第9話 始動

 柔らかい。それに人肌のような温もりを感じる。女性の包み込むような優しさ。いつまでも触れていたいほどに病みつきになりそうだ。


 この腕に巻きついてあるのは、特に柔らかい。触れたことのない独特な感触で、力を込めるとどこまでも沈んでいく。まるで裸の女性を触っているような⋯⋯。


「っ、どういう状況なの?」


 慌てて身体を起こすと、裸の女性2人と川の字に寝ていた。両腕は豊満な胸に挟まれており、抜け出せない、というより抜き出したくない。


「もしかして、死んだのか。ってことは、ここは天国なのか」


 いままでに嗅いだことのない芳しい匂いが充満している。


「残念ながら、まだ天国じゃないよ、ルシウス」


 突然、布に裂け目が入ったかと思うと、アルがイルを連れ会いにきた。イルは不機嫌なのか、頬を膨らませるというわかりやすく拗ねた表情を浮かべている。


「えっと、どういう状況なのか説明してくれる?ここはどこなのか、それに裸の女性が寝ているけど」


「木の檻よりは立派だろ」


「それは、そうなんだけど」


 周囲を見渡すと、背後に祭壇があった。祭壇には骸骨となにやら黒い塊が供えてある。その隣には立て掛けるようにして、族長の使っていた大剣が抜き身のまま置いてあった。


「ここって族長の家なんじゃ」


「そうだよ、だから、ルシウスも族長になったの」


「え、どういうこと?族長を殺した俺がなったりしたら、いろいろとおかしいと思うんだけど」


 イルは不思議なものを見るように首を傾げた。


「イルには説明できないだろうから代わるよ」


「あ、はい」


「族長になるには、決闘して勝つ必要があったんだ。それこそ命がけのね。昨日は、決闘と言えるか微妙なところだったんだけど、殺して代替わりをするのは一緒だったから説得できたってところかな。」


「説得?アルがみんなに話してくれたのか?」


「いや、それが」


「説得したのは、この俺だよ」


 同じように布を潜って入ってきたのは、俺を森で捕まえた男だった。


「俺の名はサジッタ。よろしくな族長様って、おいおい、俺はあんたの味方だぜ」


「魔力が見えるのか?」


「魔力?俺にはなんも見えねぇけど、なんか嫌な予感がしたんだ」


 サジットと名乗った男は勝手にアルの隣に座った。軽薄そうに会話をしているものの、どこか試しているのか、ときおり見せる表情は鋭い。布一枚を巻いただけの貧相な格好をしたアル、イルとは異なり、絹のような上質な生地の服を上下に着ていて、横に並ぶと比べるまでもないほどに余裕があった。


「説得といっても前があるから簡単だった。だが問題なのはほかの村人だ」


「ほかの村人?」


「おい、アル、説明してなかったのか?」


「いま起きたばっかりだったから、まだできてないんだ」


「そうか、なら俺が簡単に説明してやる」


 サジットは敷いてあった布をめくった。あらわになった地面に大きな円を描く。


「さて、どこから話したものかな」


「あんたのこと、まだ信用できてないんだけど」


「だろうな。だがな、相手は待ってはくれない。じっくり仲を深めている暇はないってことだ。それに」


 サジットは寝ている女の方を見遣った。


「この女たちを追い出せ」


「なんでだよ」


「あほ。こいつらはずっと聞き耳立ててやがんだ。裸だからって惑わされるなよ」


「あら、ばらすことないじゃない。もう少しのところだったのに」


 すると、裸の女性は気怠げに身体を起こした。見られていることに躊躇う様子もなく、そのまま立ち上がる。


「今度、相手してやるからさ、ここは俺の顔を立ててくれよ」


「あんたみたいな行商の相手なんかしないよ。それでは族長様、また今夜お会いしましょう」


 女性たちは衣服を身につけることなく、丁寧にお辞儀をすると外に出て行った。


「おっかないやつらだ。ま、そんなことより、この村の状況を簡単に話そう」


 地面に敷いている布をめくると砂があった。そこに円を描くと、その真ん中に線をひとつ引いた。そして、小さい丸を3つ横一列に書き始めた。


「族長様が堕ちたのはこの大森林と呼ばれる巨大な森、その周囲には3つの村がある。いまいる村は、端っこにある比較的小さい村だ。真ん中にあるのはグッタ村、ここの3倍ほどの人口と領土を持っている。その隣にあるのは、神に導かれし村だ。あまり関わることはないから無視して構わない」


