11 ブランク
「アンタ、そんな
「え?」
背後からの声に反応して振り返る。駐輪場の方から歩いてきたのは、休日なのに九高の夏服を着た小柄な女子生徒だった。
「御波……? どうして、ここに?」
「豊音先輩に実際のプレーを見てみたいって言ったら今日の練習に誘われたのよ。だから、新聞部の取材って扱いで見学させてもらう事になったの」
ふんわりとしたショートカットの少女は、ジリジリとアスファルトを
「で、なんで突っ立ったままなの? 豊音先輩に聞いたけど、アンタ復帰したんでしょ?」
「そうだけど……」
「だったら私と一緒に行きましょうよ、ちょうど案内役が欲しかったところだし」
隣で立ち止まった御波に期待を込めた目で見上げられる。陽明は顔を伏せながら、
「……冷静に考えてくれ、一年振りの練習なんだぞ。正直かなり気まずい。逃げ回ってた罪悪感もあるし、久しぶりに会う知り合いに何て思われるかも分かんないだろ。今だって家に帰りたいって願望を必死に押し殺してるんだぞ」
「相変わらずネガティブねぇ」
腰に手を当てた御波は、呆れ顔になって、
「どうせ行くんだから迷うだけ無駄じゃない。そんな場所にいても暑いだけだし」
「まあ、そうなんだけどさ」
「なら、帰るの?」
「……いや」
首を、横に振る。
深呼吸で迷いを吐き出してから、陽明は前を向いた。
「空を見上げる事しかできない絶望は、もう味わいたくないから」
一歩。
踏み出す。
アスファルトのゴツゴツとした感触が運動靴を通して跳ね返ってくる。一度歩き出してしまえばもう大丈夫だった。胸の奥から溢れ出した熱い奔流が総身に行き渡り、足を縛っていた冷たい鎖を溶かしていく。
帰ってきた。
ようやく、そう実感する。
律儀に待っていてくれた御波と一緒に空調の効いたロビーへと足を踏み入れる。剥き出しのコンクリート壁や高い天井に二人の足音が反響していた。
「それはそうと、御波が制服を着てきてくれてよかったよ」
「新聞部の取材だって説明しやすいから?」
「それもあるけど……ほら、練習にはかなり歳下の子どもも来るから。制服を着てないと中学生、いや小学生の連中が同い年だって勘違いし
「うっさい、馬鹿!!」
つん、と。
幼児体型の少女は顎を反らしてそっぽを向いた。
× × ×
練習が始まった。
参加しているのは小学生から大学生までの男女約三十人だ。
二つの班に分かれており、年齢層の低いグループは水面付近でおっかなびっくり浮かんだり、ゆっくり動いたりしている。対して年齢層の高いグループは数人一組を作り、水面から十メートル上空を横一列になって飛んでいた。編隊を組んで飛行する様子はまさしく渡り鳥だ。
そんな様子を、御波はプラスチック製のベンチに座って眺めていた。
服を着たままプールサイドに居る事が新鮮で、実は内心かなりワクワクしていたりする。視線の先には年齢層の高いグループに混じって楽しそうに空を飛ぶ陽明の姿があった。
「(……アイツ、意外と人徳があるのよねぇ)」
練習前は相当緊張していたようだが、気が付けばすんなりと集団に溶け込んでいた。
「御波ちゃん、今日は来てくれてありがとう」
裸足になった足裏が少し冷えてきた頃、ピンクのスポーツジャージを着た豊音が近づいてくる。
「いえいえ、豊音先輩。こちらこそ、色々と便宜を図っていただき助かりました」
「どういたしまして」
記録用のタブレットを片手で抱えたまま隣に腰を下ろす。
大人びた容姿をしているとは言え、実際は一つ歳上の高校二年生。部活のマネージャーにしか見えない先輩が、協会から正式に派遣された
九高の生徒会副会長をしている姿を見た時から思っていたが、見た目以上に内面が円熟している気がする。同年代ではなく大人達と仕事をしてきた経験が要因なのかもしれない。実は大学生ですと言われても簡単に信じてしまえそうだった。
「御波ちゃん、エバジェリーの試合は見た事ある?」
「テレビ中継とか動画サイトに上がってる大会映像なら。でも、生で見るのは初めてです」
「だったら、これに触るのも初めてかな」
豊音が手渡してきたのは、日本刀を模したデザインの白い棒だった。
「これは?」
「ラバーソード。エバジェリーで相手を攻撃する為の武器だよ」
思ったよりもズッシリした手応えがある。ゴム製の芯をビート板みたいな発泡素材で覆っているのだろうか。剣道の竹刀と同じくらいの長さであり、片手では少し振りにくい。思いっ切りプールサイドに叩き付ければ遠心力を蓄えて気持ちのいい音を響かせそうだ。
「それは練習用だからデザインが簡素だけど、試合用は個性があって面白いよ。かなり凝った装飾をしてくる選手もいるし」
「へぇ、これなら叩かれてもあんまり痛くなさそうですね」
プール上空では横一列になって飛んでいた選手が体に捻りを加えて始めていた。ライフル弾みたいにゆっくり回転しながら進んでいる。
「今は、何をしてるんですか?」
「飛行中に正しい姿勢を維持するトレーニングだよ。姿勢が崩れちゃうと余分な力が掛かって体力を削るし、速度を出した時に変な方向に曲がっちゃうからね。イメージとしてはやっぱり水泳が近いかな」
「じゃあ、あの回転してるのは?」
「
金属バットの先端を地面に付けて体を回転させる罰ゲームを思い出した。地上でも真っ直ぐ歩けなくなって危険なのに、それが空中で起きると思うとぞっとする。
「……落ちたりは、しないんですか?」
「意識がなくならない限りはね。補助輪なしで自転車に乗れるようになったら、滅多な事がない限りバランスを崩さないのと同じで。そもそもだけど、御波ちゃんはどうしてエバジェリーで人が生身のまま空を飛べるか知ってる?」
首を横に振ると、豊音は脳内を整理するように視線を上向けてから話し始めた。
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