教育的指導

海沿いのコンクリートで覆われた道を二つの影が歩いている。

二つの影は少年と少女だった。二人共、背負ったランドセルを時折、掛け直しながら黙々と歩いていた。


傾いた陽光が二人の右手にたゆとう沖の波を赤く染めている。此処は島の東側なので水平線の向こうに沈みかけた西日は見えなかった。


後ろの少女の方が前を行く少年よりも、背が高い。少年の方はちょっと不貞腐れた様な表情で少女は無表情だ。二人共、まだ子供っぽさが抜けきらない整った顔立ちをしている。

少年は玄狼くろうで少女は郷子さとこだった。



「全く・・・あんまり追い詰めるのも可哀そうかなと思ってちょっと仏心を出して見逃してあげたら早速、トンビ娘に食べられてしまっているなんて・・・本当に情けない油げだわ。 玄狼さんには厳しい罰と教育的指導が必要みたいね。」



玄狼の斜め後ろから郷子が囁いた。

彼は眼だけを彼女の方に向けて動かすと不満げに鼻を鳴らした。実際に心の中では不満を漏らしていた。


『教育的指導って柔道かよ! 大体、今の世の中、指導って言うのは体罰を含んじゃ駄目なんじゃないのか? て言うか何で俺が浦島に指導されなきゃなんないんだ?』


彼女に抓られた頬っぺたがまだ熱を持ってズキズキと疼いていた。男と女とは言えこの時期においては体力的に女子の方が優っていることは珍しくない。

増してや郷子は男子と比較しても相当に大柄な方だ。面目ない話だが純粋な腕力勝負ならば玄狼は少々、分が悪かった。


だからと言って女の子相手に念能を使ってまで争うのも躊躇われた。尤も念能を使用した場合でも絶対に勝てるとは言い切れない。

郷子の念能力は未知数だが無動領域を発現出来る事から考えて侮れないレベルだろうと推測できる。


その相手が超精霊合金鋼スーパースプルテン製の指輪を二個も身に付けているのである。念能触媒を所持せず自身の生体念能しか頼るもののない玄狼は充分過ぎるぐらいに不利だ。


刃渡り二十センチを超えるサバイバルナイフを両の手に持った敵に対し素手で立ち向かう様なものであった。

結果、郷子の理不尽に近い振る舞いに対し彼の泣き寝入りが決定したのだった。


彼女さとこの小言はまだ続いた。



「あの色の黒いごつごつした顔のお兄さんに " 朧月 " の型を使ったでしょ。

あのお兄さんかあの娘が誰かに話してそのことが噂にでもなったらちょっと面倒な事になるかも知れないじゃない。

巫無神流神道の技を使うときはもっと慎重にならなきゃダメよ。その辺のところわかってる?」


「ハァッ? 浦島がそれを言う? 自分だって志津果と喧嘩したとき " 朧月 " を使おうとしてたじゃないか。

俺があの時、無動領域アキネシスゾーンをかけなかったら使う気満々だったくせに。」


「あら、気づいてたんだ? でもあそこで使っても違和感持つのは相手の志津果さんぐらいよね。他の人には見えてないわけだし。

玄狼さんなんか式神まで召喚して見せてたじゃない。あれは明らかにやりすぎでしょ。」


「それは逆さ。口封じをするために式神を呼び出して見せたんだ。あれだけ脅しとけば喋ったりすることはまず無いよ。

今後、口にするどころか思い出すのも嫌なぐらい怖かった筈だから・・・


てか、それを一体どこで見てたんだ? 周りには誰もいなかった様に思うんだけどなぁ? 俺の頬っぺたを抓った時だっていきなりそばに現れた感じだったし。


・・・・ひょっとして巫無神流の ”隠れ蓑” の術を使って姿を消したまま近くで見ていたとかいうんじゃないよな?」


「・・・・・!」



玄狼がそう言うと郷子はさっと眼をそらして明後日あさっての方向を向いた。



「図星なの! そっちのほうがやばいじゃん? いきなり人の姿が消えたり現れたりしたらどうごまかすんだよ?!」



 ”隠れ蓑” は ”影羽織” と原理的にはよく似ている。念を実体化させたガラスのような透明体を複数ヶ所使って光を何度も屈折させることで背後の景色をそのまま自分の前面に映し出す技である。


