03 新聞部の少女

 9月2日(木)

 

「おいハル、お前にお客さんが来てるぞ」


 昼休み。

 弁当を食べ終わって友人と喋っていた陽明は背後から声を掛けられた。


 相手はバスケ部に所属する爽やか系好青年こときのしたまさ。少々腹黒い一面はあるが、馬が合った事もあり高校に入学してから仲良くしている友人の一人だ。言われた通り扉の方を見てみれば、小柄な女子生徒が一人で手持ち無沙汰に立っている。


「誰?」

「六組の女子、小森さん。ハルに話があるんだってさ」

「ふーん」


 何も感じていない風を装ってはいるが、内心ではガッツポーズと共にかいさいを叫んでいた。見ず知らずの女子に呼び出されるなんて勝ち組イベントは、短い高校生活でそう何度も体験できる物ではないからだ。


「何だよハル、告白でもされんのか?」

「まあな、これでもお前と違ってモテるんでね」

「勝手に言ってろ、口だけ野郎」

「友人の幸せを祝福できないなんて心の狭いヤツだなぁ」

「俺を差し置いてハルが一人だけ抜け駆けしようってのが気に食わないの」


 中指を立ててきた真人の煽りを余裕の笑顔で受け流し、スキップでも始めそうな足取りで教室前方の扉へと向かった。


「初めまして、遠城君。私は六組のもりなみよ」


 はつらつとした印象の少女だった。

 着る服によっては小学生と間違えかねない小柄な体躯に、癖毛でふんわりと膨らんだショートカット。勝気な釣り目で輝く瞳は眩しくて、芯の強そうな性格がよく表れている。

 それでも威圧感を与えないのは、整った柴犬顔に残るあどけなさや、人懐っこい物腰が雰囲気を丸くしているからだろう。初対面の異性なのに距離感をほとんど抱かなかった。


「それで小森さん、えーと、俺に何か用?」

「ええ、新聞部の取材をしたくてアポを貰いに来たの」

「取材? 俺にか?」

「ええ」


 御波は頷くと、スマホで動画サイトを見せてきた。

 再生されたのはエバジェリーの試合映像。とある選手の試合を編集で繋げた動画で、投稿日は去年の八月となっている。


「動画のタイトルは『エバジェリー全国大会、ジュニア王者が一人だけチート過ぎる』。コメントも非常に興味深いわよ。『他の選手は涙目』、『エキスパート部門でも余裕で勝てるんじゃね?』、『これで中学三年生とかガチ天才』。すごい、絶賛の嵐じゃない」


 自信に満ちた眼差しを浮べると、犯人を告げる名探偵みたいな口調で言い放った。


「アンタ、有名人だったのね。昨年と一昨年、二年連続エバジェリー全国大会十五歳以下ジュニア部門の優勝者――えんじょうはるあきさん」

「っ」


 心臓が、痛い程に収縮する。

 廊下の端に移動して時間を稼ぎ、ぜんめいが混じりそうになった呼吸を落ち着かせた。


「……よく気付いたな、クラスの連中なんて半年経っても話題にすら挙げなかったのに」

「あら、そうなの?」

「ジュニア部門の選手まで知ってる奴なんて相当コアなファンだけだよ。そりゃ中学から付き合いのある連中は知ってるけど、同じクラスにはいないしな」


 テレビのスポーツ番組にゲストで出演したり、企業のCMに出演したりするのは十六歳以上エキスパート部門の人気選手だけだ。その中でも一握りの有名選手以外の知名度は悲しい程に低い。この辺りの感覚はフィギュアスケートと似ているかもしれない。

 当時、陽明も『天才少年現る』とメディアで大々的に報道された。中学生の頃は街中で声を掛けられる事もあったが、一年以上が経過した今となっては完全に風化している。その為、エバジェリーの話題を赤の他人から振られるのは本当に久しぶりだった。


「それで、新聞部の取材だっけ?」

「ええ。うちの新聞部には毎年九月にエバジェリーの特集をするって伝統があるのよ。ほら、母体のてんだいがくがエバジェリーの普及に力を入れてるでしょ? その一環だって先輩は言ってたわ」


 てんだいがくぞくこうとうがっこう

 埼玉県熊谷市にある私立高校で、関係者からはきゅうこうの愛称で呼ばれている。一応は進学校だが、スポーツ推薦やAOといった一芸入試にも力を入れているため校風や規則はあまり堅苦しくない。県内では人気の私立高校だった。


