残されたもの ①

 幼い頃、「志岐は男の子なんだから、女の子にはうんと優しくしなきゃダメよ」と、いつも母から言い聞かされていた。

 夫婦共に大企業の経営者である両親の娘として生まれた母は、仕事で忙しく留守勝ちな両親に代わり使用人たちに育てられ、若くして親の決めた相手である父と結婚して俺を産んだ。

 父は医者で、地元では有名な総合病院の跡取りと言うこともあり常に忙しく、家でのんびり寛いでいる姿を見たこともなければ、遊んでもらったり家族で旅行に行ったりしたことも、一緒にゆっくり過ごした記憶すらもない。

 しかし俺を医者にしたかったのか、俺がまだ物心がつくかつかないかのうちからとても教育熱心だった。

 勉強を教えてくれるときだけは父がまっすぐに俺を見てくれたし、教えられたことをきちんと理解できると誉めてくれたことが幼心に嬉しかった。


 生まれたときからエリート街道を走ってきた父とは逆に、お嬢様育ちで家事もろくにできなかった母は、家事をまるごと家政婦に任せ、育児のほとんどをベビーシッターに頼っていたようだけれど、俺のことを可愛がってくれてはいたと思う。

 しかし母は幼い頃から親の愛情に餓えていたせいか極度の寂しがりやで、父の帰りを待ちながらいつも寂しそうにしていた。

 夫婦になっても甘やかしてもくれず、ろくに一緒にいてくれない父との結婚は、母にとってとても寂しいものだったのだろう。


 俺が成長して少しずつ手が離れて来ると、母は家を空けることが多くなり、次第に俺には見向きもしなくなった。

 家にこもっていたときのように寂しそうな顔をすることもなく、きれいに着飾って楽しそうに出掛けて行く母の姿を見るたびに、俺はいつも言い様のない寂しさに襲われた。


 そして小学校を卒業した直後の春休み、俺がいつものように1週間ほどいとこの家に遊びに行っている間に、母は家を出ていった。

 いとこの家から戻ると珍しく父がいて、母と離婚したことを知らされたのだ。

 どうやら母にはずっと前から、惜しみなく愛情を注いでくれる優しい男がいたらしい。

 突然母がいなくなったことや、俺には何も言わず出ていったことがショックではあったけれど、まだ子どもだった俺にはどうすることもできなかった。

 俺に残されたのは、「志岐は男の子なんだから、女の子にはうんと優しくしなきゃダメよ」という母の口癖と、突然母を失った寂しさ、そして以前より少しばかり家にいることの増えた父との時間だった。


 父と話すのはもっぱら成績や進路のことばかりで、友達のことや3つ歳上のいとこのジュンくんに憧れて入ったバレー部でのことなどは聞いてくれなかった。

 父にとっては俺が今何をしたいのかとか将来どうしたいのかなどは関係なく、父の跡を継ぐために医者になるのが当然だと思っていたのだろう。

 だけど俺は医者にはなんの興味もなかったから、ひたすらバレー部の活動に打ち込み、そのことで父から文句を言われないように、成績だけは落とさず必死でキープした。


 この頃は父と二人きりでいるのが息苦しくて、「潤くんに勉強を教えてもらう」と言っては頻繁に潤くんの家に避難していた。

 潤くんの家も俺の家と同じような理由で両親が離婚していて、潤くんはいつもイヤな顔ひとつせず弟のように気にかけて可愛がってくれた。

 そして3つ歳下のいとこの玲司レイジも、俺と同じようにしょっちゅう潤くんの家に居座っていた。

 玲司の両親は離婚こそしていないものの、父親は浮気ばかりして家庭を顧ず、外に愛人を何人も侍らせていたので、母親は夫の度重なる不貞にひたすら耐えることで玲司を守っていて、夫婦の関係は事実上破綻しているような状態だった。

 ずば抜けて頭の良い玲司は年齢のわりに大人びていて、小さな頃から両親のいびつな夫婦関係を理解していたようだ。

 母親を苦しめる父親を憎みながらも、玲司もまた母親を守るために良い息子であろうと必死で耐えていたんだと思う。

 その分俺や潤くんといるときは、年相応の子どものように甘えたりわがままを言ったりしていた。


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