27 蒼穹の魔術師

 陽明は慎也が保管庫から持ち出してきた固有型ユニークタイプPACEをうなじに装着してスイッチを入れた。後光輪ヘイローで重力を中和し、プールサイドを蹴って跳び上がる。識力シンシアを炸裂させて上空三メートルの位置へと移動し、十メートルの距離を開けて慎也と対峙した。


「(第四階位レベル4、か……)」


 師匠の体からもやとなって溢れ出すのはアップルグリーンの識力シンシアだ。

 階位レベルの差とは、レース用のスポーツカーで喩えるなら最高速度の違いとなる。直線コースではマシン性能スペックが如実に表れるのと同じで、単純な識力シンシアの量や密度の勝負になれば第五階位レベル5の陽明に軍配が上がる。


 だが、そんな分かりやすい結末にはならないだろう。

 相手は『そうきゅうじゅつ』――しんなのだから。


「さて、僕の実力を試したいんだったかな?」


 右手で練習用の白いラバーソードを持った慎也は、だらりと体から力を抜く。


「だったら一つ予言をしてあげよう――僕は今から君に一撃を決めてみせる。だから、その動きで判断して欲しい」

「……随分と強気な予言ですね」

「弟子に舐められっ放しというのも具合が悪いから、改めて力の差を刻み込んであげようと思ってね」

「うわー大人げねぇ、本気だよこの人」


 ラバーソードを正眼に構えた陽明は思わず頬を引き攣らせた。不敵な笑みを浮べる長身痩躯の優男と対峙しているだけで喉が渇いていく。


「それじゃ、行くよ」


 脱力した姿勢の慎也から、淡い緑色の輝きが溢れ出す。


 気が付いたら。

 目と鼻の先に肉薄されていた。


「ッッッ!?」


 時間が消し飛んだと錯覚する異常な現象。だが、元ジュニア王者の体は反応する。莫大な衝撃に見舞われながらも識力シンシア制御でそらを蹴り、剣道のを狙うような挙動でラバーソードを放った。


 手応えは、なかった。

 大気にき付いた識力シンシアの残像を斬ったと認識した直後、背後からビート板に似た発泡素材が首筋に添えられる。攪拌された空気が思い出したように前髪を揺らした。


「背面への攻撃で二点、だね」


 後頭部の辺りから聞こえる澄まし声に対し、両手を挙げた陽明は白旗の代わりにラバーソードを横に振る。


「参りました、俺の負けです。まさか無形ファントムまで使ってくるとは思いませんでしたよ」


 宙曲技マニューバとは識力シンシアを使って発動する物理法則を無視した空中挙動アクロバットや超常現象だ。とは言え、真正面から学校教育に喧嘩を売っている訳ではない。


 例えば、予備動作。

 いくら識力シンシア制御で加速できると言っても、直立した状態から動き出す選手はいないだろう。急発進スクランブルを発動する時のように体を前に倒して重心を移動させたり、地面を蹴るように足裏に力を入れたり、何らかの予兆があって然るべきなのだ。


 しんはそんな当たり前を否定する。識力シンシアの圧縮と解放による推進力を極限まで効率良く利用し、予備動作なしでの移動を可能にしたのだ。

 まるで水平方向へ落下するみたいな現象。自然界に始めから『そのような物理法則』が存在していたと誤認させるほど滑らかな挙動は、対戦相手に瞬間移動すら錯覚させる。


 脱力した状態から繰り出される予測不能ノーモーションの超高速移動。

 それが、無形ファントム


 そうきゅうじゅつが創り上げた切り札で、後に代名詞にもなった最高峰の宙曲技マニューバだ。


「よく反応したね、流石は僕の弟子だ。でも、本音を言えば無形ファントムに反応されるとは思ってなかったよ。識力シンシア制御の甘さか、僅かに生じた体への変化を見逃さなかったんだろう。やはり僕は衰えた、現役時代の完成度からは程遠い」

「よく言いますよ、今でも十分に最前線で通用するんじゃないですか?」

「買い被りさ、今の僕にそこまでの力はないよ」


 陽明が識力シンシア制御で体の向きを変えると、背後の怪物は苦笑いを浮べていた。


「だけど、そんな僕の攻撃を防げなかった。あの一瞬で二点も奪われたんだ。これが試合なら致命的な失点。今のままじゃ珀穂君の相手は厳しいだろうね。識力シンシア制御に長けていて僕の戦い方スタイルを真似している彼なら、もっと完成度の高い無形ファントム宙曲技マニューバを使ってくるんだから」


そうきゅうじゅつ』と『てんじゅつ』。

 慎也と珀穂の二つ名で『魔術師』が共通しているのは何も偶然ではない。二人の師弟関係や戦い方スタイルの類似性を知っていた協会が意図的に仕組んだのだ。聞いた話によれば、少年マンガ好きな会長が「そっちの方が盛り上がる」という理由で強権を発動したらしい。


