叶わなかった願い ①
翌日はいつもの休日より少し早めの9時頃に起きて朝食と身支度を済ませ、車で出掛けた。
夕方の新幹線で大阪に帰る葉月の両親と妹をホテルまで迎えに行き、観光名所を少し案内して、昼食を食べたあとはお土産選びに付き合ったりもした。
葉月の家族はとても愉快でおおらかで、俺の知らなかった『あたたかい家庭』という感じだ。
一緒に過ごすのはとても楽しくて、あっという間に時間が過ぎて夕方になり駅まで送る。
葉月の両親と妹は、『志岐くん、葉月をよろしくな。盆休みは大阪においで。楽しみに待ってるで』と言い残して新幹線で帰っていった。
「葉月の家族はホントに面白いなぁ」
「そうか?めっちゃ普通やと思うで」
「あれで普通なんだ。大阪ってすげえな」
そんな会話をしながらしばらく街を歩き、レストランで早めの夕食を済ませて帰宅した。
風呂上がりにソファーに座ってビールを飲もうとしたとき、昨日届いていた手紙を未開封のままテーブルの上に置きっぱなしにしていたことに気付いて手に取る。
昨日も思ったけど、差出人の名前にはやはり心当たりがない。
そして結構な厚みがあるが、一体何が書いてあるんだろう?
葉月は風呂に入ったところなので暇だし、一人で中身を確認してみることにしようと封を開けた。
封筒の中には便箋が3枚入っていて、そこには宛名と同じく丁寧な手書きの文字がびっしりと並んでいる。
読み進めていくうちに差出人の北村 雅夫という人が、母が父と結婚する前に付き合っていた恋人だったことや、父と離婚したあとに再婚した相手であることがわかった。
その手紙によると、母は学生の頃に花嫁修行のひとつとして習っていた華道教室で、家元の息子の北村さんと出会い恋に落ちたそうだ。
お互い初めての恋に真剣だったけれど、母には祖母が決めた婚約者がいて、母が父と結婚する直前に泣く泣く別れたらしい。
そして母が俺を産んでから数年後に二人は偶然再会した。
その頃の母は父との形だけの結婚生活に憔悴しきっていて、一人息子の俺も成長するにつれ自分の手から離れていくのが寂しいと泣いてばかりいたそうだ。
別れてからも母を忘れられなかった北村さんがそんな弱りきっている母を放っておけるわけもなく、母もまた父と結婚してからもずっと北村さんを想い続けていたそうで、許されないことだとわかっていながらも、一度はあきらめたはずの恋心が再燃して、逢瀬を重ねるようになったらしい。
そして父が母との家庭を顧みなかった理由も綴られていた。
じつは父にも、母以外に想う人がいたそうだ。
それが今の父の妻、つまり俺の継母だった。
父は結婚後、政略結婚の義務を果たし世間体を守るために、母との間に俺という子どもをもうけたけれど、その後は母と俺の待つ家にはろくに帰らず、実質的には内縁のような関係で継母と暮らしていたようだ。
そして俺が生まれてから2年後に継母は直人を出産した。
直人は父の実の息子として認知もされていて、それよりもっと前から、父はいずれ母とは離婚して継母を後妻に迎えるつもりだったらしい。
そのことを母は知らなかったそうだ。
離婚の条件は俺を置いて出ていくことと、今後一切俺とは関わらないことで、母は自分の不倫だけが離婚の原因だと思っていたし、生活力がなかったので、その条件を飲むしかなかった。
北村さんは親の決めた人との結婚はせず、家を捨てる覚悟で離婚歴のある母を選んだことで、父親から勘当され家を出た。
父との離婚後、母は北村さんと生活を共にして、お嬢様育ちで慣れないながらも必死で家事を覚え、家計を助けるために勤めにも出たのだという。
裕福な家庭に育ってなんでも与えられることが当たり前だった二人の生活は、最初のうちこそうまくいかないことだらけだったようだけど、『ずっと想い続けた愛する人との暮らしは、貧しいなりに楽しいものだった』と書かれていた。
父との離婚から半年が経ち、母は北村さんと再婚した。
庶民の暮らしにも少しずつ慣れて、人並みの生活力が身についてくると子どもが欲しいと望んだけれど、母は俺を産んだあとに卵巣の病を患って妊娠しにくい体になってしまったらしく、結局その願いは叶わなかったそうだ。
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