瀬戸内少年鵺弓譚

ダークライト

小学生編

転入生の少女

仄暗い影の中から

さらさらと吹く風に海沿いの砂浜を覆い咲く浜昼顔が踊るように揺れている。五月の初めに海を渡って来るそれは未だ肌身を刺すほどに冷たい。


ここは瀬戸内海に浮かぶ群島の一つ、奥城島と呼ばれる島である。時刻は朝の八時少し前で場所は島の南西側に当たる海岸のすぐそばであった。


波打ち際から三十メートルほど続く砂浜の向こうを横切る灰白色の粗いコンクリートで固められた道を三つの影が歩いていた。

どうやら男の子二人と女の子一人の道行であるようだ。身体つきや背の高さから見て小学生の高学年らしきことがわかる。



「なぁ、今日から転校生が来るんやろ? 連休前に先生がそう言うとったやんか。」



先頭を歩いていた男の子が後ろを振り向いてそう言った。肉付きの良いポッチャリした身体つきの少年である。髪の毛は短く刈り込まれていて所謂、坊主頭だ。

ぷっくりとした頬にクリッとした丸い眼がまだ声変わり前の高い声と相まって微笑ましい可愛いらしさがあった。



「ああ、高田のおばはんが連休前にそなんこと言うとったな。もう後一年足らずで卒業やのになんでやろな?

どうせ中学生になったら本土の中学校に行くことになるんやけんこの時期にわざわざ島外から来んでもええと思うんやがの。

まぁ、大人しい奴やったらええけんどな。都会ぶったクソ生意気な奴やったらぶっ飛ばしちゃるわ。」



そう答えたのは一重瞼の利かん気そうな眼をした坊主頭の少年であった。小学生にしては大柄な百六十cmを超える身長と陽に焼けた褐色の肌が子供ながら精悍な雰囲気を見せ始めている。後一、二年もすれば第二次性徴が顕著に現れてきてちょっとした男振りになる事だろう。



「賢太! あんたなぁ ちょっとアホと違うん? 未だ男子か女子かもわからんのになんでぶっ飛ばしたり出来るんな。 

腕力しか能が無いからそなんこと考えるんやな。」



少女が大柄な少年に冷ややかに言い放った。背はあまり高くないが色白で丸顔の愛らしい目鼻立ちをした少女であった。


襟首まで届くか届かぬかの長さでフワッと丸みを帯びたアウトラインを持ったショートボブの髪型が良く似合っている。身体つきは肉付きが良くふくよかなほうだ。


決して太っているというわけではないが青いハーフパンツの下でみっちりと張り詰めた腰回りと白い体操着の胸の部分を押し上げかけた双丘は既に女性としての象徴を充分に主張し始めていた。



「うるさいわ、 亜香梨あかり! 

今度来るんがもし女子やったらお前の顔のけっこさ(綺麗さ)が六年生の女子で三番目になるだけの事じゃ。

まぁ、高田のおばはんが居るけん辛うじて四番目は免れとるけんどの。

とにかくお前はそのデカいケツと胸を早よなんとかせいや。」



亜香梨あかりと呼ばれた少女はそのふっくらした白い頬っぺたをプゥッと膨らませると賢太と呼ばれた少年に言い返した。



「それセクハラ! それにあんた、高田先生の事をおばはんやの言うとるけんど 先生未だ二十九やけん。賢太がおばはんや言よったって今度、先生に言うとってやるわ!」


「ハンッ! 言うたらええがい! アラサーのおなごやかし皆おばはんじゃ!」

 (ハンッ! 言ったらいいさ! アラサーの女なんて皆おばさんだよ!)