「何よりも、珀穂君はハルと同じ第五階位レベル5なんだ。裏象タナトスを使える事を踏まえれば完全なる僕の上位互換。僕に負けているようじゃ、本番で珀穂君に勝てないと思った方がいい」


 刀身が氷の日本刀に変化したラバーソードと、骨の髄まで凍て付く凶悪な冷気。

 脳裏を過ったのは、先週の練習試合でてんじゅつが見せた本気の一端。


「今回の特訓における目的は二つ。一つ目は珀穂君の仮想敵である僕に勝利する事、二つ目は使えなくなっている裏象タナトスを取り戻す事だ」

「……あー、バレてました?」

「全盛期とは識力シンシアの輝きが違ったからね、すぐに気が付いた。ブランクのせいで感覚が衰えていて、なおかつ識力シンシア制御で劣る君が珀穂君に勝つ為には、裏象タナトスの性能を限界まで引き出す事が絶対条件。逆に言えば、裏象タナトスを使った戦いでしか勝機は見出せないだろう」 


 裏象タナトスの解放には、宙曲技マニューバとは比較にならない程に莫大な識力シンシアを消費する。それどころか、ただ解放状態を維持するだけでも識力シンシアがゴリゴリ削られる為、肉体と脳には長距離走にも似た負荷を強いる事になるのだ。非常に強力な反面、燃費は最悪と言っていいだろう。


 だからこそ、勝負はお互いが裏象タナトスを解放するであろう中盤から終盤に掛けて。

 珀穂の宙曲技マニューバや速度に翻弄される序盤に可能な限り失点を抑えて、無事に裏象タナトス解放まで繋げられるかが勝利の鍵となる。つまり、裏象タナトスが使えないでは話にならない。


「本番まで、あと二週間足らずか……」

 

 そう声に出した途端、焦燥感で胸が詰まった。慎也に勝つことは不可能ではないだろうが、裏象タナトスについては全く見当も付かない。

 

「今更改めて言う事でもないだろうけど……僕はね、ハルにすごく期待しているんだ」


 かつて三度も空を制した青年は、暗い顔になった弟子を励ますように言った。


「二年前、君は世界で初めて裏象タナトスを発現させた。十五年以上も第四階位レベル4が天井だと信じられていた状況で、その常識を嘲笑うように第五階位レベル5へと進化アセンションを果たしたんだ。君がエバジェリーを次の時代へ進めた事は疑いようもない事実さ」

「でも、あれは偶然の産物で……それに、豊音の力が大きかったんですよ」

「そうだね、ハルの言う通りしのだけとよという優秀な調律師ビショップの存在は大きい。でも、だったら尚更、僕には君達二人が明るい希望に思えてくる。君達二人が秘めているのは時代を創るだけの可能性なんだから」


 長身痩躯な優男はプールサイドで会話を見守る調律師ビショップの少女を一瞥する。


「一つ、予言をしようか。『ぞらあく』が生み出したスポーツ特異点シンギュラリティをぶっ壊すのは、単純な技術や力じゃない『何か』だ。今はまだ、僕にも正解は分からない。だけど、ハルや豊音ちゃんならいつか必ず答えを導き出せるって信じているよ」


 中性的な美貌に少年のような笑みを浮かべると、陽明を真っ直ぐに見詰めた。


「それに、君の復活は珀穂君の望みでもあるんだ」

「珀穂の……?」

「彼にとって君は、絶対に負けたくない相手であり、常に超えるべき壁であった。すぐ隣に同世代最強の選手がいれば意識しないなんて不可能さ。ハルがどう感じようが関係なくね。珀穂君はあまり自分の事を喋らないから、君には伝わっていないだろうけど」


 慎也の言う通りで、記憶を探ってみてもすぐには思い当たる節がない。だけどそう言われても、不思議と悪い気はしなかった。


「さて色々話したけど、僕はこれから二週間、君の復活に全力を捧げる。とは言え、残された時間はあまり多くない。僕には一人でも多くの祓魔師エクソシストを育成するという使命があるんだ」

 

 ラバーソードの切っ先を陽明に突き付けると、凜とした声を一段低くする。


「ハルが腑抜けた結果しか示せないなら、その時は容赦なく見捨てる。君にもそれくらいの覚悟を持って欲しい」

「望む所ですよ。昔みたいに本気で鍛えてください、

「良い返事だ、ハル……いや——」


 湧き上がる興奮を唇の端に湛えると、慎也は熱い闘志を声に乗せた。


「——『えんてんにちりん』。かつて空を支配するとまで言わせたその力、この僕が取り戻してみせよう」

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