騎士の落馬した白馬となりて
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佳純は走っていた。潮の香りを含んだ生暖かい空気を切り裂くように駆けていた。普段通学に使っている道だから自分がいる場所は大体わかる。
ぼんやりと周りを照らす月の光のお陰で夜道の暗さも気にならなかった。
『クロ君、お母さんをほっといたらええやなんて可哀想な事言うてから。
ウチがお母さんを見つけてあげないかんわ。
もし理子おば・・姉ちゃんがおったら二人で一緒にクロ君を叱ってやろかな。
” 捜しもせんと帰ったりして ” 言うて。
ほんでその罰や言う事でクロ君にどっか遊びに連れて行ってもらお。もうじき夏休みやし・・・何処がええやろ?』
もうしばらく走ればこの先に岩場がある。そこまで行って誰もいなければ帰ることにしよう、彼女はそう考えながら走り続けた。
海岸通りの右手には夜の闇にほの白く浮かぶ砂浜が続いている。やがてその先に砂浜を遮る様に横たわるごつごつした黒い岩礁が見えて来た。
その岩礁の位置する辺りの道の中ほどに人影のような物を認めた時、佳純は思わず
” やった! 見つけた! ” と心の中で叫んだ。
と同時に思わず目が潤むような安堵感が胸の中に広がるのを覚えた。
勢いに任せて飛びだして来てしまったものの明かりも持たずに暗い夜道を一人で走り続けるのは11歳の少女にとってかなりの緊張を強いられるものであった。
「もうホンマになんで直ぐに追いかけてきてくれんのよ、クロ君の薄情者!」
玄狼の制止の声も聞かずにいきなり駆けだした自分の行動を棚に上げて彼女は小さな声で彼に悪態をついた。そしてグンッと足の速さのピッチを上げた。
走る速さならだれにも負けない自信がある。唯一、後れを取る相手がいるとすればそれは志津香ぐらいのものであろう。
佳純は夜の海岸通りを黄色い風の如く駆け抜けていった。遠くに見える理子の黒い影がグングン近づいてくる。
豆粒ほどの大きさであったそれは瞬く間に小石ぐらいの大きさになって今や握り拳ほどの大きさになりつつあった。
その時初めて彼女は違和感を抱いた。理子だと思い込んでいた影がどことなく異様な雰囲気を纏っているように思えたのだ。
そしてその懸念は現実のものとなって彼女の前に立ち塞がった。
佳純は影の数メートル手前で足を止めた。
影は女性のものではなかった。身長こそ理子以上だが彼女のすらりとしたそれでいて柔らかい曲線美で構成されたアウトラインとは似ても似つかぬ不気味な形状をしていた。
服装も
それはぐっしょりと水に濡れた青い背広を着ていた。首が斜めに
向こうを向いているので顔までは分からないが夕涼みに出かけた近隣の住民なぞではないことだけは分かる。
それを眼にした佳純の頭の中に肝試しの前に理子の言った言葉が響くように甦った。
『青い背広を着た背の高い男の人を見かけたら決して近づかない事。近づいてくるようだったらこのホイッスルを吹いて速攻で逃げて。』
佳純の首筋にチリチリとした異様な感触が広がった。冷たさと熱さがない交ぜになったようなそれは彼女にその場から早く逃げ去ることを促していた。
しかし身体はその本能的な警告に反するように動こうとしなかった。冷たい恐怖が彼女の全身を蝕んでいた。
凍り付いたかのように固まった己の身体を叱咤しながらじりじりとどうにか向きを変えようとする。
するとそれに気付いたのように青い背広の男は歪に折れ曲がった首を彼女へと向けた。月明かりに照らし出されたその顔は恐ろしいものだった。
バットで叩き割られたスイカの如く顔半分が砕けて眼窩から飛び出した眼球がぶらぶらと揺れている。片方だけが斜めに開いた顎からは薄いピンクがかった青白い舌がだらりと垂れ下がっていた。
「・・・・・!!」
そのあまりの悍ましさに佳純は悲鳴すら出せなかった。氷の手で喉を鷲掴みされたかのように声帯と肺が麻痺してその機能を止めていた。