「ところで村とか森ってなんだ?」


「そうか、天空都市に村はなかったな。そっちの言い方になると地区、といえばわかりやすいか。人々が集団生活をしている場所や単位のことを言い表すんだ。人口や領土がさらに大きくなれば、街、都市、国といった名前になるらしい。俺は見たことないけど、この大森林を越えた先には、もっと大きな村、国もあるって噂を聞いたことがあるぜ。それと、森は木が沢山生えている場所のことだ。木はわかるよな?」


 呆れたような表情を浮かべるサジットに腹が立つ。


「ああ、流石にわかるよ」


「なら、続けるぞ。相手は待ってくれないといったのは、明日、この隣にあるグッタ村の村長と話し合いをする予定だからだ」


 サジットと目があった。見定めるような視線は、俺の覚悟を試しているかのように思えた。


「まてよ。会ったこともない村長と話し合えってことか?できるわけないだろう。それに明日なんて」


「そうだ。しかも話したいと呼び出したのは、前の族長。そしてその後を継いだ族長、つまりあんたってことだ。相手はこちらの族長が天の民だということを知らない。だが見ればわかるだろうな」


 イルの大きな欠伸が目に留まった。あまりに長い会話に、退屈を覚えたのかもしれない。手招きすると、隣りに座って、身体を凭れかけてきた。薄い布一枚のため、見えてはいけないところが視界の端に映った。


「それに、空から堕ちてきたということは不思議な力も使えない、魔法も使えないという先入観が向こうにはある。相手がどういう出方をしてくるかわからないが、結果次第では戦闘になるかもしれない。魔法を完全に使いこなせるならまだしも、いまのままではまず勝てないだろう」


 あのときは無我夢中だった。戦わないと死ぬとわかっていたから。だからこそ、空気中に魔力を発見することができたのかもしれない。そうして、あの魔法は、言葉で形作られたものではなく、頭のなかで思ったこと、想像したことをそのまま発現することができた。無詠唱、そして杖もなく魔法を使えるのは実力のある上級氏族のなかでも上位のみ。天空都市では使えるものさえ見たことなかった。それこそ最後にあった女性くらい。


 今もできるのか。いつでも使えるようになったのかを後で確かめておかないといけない。


 考えに集中していたからか、沈黙が続いてしまったようだ。サジットはじっと俺の方を見ている。アルはいつの間にかこの場から姿を消していた。イルはただ心配そうにしている。


「それで俺はなにをしたらいい?」


「覚悟は決まったようだな。これから命令を2つ出してもらいたい。ひとつは斥候、相手は何人いて、武装しているのかどうかも。それに、正式に族長になったことを、みんなの前で表明して貰う必要があるが、やれるか?」


「わかった。こうするしか生き残る方法はないようだから、なんでもやるさ」


「なら話は早い、早速村の連中を広場に集めておく。準備ができたら教えてくれ」


 勢いよく立ち上がると、そのまま外に出ようとした。


「ちょっと待て、サジット、何故おまえはここまでしてくれるんだ。関係ないじゃないか、俺が死のうが生きようが」


 サジットはどこか疲れたような表情を浮かべ、視線を彷徨わせた。先程までの饒舌な雰囲気は微塵もなく、どこか惚けたように、天井を見上げている。


「もう疲れたんだ。村から離れて生活をするのは。アル、イルもそろそろ狩人の真似事なんかじゃなく普通に生活したいはずだ。好きで行商になった俺とは違って、生まれた時から村の外にいたから余計にな。だから頼む。あんたが族長としてこの村でいられるように協力するから家と仕事を与えてやって欲しいんだ」


 額が地面に付くくらいに頭を下げた。


「ついでに、俺をこの村専属の行商にしてくれたら、なお助かる」


「そっちが本当の狙いなんじゃないか」


 俺は呆れながらも面白いと思った。このままなら天空都市に戻れることはない。ずっと、地上を彷徨い続けるよりもいっそのこと村の一員にでもなってしまったほうがいいのかもしれない。

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