母を呼ぶ声
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ドオォォォーンという物凄い轟音と共にクルーザーは種々の破片を飛び散らせながら大きく傾いて向きを変えた。
黒いヌラリとした何かは船からゆっくりと離れると大きく旋回して暗い海面に溶け込むように見えなくなった。まるで鵺弓師の使う影羽織の術を思わせるような消え方だった。 ※ 影羽織 【第三話 影羽織】参照
七宝丸は慎重な速度を保ったまま密漁者達の船にある程度の距離まで近づいて行った。クルーザーの機関は停止している様だった。少し傾いた状態のまま惰性で進んでいる。
恐らく内部はパニック状態になっているだろう。いくつもの人影が右往左往するのがキャビンの窓ガラス越しに見て取れた。
七宝丸の
だが・・・相手は組織的犯罪集団の可能性が高い連中だ。ましてや自分達はさっきまで彼らを追跡していた敵でもある。そんな船に乗り込む事など危な過ぎて出来る筈もなかった。
「こら、困った! あいつらを助けないかんがこっちも危ないぞ・・・どうしたらええんや?」
思わずこぼれ出たその呟きに横から冷徹とも言える声で返事があった。
「その心配は後回しにしましょう。
今は先ず眼の前の危機をなんとかしないと・・・姿は消えても未だ濃密な妖気が
波間に満ちたままだわ。あれは又すぐにやって来るわよ。」
紅狐のその言葉通り、黒いヌラリとした巨体が再び仄暗い夜闇のベールを潜り抜けるように現れ出た。そして超大な半球状のハンマーヘッドを思わせる頭部が今度はクルーザーの左舷に激突した。
ドォーンという重い衝突音の後で船のミジップ部分とキャビンがベキッ、バリッという悲鳴を上げて破砕される。飛び散ったFRPの白い破片が紙吹雪の如く暗い波間の上に舞い散った。そして最初の攻撃の後と同じように海坊主は、たちまち夜陰の中へと紛れ込んでしまった。
クルーザーの動力機関は完全に沈黙してしまったままだ。船体は大きく傾きながらもどうにか浮かんでいるがいつまで持つかは分からない。人間で言えば瀕死に近い状態だろう。もし三度目の体当たりを喰らったらひとたまりもなく転覆してそのまま沈没してしまうに違いない。
そうなったら救助は遥かに困難なものになるだろう。
「あれは未だ近くに居るわ・・・どうあってもあの船を海の底に引きずり込むつもりみたいね。」
「なんでそなん執拗にあの
ひょっとして何ぞあの船に恨みでもあるんかいの?」
「・・・さぁ、そればかりはあの黒い化け物に聞いてみないと分からないわね。
まぁ、あの
であれば次にあれが現れた時が勝負だわ!」
紅狐はそう答えると大きく左足を前に踏み出すと同時に親指を上に向けた左拳を真っ直ぐに突き出した。そしてハスキーさを帯びた美しい声で
「汝の名は " 雷上動 " 高天原に
冷えた夜気を切り裂くような凛とした声であった。次の瞬間、
常識を超えた物理現象を前に池田をはじめとする船員達は只、驚いて口を噤んだままそれを見守っていた。
玄狼はそれが " 雷上動 " と呼ばれる式神であろうと気付いていた。その黒い大きな弓が現れた時、それに呼応するかの如く彼の身体の中で何かがギィィィーンと声を上げて哭いたような気がした。
〈 この哭き声は・・・ ”
源頼政の鵺退治の逸話において鵺と呼ばれる妖は雷上道という弓から放たれた水破、兵破という二本の矢によって射抜かれる。地に落ちた瀕死の状態の鵺に止めを刺したのが骨噛という匕首に似た造りの小太刀であったとされている。
ゲームやアニメの中で生きる今時の小学生である玄狼はそんな昔話など知りはしないがその二つの式神に何かしらの繋がりがあるらしきことを身をもって実感した。
彼がその奇妙な感覚に気を取られていたその時、ヌラリと黒光りする巨大な怪物が三度、闇の中から白波を蹴立てて現れた。
黒い巌のようなそれが
それは心なしか最初の時より更に大きく猛々しくなったように見えた。そのままぶつかればクルーザーは転覆どころか二つに砕け折れるのではないかと思わせるほどの迫力だった。
ヴイィィーーン!
ヴイィィィィィーーーーン!
ヴイィィィィィィィィーーーーーーーーン!