「どう? 取材は受けてくれるよね?」

せっかくだけど断るよ。今はもう選手じゃないんだ」

「え、そうなの?」

「理由は訊かないでくれると助かる。代わりと言っちゃなんだけど、知り合いを紹介するしそっちを当たってくれ。二年三組のしのだけとよ……生徒会副会長って言えば分かるだろ?」

「そりゃ、分かるけど……」


 訝しげに頷いた御波の顔には、疑問の色が残っていた。


「豊音もエバジェリー関係者なんだ。と言ってもアイツは選手じゃなくて、優秀なPACEの調律師ビショップ。……ああ、PACEってのは選手が首に装機する械の事で、調律師ビショップってのは機械の調整をするエンジニアだな」


 陽明はうなじに指を当てると、トントンと軽く叩いた。


「俺と違って豊音は現役で活動中。エバジェリー協会とだって繋がりがあるし、取材をするなら俺なんかよりもよっぽど有益な情報が手に入るぞ」

「へぇ、ありがとう。参考にするわね」


 スマホのメモ機能に指を走らせた御波は、画面を眺めて満足げに呟いた。


「じゃあ、俺はもう行くから」

「待って、最後に一つだけ」


 そそくさと立ち去ろうとした陽明を呼び止めると、小柄な新聞記者は鋭く頬を持ち上げた。


「疑問に思ったんだけど、どうして遠城君は篠竹先輩を『豊音』って呼び捨てにするのかしら? それもかなり親しげに」

「それは……、」

「相手は一つ上の学年で、しかも次期生徒会長の座をほぼ手中に収めた有名人。『知り合い』って軽い言葉を使ってたけど、実はもっと深い付き合いだったんじゃないの? 例えば、篠竹先輩が遠城君の調律師ビショップだったとか?」

「っ」

「図星ね。察するに、調律師ビショップってアスリートに対するトレーナーみたいな存在なんでしょ? 苦楽を共にして、喜びも悔しさも分かち合う相棒パートナー。そんな相手が同年代の異性だとしたら何も起きなかったはずないじゃない!」


 幼児体型で薄い胸を得意げに張りつつ、更に言葉を捲し立てる。


「それなのに、遠城君の言葉には意図的に遠ざけたいってニュアンスがあった。つまり隠そうとしたって訳よ、篠竹先輩との関係性を」

「……だったら、どうだって言うんだよ?」

「簡単な推理よ。過去に何かあった、あるいは現在進行形で関係性を隠したくなるような事が起きているってこと! これは一大スクープよ、俄然エバジェリーの取材よりも興味が湧いてきたわ!!」


 ぐいっと一歩踏み込むと、燦々と瞳を輝かせた。


「その情報を入手したとして一体どうするんだ? あからさまな嘘を吐いたとしても、誰も信じてくれないと思うけど?」

「甘いわね、素人が。大衆が求めているのは退屈な真実じゃなくて、程良く脚色された虚構なのよ」

「うわー……どうしよう、すげぇ面倒臭い」


 壁際に追い詰められた陽明が露骨に溜息を吐くと、新聞部の少女はむっと顔を顰める。


「何よ、いやにテンションが低いじゃない」

「そりゃ下がるって、こっちは素敵なロマンスを期待してたんだから。……で、哀れな子羊の弱みを握ったお嬢様は何をご所望で? まさか、俺の体!?」

「いや、要らんし」

「だったら金か? 悪いが手持ちがないから小遣いまで待ってくれ。親の財布から紙幣を抜く事だけはしたくない」

「何を勘違いしてるか知らないけど、今日はこの辺で許してあげるわよはるあき

「……もう呼び捨てかよ」

「別にいいでしょ、アンタは人見知りする性格じゃなさそうだし。あ、私の事もなみでいいから。じゃあ、これからよろしくね!」


 パチン、と。

 星でも弾けそうなウインクを残して去って行った。さぞかし使い慣れているのだろう。百戦錬磨のアイドル顔負けの技術である。


「エバジェリーの事は隠してたのに……全く、厄介な奴に目を付けられちまったなぁ」


 陽明はカツアゲにでも遭ったみたいな気分に辟易しながら、寝癖で少し跳ねた髪を掻いた。

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