言い合い、睨み合う二人の間に先程のポッチャリとした少年が左右に伸ばした手掌てのひらを双方に向けてまぁまぁといった風に割って入った。



「二人共、もうそこでやめとこや。早よ行かんかったら朝礼に遅れるがな。かてどしたんか思て待っとるやろきん。」

            (どうしたのかなと思って待っているだろうから)

             


という言葉を聞いた途端、二人は気まずそうな顔になると睨み合うのをやめた。



「チェッ 玄狼くろうの奴はおとなしいきんかまんけど(おとなしいからかまわないが)志津果しずかの奴はうるさいけんの、しょうないわ。」


志津果しずかはそんなん分ってくれるやろけど玄狼くろう君を待たせたら可哀相やしな・・は、早よ行かないかんわ・・・」



浅黒い大柄な少年と丸顔の色白な少女は止めに入ったポッチャリした少年を追い越して急ぎ足でズンズンと先に進んで行く。

捨て置かれた形になった少年は慌てて二人の後を追いかけた。



「ちょっ、ちょっと待てくれや! 喧嘩を止めてやった俺がなんでほっとかれないかんのい! おい、なぁ、賢太 ちょっと待てって言うとるやろが・・・」


「うるさいのう。朝礼に遅れたらいかんけん急げ言うたんはお前やろが、団児ダンゴ

何グズグズしとんや、ほっとくぞ!」



蒼い空と碧い海が溶け合う様に滲んで見える水平線を横目で見ながら三つの影は浜昼顔の群生の中の道を転がるように進んでいった。



― ― ― ― ― ― ― ― ―



その頃、田尾たお 志津果しずかは島の東側に当たる海岸沿いの道を急ぎ足で歩いていた。先を行っている筈の水上 玄狼くろうは未だ見えない。


いつもなら二人で並んで歩く道だが明日の朝は先に行くからと昨日、玄狼くろうに告げられていた。


何でも今日やって来る転校生を小学校まで案内しなければならないらしい。事前説明の時間が必要なので十五分程早めに連れてくるように先生に頼まれたのだと少年くろうは言っていた。


そこで彼女しずかもそれに合わせて家を出るつもりでいたのだがうっかり寝過ごしてしまったのである。

慌てて準備をして家を出たがいつもの待ち合わせ場所である鳥居の前に玄狼の姿はなかった。急いで後を追いかけて来たのだがくろうの姿を未だ見つけられずにいる。


沖の方から寄せて来るさざ波と共にさらさらと吹いてくる肌寒い風が彼女の程良く日に焼けた薄い小麦色の頬をなぶる様に吹き抜けていく。


しかし耳の上部にどうにか触れる程の短さにまで切られた男の子を思わせるようなベリーショ-トの黒髪は殆ど乱れない。

やや目尻の吊り上がった切れ長の眼が道の前方を睨むように真直ぐ見ていた。


年頃の少女が持つ繊細な柔らかさの中に少年のような蒼い堅さが残る身体つきをしている。

顔立ちも中性的で、細いながらも黒々とした眉毛とすっきり通った高い鼻筋、硬く引き締まった薄桃色の細い唇が少女らしい可憐さと少年のような凛々しさを感じさせた。


志津果は薄く日に焼けた細面の頬をプゥッとふくらませると怒ったように呟いた。



お供の犬くろうは主人である桃太郎うちのそばにおらんといかんのとちがうん? 全くもう!」



― ― ― ― ― ― ― ― ―



左手に砂浜、右手には松の木が立ち並ぶ道を一人の少年が歩いている。身長は百五十cm少々と言ったところだろうか。

この時期の小学六年生としてはやや高い方と言えるだろう。ほっそりとした体は未だ子供らしい幼気いたいけさを残している。


少年は体操服とハーフパンツからスラリと伸びた白く華奢な手足を大きく振りながら歩いている。彼が足を進める度に首筋近くで切り揃えられた艶やかな黒髪が躍る様に跳ねた。


女の子のショートカット程に伸びた前髪を無造作に掻きあげながら少年は前に向かって歩き続ける。

海風に吹き上げられた黒髪の下から女の子と見紛う様な白く優美な顔立ちが露わになった。


くっきりとした二重瞼の大きな眼と長い睫毛、柔らかな曲線を描きながら高く伸びた鼻筋、綻びかけた桜の花びらを思わせるぷっくりとした形の良い唇が少女と少年のどちらとも判然としない無垢な美しさを湛えている。


