29 焦燥
9月13日(月)
昼休み。
陽明はいつも通りクラスの友人達と弁当を食べていた。
「
「……なにが?」
「いやだって、最近ずっと心ここにあらずって感じだし」
爽やか系好青年こと真人が、弁当箱を持ったまま心配そうな眼差しを向けてきた。
「何かあったの?」
「別に、何もないよ」
「なら、さっさとその卵焼きを食っちまえよ。いつまで箸で持ったままぼーっとしてるつもり?」
言われてから気が付いた。どうやら長い時間こうして固まっていたらしい。
「しっかりしろって。そんなんじゃ、また数学の小テストに落ちて恥を掻く事になるぞ」
「あれは、お前に見せてもらった宿題の解答が間違ってたのが悪いんだろうが」
「宿題をやってこない上に、俺に答えを聞いたお前が悪い」
ケタケタと愉快そうに笑うと、腹黒同級生は一緒に弁当を食べている友人の会話に混ざっていった。陽明は卵焼きを口に放り込み、一人で短く息を吐き出す。
「(珀穂との試合まで、あと六日か)」
そう思った途端、内臓が重たくなって食欲が失せていった。
状況は先週から何も好転していない。
豊音から指示された基礎トレーニングも、慎也との秘密特訓も毎日欠かさず行っている。ある程度はかつての感覚を取り戻してきたのだが、それでも圧倒的な実力差のある
日曜日の試合に負ければ、
そう考えるだけで焦燥感が胸の奥に溜まっていった。何をしていても心が落ち着かない。
「そう言えばさ」
しばらくして。
弁当を食べ終えた真人が、声を大きくして陽明を会話に混ぜてきた。
「二年に篠竹先輩っているだろ? ほら、生徒会の副会長やってる美人な先輩。バスケ部の先輩が話してたんだけどさ、なんか篠竹先輩ってエバジェリーの有名人らしいぞ」
「え?」
思わず、声が出た。
その単語は、この場で出てくるはずがないと思っていた物だから。ぞわぞわぞわっ!! と得体の知れない悪寒が足裏から全身を駆け上がる。
「有料放送の番組とかにも出てるみたいで、結構ファンとかもいるらしい。んで、その篠竹先輩がエバジェリー関連の揉め事に巻き込まれてるんだってさ。まとめサイトとかネットの記事を見て色々と調べてたんだけど、その途中で面白い動画を見つけたんだよね」
バスケ部に所属する爽やか系好青年は、スマホで一つの動画を再生した。
タイトルは『エバジェリー全国大会、ジュニア王者が一人だけチート過ぎる』。
「この動画に映ってるのって、
× × ×
「ねぇ」
「……、」
「ちょっと、ねぇってば!」
何度呼び掛けても反応がなかったので、御波は一気に距離を詰めて陽明の腕を掴んだ。
放課後の中庭は、校舎の長い陰に沈んでいる。
まだ時間が早くて空は青さを残しているが、もこもことした綿雲は西に傾きつつある陽光で輪郭を濃くしていた。部活や委員会に向かう生徒の通り道になっている為、周囲は開放感のある喧噪に包まれている。そんな中だからか、どんよりとした陽明は非常に浮いて見えた。
「御波……?」
足を止めた陽明は気怠げに振り返る。
だらしなく跳ねた髪の毛に、午後の授業を全部寝ていたのではないかと疑いたくなるほど覇気のない表情。姿勢の悪さも相まって、御波には今にも倒れそうな病人にしか見えなかった。
「悪い、ぼーっとしてた。何か用か?」
「特に用があった訳じゃないんだけど、新聞部に行く途中でゾンビみたいに歩いてるアンタを見かけたから声を掛けてあげたのよ」
「まさか心配してくれたのか? そんなに御波の好感度を上げてたっけ?」
「安心しなさい、限りなくゼロに近いままだから」
「えー、そこは少しの優しさをだな」
「だったら私の評価を上げようとしなさいよ」
冷たい視線を浴びせてやったが、いつも能天気な馬鹿の反応は弱かった。言葉と表情が連動していないし、薄い眼差しは虚空を
「……アンタ、本当に大丈夫なの?」
「まあ、何とかな」
割と真剣なトーンで問い掛けると、顔色の悪い少年は力なく答えた。
「体調的には問題ないんだ、筋肉痛とか疲労で肉体はガタガタだけど。ただ
「豊音先輩に聞いたけど、かなり大事になっているみたいね」
先週の水曜日、協会は
豊音へ
今はまだ『正確な情報を調査中』とのみ回答しており、正式な声明は
「今日だって昼休みにいきなりクラスの連中からエバジェリーの話題を振られてビビったよ。今まで全く興味なんかなかったくせに」
「ネットニュースとかSNSのまとめサイトだと、アンタの実名が思いっ切り公表されてたわよ。ジュニア時代の活躍も一緒にね。学校中に噂が広まるのも時間の問題って気がするわ」
「マジで……俺、怖くて全く調べられてないんだけど」
「マスコミがアンタとか豊音先輩を狙って取材に来たりしないの?」
「そう言うのは、まだないな。多分、協会が断ってくれてるんだろうけど……」
ジクリ、と脳の記憶を司る部分が疼いた。
大量に浴びせられたカメラのフラッシュを思い出して口の中に苦い味が広がる。
「で、肝心のアンタはどうなの? 勝てそう?」
「……いやー、どうだろう」
「ハッキリしない返事ね。試合って日曜日でしょ? あともう六日しかないじゃない!」
「だよなぁ、ヤバいよなぁ」
はあぁ……、と陽明は喉の奥から息の塊を吐き出す。まるで凶悪な取り立てで心身共に参った多重債務者だ。
「陽明」
御波は一歩踏み込むと、バシン!! と腰の回転を利かせて勢いよく陽明の背中を叩いた。
「へ?」
「しっかりしなさい! そんな顔してたら勝てる試合も勝てなくなるわよ!」
腰に手を当てると、少しだけ表情を柔らかくして、
「悩むのも不安になるのも仕方ないじゃない、それだけ本気って証拠なんだから。むしろ安心したくらいよ。あまりの実力差に諦めてるんじゃなくて」
「俺、本気になれてるのか……?」
「当然でしょ? じゃなきゃそんなに苦しい想いはしてないはずよ」
「そっか、御波に言われると自信が出てくるな」
小さく呟くと、陽明は通学鞄とスポーツバックを肩に掛け直した。
「頑張ってね陽明、当日は応援しに行ってあげるから」
「チアリーダーの格好だとやる気が出るなぁ」
「くたばれ、この変態っ」
「御波の罵声はキレが良くて癖になりそうだよ」
軽く手を振りながら駐輪場へと去って行く。しかし、その足取りは危ういままだった。
「アイツ、本当に大丈夫なのかしら……?」
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