この技に熟達すれば前面にいる相手に対して自身の姿を消してしまうことができる。

但し別角度から見られた場合、簡単に露見してしまうので相手が複数人いたり高速で移動したりしている時などは使えない。


 ”影羽織” と比べた場合、技術的にも複雑かつ高度な念操力が必要であるため巫無神流神道のなかでも中伝に属する技である。

それを使えるのだとすれば事の是非は抜きにして郷子の念能の才は驚くべきものと言えた。



「誰にも見られてないから大丈夫よ。現に貴方だって頬を抓られるまで私がそばに来た事がわからなかったじゃない。


まぁ、あれだけ春到来の喜びに浮かれてボウッとしていれば術なんか使わなくても気づかなかったでしょうけど・・・

ヘロインを打った後の麻薬中毒患者ジャンキーみたいな顔してたものね。」


「見たことあるのかよ、そんなもん! 大体、俺そんな顔してないから・・・ 

あれは嫌な相手を撃退してあげたお礼をもらった感慨を少し噛みしめていただけじゃないか。」


「へぇー、少し噛みしめていただけにしては随分嬉しそうに見えたけど?」


「そ、そりゃまぁ、あんな可愛い子からいきなりあんなことキスされたら嬉しくないわけはないさ。誰だってそうだよ。」


「ふーん、男の子ってそうなんだぁ! 可愛かったらいきなりでもなんでも相手が誰でも関係なく嬉しいんだ?」


「それは・・いや、誰でもっていうわけじゃないけど・・・」


「じゃあ聞くけど亜香梨さんや志津果さんが相手だったらどうなの? やっぱりうれしい?」


「えっ! 亜香梨や志津果? な、なんでそんなところにあの二人が出てくるのさ?」


「別に理由なんてないわ。

玄狼さんが男の子は見た目が可愛い娘だったら相手が誰でもキスされることが嬉しいって言ったからよ。だったら二人とも綺麗な娘だからうれしい筈よね?」


「・・・え、イヤ、それは・・エ、その、なんていうか・・」



思わず口ごもる玄狼に彼女は畳みかけるように訊いた。



「私だったらどう? 私がキスしたら玄狼さんは嬉しい?」


「なっ! な、何言ってるんだ・・・そんなの・・キスする理由がないだろ?」


「理由? 理由ならあるよ。」


「へっ? ど、どんな理由があるんだよ?」


「最初に言ったでしょ・・・・教育的指導だって。」


「教育的指導! キスって教育的なの? それ指導方法自体が間違ってない? 

大体そんな理由でキスされても嬉しいわけがな・・なくもないか・・い、イヤ、やっぱり変だぞ、それ!」



玄狼は切羽詰まったような声をだした。それを聞くと郷子は薄っすらと唇の端を歪ませて妖しく微笑みながら



「じゃぁ、変かどうか、嬉しいか嬉しくないか試してみればわかるんじゃない?」



と言った後、玄狼に身を近づけるとすらりとした白い両腕をしなやかに伸ばして彼の両肩をしっかりとつかんだ。そしてその体を自分の方へゆっくりと引き寄せた。


玄狼は慌てて身を捩って逃げようとしたが郷子のほうが力が強い。身長で約十センチ、体重で約八キロほどの差があればそれも仕方がなかった。気が付けば彼女の薄桜色チェリーブロッサムの艶やかな唇がすぐ目の前に迫っていた。


『おい! これってラッキースケベ、というかラッキーセクハラ? 一体どうしたらいいんだ!?』


玄狼は今、この危険な香りのする幸運を喜んで受け入れるべきか、涙を呑んで拒絶するべきかという悩ましい選択を迫られていた。しかし事態は結局、どちらにも転がる事はなかった。何故なら



「ちょっとあんた達! 何をしとるんな!」



という志津果の甲高い叫び声とともに強烈なボディブローが彼の右わき腹に叩き込まれたからである。


次の瞬間、玄狼は 「ゲフゥッ」 というくぐもったうめき声とともに地面に倒れ伏した。中途半端に突き出した彼の唇を待っていたのは郷子の桜桃の実サクランボの如き瑞々しいそれではなく固くざらついた地面だった。




― ― ― ― ― ― ― ― ―




赤く空を染めていた西日はほぼ消えかかり暗い夕闇が辺りを覆いかけていた。海岸沿いの道のところどころに立つ街灯のぼんやりとした明かりが浜砂の散らばるコンクリートの道面を白く映し出している。


土の上にコンクリートを粗く打ち付けただけの道肌の上に玄狼はペッペッと口の中に残った砂粒を吐き出した。

その後でズゥンとした鈍い痛みの残る右わき腹をそっと撫でさする。


先の尖った重い石を玄翁げんのうで叩き込まれたような衝撃だった。ともするとまだその石の欠片が肝臓のあたりに残っているような気がする。


その衝撃の直接の原因である志津果は素知らぬ顔で彼の前を歩いている。その横に並んで歩いているのは郷子だった。


玄狼は前を行く二人の靴の踵を見ながら少し離れて後ろをついて行っていた。うつむき加減で背を丸めたままトボトボと歩くその姿は正しく主人の後ろについて歩くお供のようだ。