その少年は水上みなかみ 玄狼くろうだった。玄狼は道の先を何かを探すかの様にじっと見つめていた。

暫くして彼はふぅーっと息を吐きだすと独り言ちた。



「おっかしいなぁー。高田先生の話だとこの辺で待ってなきゃいけないはずなんだけどなー。 何処へ行ったんかな? 転入生。」



ゴールデンウイーク明けの初日に転入生が来る、だからその子を学校まで連れてきてあげて欲しい、 玄狼が担任の高田先生からそう言われたのは連休が始まる前日の事だった。



「その子、 玄狼君と登校ルートが同じなんよ。ほんだきん、学校まで一緒に連れてきてあげてくれん?(だから、学校まで一緒に連れてきてあげてくれる?)」


「ええけど何で僕なん? 田尾さんでもかまんのと違うん?」


志津果しずかちゃんなぁ・・あの娘、寝坊による遅刻の常習犯やからなー。

誰も来てくれへんから初日から遅刻しましたなんてことになったらその子も辛いやろきんな―。」


「ああ、なるほど・・わかりました。ほんだら(それなら)僕が連れて来ます。」


「ほんま! イヤー有難う! 先生助かるわー。あ、それで授業が始まる前に転入生には事前説明せないかん事がなんぼかあるきん・・・そやな、いつもより十五分ほど早めに学校来てくれる? その子連れて。」


「はぁ、ええですけどその子何処に行けばおるんですか? 待っとるとこって何処?」


「ああ、ごめん。それ言うん忘れとったな。えーと、いつも玄狼君が通って来る海沿いの道があるやろ。亜香梨あかりちゃん達と合流する前の道。あの道の途中の何処かで待っとるからと言う話やけんな。

途中で見たことの無い小学生が居ったらその子やきん!」


「ふぅーん、わかりました・・・で、どんな子なん? 男子、女子どっち? 名前は何言うん?」



すると高田先生はニヤッと悪戯っぽい笑いを浮かべて言った。



「それは会うてからのお楽しみ!ちゅう事にしとこ。その方が玄狼君やったって面白いやろ。

こんな辺鄙な島の小学校に転入する子なんて他におらへんきん人間違ひとまちがいする事もないやろしな。

ほんだら(それでは)、玄狼君、宜しく頼むわな。」



そなんええ加減な事でかまんのやろかと高田先生に対して淡い不信感を覚えながら玄狼は仕方なくその役目を引き受けたのだった。


ところがその転入生がどうにも見当たらない。このままいけば亜香梨あかり達との合流地点に着いてしまう。

右手に立つ大きな松の木影に眼を凝らしてみたがそこにはただ仄暗い空間が在るばかりで誰も居なかった。玄狼はそこでふと思った。


『ひょっとして転入生は島の西側、亜香梨や賢太や団児の通う海岸沿いの道で待っているんじゃないのか? 

他所から来たばかりの人間に島の西側と東側の区別は分りにくいかもしれない。

もしそうだったならどうしようもないぞ。

賢太達が運よく気付いて転入生を連れて来てくれればいいけど・・・』


彼がそう考えて困惑した気持ちになった時であった。


突然、彼の眼の前にスゥーッと伸びて来た物があった。それは白くて長い女性の手だった。その手は何もなかった筈の仄暗い木陰の中から伸びて来ていた。


玄狼はギョッとしたように後ろに跳び退った。既に白い手は肘から肩へとその姿を現わしていた。

やがてそれは煌々と輝く白い満月が黒く分厚い雲の緞帳を押し開いたかの如くゆっくりとしかし止まることなく全身を現わした。


仄暗い影の中から五月の朝の白い日差しの中に現れたのは薄青色ペールブルーの半袖ワンピースを纏い長い漆黒の髪をポニーテールにした背の高い少女であった。

髪と同じ漆黒の瞳が滑らかな象牙色の顔肌に美しく映えていた。


少女は何も言わず玄狼をその澄んだ黒い瞳で見詰めた。細筆で精緻に描かれた二重曲線のような二重瞼と大きな巴旦杏アーモンド型の眼が透き通った視線を静かに投げかけている。

やがて彼女は僅かに眼を細めながら口元をほんの少し緩ませて微笑んだ。

そして少女らしからぬメゾソプラノの落ち着いた声で訊ねた。



「貴方が水上みなかみ 玄狼くろうさん?」



玄狼は驚いたような声で応えた。



「もしかして君が転入生? で、今のはまさか・・・影羽織?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る