男は壊れたゼンマイ人形のような動きで彼女に迫りながら石同士を擦り合わせたような軋み声を出した。
「ぢぃえーー・・・・ぢえを・・が・え・・せぇーーーー。」
耳障りな声が不明瞭に発する” ぢえ ” というのが何を意味するのかは分からない。
だが男がそれを激しく求めている事だけは分かった。
そしてそれはガタッギシュッ、ガタッギシュッとよろめきながらホラー映画の
身の毛もよだつ様な恐怖に彼女は
それは首に掛けておいたプラスチック製のホイッスルだった。
『このホイッスルを吹いて速攻で逃げて。私が直ぐに行くから・・・』
佳純の耳奥であの時の理子の言葉が聞こえたような気がした。彼女はホイッスルを口に咥えると思いっ切り吹いた。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
ピィーーーというその音は佳純の走り込んでいった夜道の彼方から聞こえて来た。
彼女の身に何かあった?! そう直感した玄狼は思わず母の理子を見た。
何があったにせよ母が付いていればまず大丈夫だ。
相手が地震や津波といった自然災害でもない限り後れを取る心配はないだろう。それが人間であろうが動物であろうがそれ以外の存在であろうがどうにかなるはずだ。
自分も念能を使えば相手が大人でも一人や二人はどうにか出来るかもしれない。
ところが何故か理子は動こうとしなかった。冷厳な顔付きでじっと彼を見ていた。
やがて彼女は抑揚のない声で静かに言った。
「玄狼、あなたが行きなさい。」
彼は思わずエッと聞き返した。
「俺が? 一人で!」
「そう。貴方だけで。」
「どうして? 母さんは・・・?」
理子はフゥーと息を吐くとすまなそうに言った。
「それがね。さっきその子供を捜していた時、足を滑らして転んじゃって・・・
どうやら捻挫しちゃったみたいなの。
暗くて地面が斜めになっているのが良く見えなかったのよ。」
ゆっくりとならどうにか歩くことは出来るがとても走ることは出来そうにないのだと母は言った。戻って来るのに随分と時間がかかったのはそういうわけだったのだ。
「急いで! 何があったのか分からないけどもし依頼の件に関わる事だったら佳純ちゃんが危ないわ! ”和魂の気入れ”で治癒を済ませたら私も出来る限り早く行くから。」
玄狼は不安を抱えたままホイッスルの音が聞こえた方角へ向かって駆けだした。母の言った《 依頼の件 》とやらが何を意味するのか知らないがどうやら厄介なものであるらしい気がした。
彼は走りながら呼吸を整えると
ヒュ―という低い風鳴りが湧き起こりそれはたちまちのうちにゴォーという轟音に変わった。斥力能によって自身の前方に発生させた低圧領域に玄狼の身体が引っ張られる。
更に引力能によって背後に引っ張り込まれた空気が加圧状態となって彼の身体を前方へと押し出す。
玄狼の身体はそれらの相乗効果によって飛ぶように加速された。暗い夜道を轟っ!という低い風切り音とヒューンという甲高い吸引音がせめぎ合う様に
それに巻き上げられた木の葉や小枝がグルグルと回りながら後方へと吹き飛んでいく。
弾丸の如く夜気を切り裂いて進む彼の視界の先に二つの人影が見えた。
青い影と黄色い影、二つの影はもつれあうように蠢いていた。
玄狼は二つの影の数メートル手前で
玄狼の艶やかな黒い前髪がその見えない衝撃によって後ろへと踊った。
黄色い影は佳純だった。そしてそれに掴みかかろうとしている青い影は見知らぬ異形の男だった。
玄狼は術による加速で得たわが身の慣性力をそのままその異形の男にぶつけた。ぶつかるコンマ数秒前に石化させた薄い念の壁を己の身体の前面に張り巡らせる。
敵に衝撃を与え同時に我身を衝撃から守るためであった。
次の瞬間、小柄な子供の体が大きな大人の身体にズズゥンとのめり込んだ。
※ 次回は明日に投稿予定です。
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