾つけとかないかんぞ。」


「な、何を言うんな、いきなり! そんなんこっちの都合だけで決められへんやん? てか、そなん事になったら志津果にどよん言い訳するんな?

唾つける言うたってどやったらええんか‥あ、違うけど、そなん気ないけど・・・


あ、もうくらなんじょるけん、ウチ帰るきん。ほんだらな、シンジおっちゃん、オン爺、またな、バイバイ!」



亜香梨は音次達の横をすり抜けると夕闇迫る海岸通りを一目散に駆け抜けて行った。



― ― ― ― ― ― ― ― ―



「さて、親父、もう日が暮れよるが。俺等も帰るぞ。ヨイッショっと」



真司は掛け声とともに車椅子をUターンさせると少女の後を追う様に今来た道を戻り始めた。



「さっきの話やけど・・親父、ホンマに淳司の魂か霊か知らんけんど見たんか?」


「ああ、ホンマじゃ。ホンマに見た。話もしたがい。(話もしたぞ。)」


「話もした? 淳司は何言うたんぞ?」


「ずっと儂の傍におったと・・ほんだきん寂しなかったとそう言うとった。」

儂に会えてよかったとそう言うとったわ。」


「それはホンマにあの子の霊やったんかいの?」


「いや、違うやろの。」


「どして? どしてそう思うんや。」


「わしの事を祖父ちゃんと呼んだが・・・淳司はわしの事をいつもジイジと呼んどった。わしを祖父ちゃんと呼んだことはなかったけんの。


そやけんわしにはあの淳司は玄狼いう子が法力で作りあげた偽物なんじゃろうと分かっとった。ほんでもの、それはかまんのじゃ。わしはあの子に会えたんじゃきん。あの子に謝れたんじゃきん。

ずっと胸の中に溜め込んどったどっちゃ出来ん(どうすることも出来ない)辛い後悔を全部吐き出すことが出来たんじゃけん。


淳司の霊が偽物やったってそれでわしの苦しみをすくてくれようとした玄狼いう子の優しさは本物じゃが。


それにの・・最後に空へ登って行った蒼い火の玉はひょっとするとホンマに淳司の魂やったんかもしれん。そんな気がするんじゃ。」



音次の言葉を聞いていた真司は何も言わず黙ったままだったが暫くすると口を開いて思わぬことを言った。



「のう、親父。この島を出て本土の鷹松市でわしらと一緒に暮らさんか?」


「お前らと? 阿保言うな。そなん事、朱美さんが許すわけなかろが。可愛い一人息子を殺したわしと今更、一緒に住んだりできる筈もないが・・・

なんぼ呆けかけたわしの頭でもそれぐらい分かっとるわ。」



真司は再び黙り込んだがまた口を開いて更に意外なことを告げた。



「淳司が生まれたんが十七年ほど前の事じゃ。それからあの子が七歳になるまで何でか二人目が出来んかった。ほんであの子が無くなってから十年以上が過ぎた。今年で儂が四十二で朱美は儂の三つ下やきん三十九じゃが。

結局、二人目は出来んままでもう、とおの昔に諦めとったんじゃが・・・今年の夏前に朱美が妊娠した。来年の春ごろには生まれる予定やきん。


淳司がああなった直ぐの頃にはの、互いに気まずうなってしもて二人で島を出ることになってしもたけんどの・・この子はきっと淳司の生まれ変わりじゃと思うんじゃ。

もう一度、家族でやり直せる様に神さんが授けてくれたんじゃないかと・・・


朱美も親父に孫をもう一度抱かせてあげたい言うとる。お袋に抱かせてやれんかったんが残念じゃ言うて泣いとった。


なぁ、親父。儂と朱美と生れてくる子と親父の四人でやり直さんか?」



音次は沈みかけた夕日を浴びながら静かに目を閉じた。あの時、淳司の霊が彼に向かって言った言葉がゆっくりと耳奥に甦って来る。



〈 今日、祖父ちゃんに会えてホンマに嬉しかったわ。 〉


〈 さよなら、祖父ちゃん・・元気でな! 〉



最早、祖父ちゃんでもジイジでもどちらであろうと構わない気がした。今度生まれて来る赤ん坊こそが淳司の生まれ変わりであるのだろうから。


水平線の向こうに沈みかけた夕日とは反対に明るい朝日の様な希望が胸の中に昇って来るのを彼は感じていた。

  















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