しかしそうなっているのには訳があった。なぜか背をまっすぐに伸ばすと志津果に打たれた右わき腹の反対側、背中の右部分が痛むのだ。

人体とは不思議なもので強烈な打撃を受けるとそのような状態になることが稀にある。彼がこのような姿勢で歩く羽目になっているのはその痛みのせいだった。


郷子と志津果は二人とも無言で前を見て黙々と歩いている。実は二人とも時々、後ろを振り返りながら彼に気遣うような視線を投げかけてきているのだが下を見て歩いている玄狼はそれに気づかない。


『頬っぺたの痛みが引いたら次は背中かよ。勘弁してくれよ、全く。』


心の中でぶつくさとぼやきながら機械的に足を前に運ぶ。

その時、ふいに志津果が立ち止まった。ふと前を見ると彼の住居である神社いえの鳥居が五十メートルほど前に見えていた。

彼女は郷子と玄狼を交互に見据えると固い声で訊いてきた。



「あんたらあそこでなにをしよったん? いそがなくらなりそうやったきん何ちゃ聞かなんだけどまさかホンマに・・き、キスしよったん?」


「うーん、私に聞かれても困るのよね。だっていきなり玄狼さんに引き寄せられて身動き出来なかったんだもの。


気がついたときには彼の唇がすぐ近くまで迫ってきてたからもうどうしていいかわからなくなって頭の中が真っ白になっちゃって・・・


もし志津果さんが来なかったらそうなってたかもしれないわ。

ほんとに驚いちゃった!

ねぇ、次からはもっと雰囲気を盛り上げてからにしてね、玄狼さん。」



志津果の目がナイフの刃のように吊り上がって玄狼に吠えつこうとするより早くくろうが郷子に噛みついた。



「てめえの血は何色だあぁぁぁぁー、郷子!」



郷子は口に手を当ててクスクスと笑うと悪びれもせずに言った。



「アハハハハ、ゴメン、ゴメン、御免なさい、玄狼さん。

ちょっと冗談が過ぎたかな? 志津果さん、落ち着いてね。あれは私が悔しくて玄狼さんに絡んでただけだから。

どっちも本気でキスなんてしようとしてないから・・・あ、でも今、名前で呼んでくれた! ちょっとうれしいかも!」


「悔しい? 悔しいって一体何が悔しかったんよ?」


「えー、だって玄狼さんてば私の見てる前であの佳純ちゃんとかいうトンビ娘についばまれてキスされて幸せそうな顔してるんだもの。

つい、揶揄からかいたくなってしまって・・・それだけよ。

だから安心してね、志津果さん。」



玄狼はこの時、はっきりと悟った。この腹黒女さとこは最初からすべて知っていたんだと。

志津果が俺達のすぐ後ろに近づいていた事も、彼がそのことに気づいていなかった事も最初からすべて知った上であの行動を取ったのだと。


そしてたった今、この狂暴女しずかにわざとそれがバレるように会話を仕向けた事も全部、気づいてしまった。


郷子はその綺麗な顔に悪戯っぽい笑いを浮かべて小悪魔のように微笑んでいる。もし蛇が微笑むことがあったとすればならばきっとこんな顔だろうという気がした。

一方では唇をへの字に結んだ志津果が拳を固く握りしめてこちらに向かって来ていた。


それを見た玄狼は拳を握った右手をすっと上にあげると人差し指だけを天に向けて突き出した。

その奇妙な行動に二人が首を傾げた次の瞬間、轟っ! という風鳴りと共に凄まじい風が下から上へと吹き上がった。

ほとんど垂直に吹き上がったその猛風は彼女達のスカートを体に張り付くほどに捲り上げた。



「「きゃあ、いやぁぁぁぁー!」」



手でスカートを抑えて座り込もうとする彼女達を濃密な青いベールが包み込む。途端に二人は下着だけの下半身を丸晒しになったまま蜂蜜の中に落ち込んだ蟻のように身動きが取れなくなった。


玄狼は彼女達の真上にある大量の空気を斥力能で一挙に取り除き猛烈な上昇気流を極めて局所的に発生させた。

そしてその後で二人の周囲ぎりぎりの無動領域アキネシスゾーンを発現したのだ。


二人とも動物の絵柄がプリントされた白とピンクの可愛らしい下着だった。志津果は帰る前に黒のスパッツを脱いでいたらしかった。

その光景をしっかりと眼に焼き付けて彼は拳から突き出した人差し指で二人をそれぞれに指差して言った。



「教育的指導完了!」



そして薄闇の先に見える自分の神社いえの方にすたすたと歩いて帰っていった。

 

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