34 辿り着いた答え

 9月19(日)


 時刻は午後二時過ぎ。

 九天大学のプールはえんじょうはるあきかわはくによる特別試合エキシビションマッチの観客で賑わっていた。


 一年ぶりに姿を現した昨年のジュニア王者と、エキスパート部門最年少ながら今年の全国ベスト四に輝いた強豪による一戦。元々期待が高かった上に、そこに炎上騒動という要素も加わった結果、非常に世間の注目を集める事になったのだ。


「すごい人ね、もう公式戦と変わらないじゃない」


 御波はドリンクを買い求める人の列を眺めながら呟く。さながら夏祭りで盛り上がる境内。ロビーは空調が効いているはずなのに人混みや熱気でかえりそうになった。こんな時ばかりは自分の小さな背丈が恨めしい。

 ロビーにはテレビカメラも入っていて、試合前の興奮を写し撮っている。地上波での中継はない為、夜のスポーツニュースなどで流すのだろう。SNSでもエバジェリーがトレンド入りしており、試合開始が近づくにつれて更に熱気が高まっているように感じた。


 スタッフ用の黒いポロシャツを着た協会職員からネームプレートを貰って首から下げる。そのままの足で選手控室へと向かった。


「陽明、入るわよ」


 ノックをしてから扉を開ける。


 芸能人がテレビ局で使う楽屋といった趣の部屋だった。

 右側の壁は鏡貼りになっており、化粧用の長い台が設えられていた。反対側に置かれているのは打ち合わせ用のテーブルやハンガーラック。奥の大型ディスプレイには定額制の動画配信サービスで生放送中の『マンスリー・エバジェリー』が映っている。


「よ、御波」


 椅子に座ってマンエバを眺めていた陽明が軽く手を挙げた。


「なんだ、意外と元気そうじゃない。てっきり緊張でガチガチになってるって思ってたわ」

「虚勢を張ってるだけさ。内心はかなりビビってる」

「上出来じゃない? 少なくとも月曜日より遥かにマシね。で、それがユニフォーム?」

「ああ、着るのは去年の大会振りだな」


 陸上選手みたいな格好だった。

 赤い生地に黒い模様の入った襟無しシャツに、太腿が露出するショートパンツ。ここ二週間の筋トレの成果が出ているのか、裾から伸びる大腿筋や腕周りは隆々としていた。

 学校で出会う眠そうな猫背の少年とは印象が掛け離れており、正直意外な気持ちで胸が一杯になる。


「てか、そう言う御波はどうして日曜日まで制服を着てんの?」

「アンタに私服を見せたくないからよ」

「なるほど、自信がないんだな」

「チアリーダーのコスプレを要求してくるアンタより百倍マシよ!」


 キッと睨み付けながら、陽明の正面へと移動する。


「制服を着てるのは今が新聞部の活動中だから。課外活動の一環って名目で関係者用のネームプレートを貰ったの」

「わざわざご苦労なこって」

「そうでもないわよ、半分くらいは試合を見たかったって理由もあるし」

「そうかそうか、遂に御波は俺のファンになったのか。あ、サインしてやろうか?」

「いや、いらんし。調子に乗らないの」


 陽明の冗談を適当に付き合いながら、部屋の奥にあるテレビに目をやる。

 垂れ流しになっているマンエバでは、視聴者からの質問に選手やゲストの有名人が答える恒例コーナーが放送されていた。VTR映像のテロップやカメラワークを見る限りでは、民放のバラエティ番組とあまり遜色がない。それだけ番組に力を入れているという事だろう。


 御波は鞄の中から小さな紙包みを取り出すと、陽明へと差し出した。


「はい、これ。アンタにあげるわ」

「え、なに、急にどうした?」

「いいから、さっさと受け取りなさいよ」


 怪訝そうな表情になった馬鹿に無理やり押し付ける。陽明は爆発物でも警戒するような様子で包みの口を開けた。


「……これは!」


 中に入っていた物を取り出した瞬間、目の色を変えて顔を上げる。


「御守り、だよな?」

「必勝祈願のね。アンタの為に買ってきてあげたの」


 御波は得意げに胸を張ると、目許を柔らかく和ませた。


「今日の試合、絶対に負けられないんでしょ? 豊音先輩から事情は聞いてる。だから少しでもアンタの力になればと思ってね。何だかんだ言ってずっと取材に付き合わせてきたから、そのお礼も兼ねてね」

「ありがとう御波! お前、実はいい奴だったんだな」

「アンタ、今まで私にどんなイメージを抱いていたのよ……」

「できれば恥じらい成分を大目にして渡し直してくれない? それかツンデレっぽい口調で」

「イヤよ、気色悪い! そう言うのは豊音先輩にお願いしなさい」

「えー、ケチィ」


 文句を言いながらも、陽明は嬉しそうに御守りを見詰めていた。想像以上に喜んでくれて、何だかこっちまで心が温かくなってくる。


「期待してるからね、陽明。ここまで取材してきたんだし、最後はアンタの勝利を記事にするって決めてるんだから。負けたら承知しないわよ」

「おう、任せとけ。せっかく応援に来てくれたんだ、どうせなら格好良い姿を見せてやる」

「へぇ」


 思わず、感心したような声が漏れてしまった。


「アンタ変わったわね、前までは捻くれたネガティブ思考だったのに」

「豊音に迷いを取っ払ってもらったからな。お陰で後ろを振り返らなくてもよくなったんだ」


 陽明は爽やかな笑みを浮かべる。雲一つない青空にも似た清々しい表情だった。


「俺はこの一年間、ずっと逃げ続けてきた。エバジェリーからも、自分の気持ちからも。でも、その先には何にも無いって知った。ただ苦しいだけで、欲しい物は何も手に入らない。もう空を見上げるだけの地獄に戻るつもりはないよ。それにさ」


 瞳に鋭い輝きを宿すと、ぎゅっと右手で御守りを握り締める。


「本気で手に入れたいと思ったモノが、何かを失う恐怖にって、一歩を踏み出した先にしかないんだとすれば、どんな道のりが待っていようと進むしかないから」


 芯のある声だった。

 きっと陽明が立っている場所は、苦しんで、悩んで、それでも逃げずに歩き続けたからこそ辿り着いた境地なのだ。決して折れそうにない言葉を支えるのは、葛藤を乗り越えたという自信。完全に以前までのえんじょうはるあきとは別人だった。


「ねぇ陽明。この試合、勝てそう?」

「愚問だな」


 口許に鋭い笑みを刻み込んだ陽明が、自信に満ちた口調で告げる。


「勝つよ、絶対に」

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