冴え冴えとした月の光を受けて薄金色のベールを刷いたように揺蕩う黒い波間に突如、冷厳な振動音が響き渡った。
紅狐の白い指が弾き叩く「鳴弦の法」の弦音であった。
空間そのものを振動させて
クルーザーにあと十メートル程に迫っていた海坊主は雷に打たれたかの様にビクンとその黒い巨体を慄えさすとそのまま硬直した。そして身を捩る様にして激しく海面を叩いてのたうち始めた。
紅狐は甲板を射抜くかのように長弓を下に向けて構えた姿勢で只、粛々と弓弦を鳴らし続ける。
既に黒い怪物の獰猛な突進は止まっていた。まるで何本もの銛を打ち込まれた鯨のように苦しみ悶えながらキュウ~キュウ~と悲鳴のような声を上げていた。
それでも海坊主は先程までの勢いの惰性によりゆっくりとクルーザーに向かって進んでいく。やがてその黒い巨体はゴォンという鈍い音を響かせてクルーザーのスタン近くの側面にぶつかって止まった。
そしてそいつはそこで断末魔の悲鳴を上げた。
~ キュウゥゥゥ・・ゥゥ・・・・ォォォ・・ォォ~~~~~~~~~~ン !~
それは狂暴で恐ろしい海妖の断末魔とは思えない哀し気な叫びだった。
それを聞いた玄狼はまるで母を呼んで泣く幼い子供の声のようだと思った。
力尽きた海坊主の身体はその形をじわじわと変えつつあった。
黒いヌラリとした表面がチロチロと燃える紫炎に包まれながら溶け崩れる蝋燭のようにゆっくりと小さくなっていくのがわかる。
無数の赤黒い光粒が火花のように飛び散りながら黒い海面に落ちて消えていく。
海水に含まれた液状スプルトニウムの触媒作用で実体化していた身体が元の念体へと戻ってゆくのであろう。
「終わったわ・・・これでもう海坊主が現れることは無い筈よ。
本当にご苦労様だったわね。玄狼君、有難う。」
紅狐が玄狼の傍にやって来るとそう礼を言った。しかしその口調には何故か依頼を遂行できた喜びや安堵感はあまり感じられなかった。少年には彼女の透き通った美しい黒瞳が愁いを含んだように微かに曇っている気がした。
「でも何か・・とてつもなく残虐で悪いことをしたような気がするわ。どうしてかしらね・・・」
” いえ、実は僕も・・・ ” と言いかけて玄狼は驚きに眼を瞠った。
海坊主の黒く巨大な身体が消えた後には長さ六メートルほどの小さな漁船が浮かんでいた。その甲板室に人影がポツンと立っているのが見える。
かなり年配の大柄な男であった。白くなった蓬髪を後ろで束ねて結わえたその姿に玄狼は見覚えがあった。
「あれは確か・・・オン爺・・?」
奥城島の浜辺で一度だけ見掛けた老人がそこに立っていた。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
奥城島の西側にある海岸通りから少し離れた砂浜の一角に大きな岩があった。
自然の波風が作り上げた偶然の造形であろうか、平べったいやや角ばった楕円形の所々から突起した部分を持ったその岩は見様によっては甲羅から首を突き出し四肢を踏ん張った亀によく似ていた。
その岩の近くには満月の明かりに照らされて白々と広がる砂浜が海へと続いている。
そこは一週間程前に玄狼、団児、賢太、亜香梨の四人が通りかかったあの場所であった。三年前、流れ着いたザトウクジラの巨大な死骸が埋められている例の場所である。
今、その場所に奇妙な現象が起きようとしていた。
その現象を引き起こしたのは海の遥か沖合の彼方からやって来た一筋の振動、旋律を持った歌のような音波であった。その音波とはあの黒い怪物が「鳴弦の法」によって現世との繋がりを断たれ、潰える寸前に上げた哀しき断末魔の声だった。
音は海中において空気中の約4.5倍という猛烈な速さで進む。人の可聴域を超えたその声は波間を伝わる高速振動となって凄まじいスピードで渚にぶつかりそのまま砂浜を走り抜けた。
黒い怪物の上げた哀しい悲鳴の如き断末魔の声は果たして何を意味するものであったのか?
母を呼ぶ幼い子供の泣き声のようだという玄狼の感想は実は的を射たものだった。
黒いヌラリとした巨大な怪物、海坊主と称されるその怪異の正体はザトウクジラの子供の霊であった。
それは念体である妖にとって現世における死を意味するものであった。本質的な死ではないにせよ具現化できないと言う事はこの世において実質的な死に等しい。
物質化した肉体が非物質である念体に無理やり戻される時の激しい苦痛に彼はのたうち回り泣き叫んだ。そして三年前に
その哀しき最後の声は七宝丸のいる場所からこの砂浜まで僅か七秒足らずで届いた。するとその数分後、白かった砂浜に小さな黒点のような染みがポツポツと浮かび上がり始めた。
やがてその染みはゴポゴポと湧き出る黒い液体となって辺りの砂浜を覆い始める。
そして・・・
「ヴァオォォォォーーーーーーン!」
という爆発音のような物凄い咆哮と共に分厚く堆積した大量の砂を弾き飛ばして真っ黒な噴水が立ち上った。
鯨の潮吹きその物の様なそれはやがて二十メートルを超える途方もなく巨大なドロリとした塊になるとのたうつように渚に向かって進み始めた。
そしてその真っ黒なヌラリとした巨体をザボォーンと海に乗り入れると津波のような波を起こして海面をかき分けながら暗い波間へと消えて行った。
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