閑話休題 ある双子の話
俺とイルは森にある開けた場所に、母と住んでいた。
周囲は背の高い木立に囲まれていて、探そうとしない限りは誰にも見つからないところに、隠れるようにして生きている。
以前に母に尋ねたことがあった。それは簡単なことで、イルの肌の色がほかの人たちと違うから。だから、ほかの人に見つからないように隠れているんだよと。
陽に焼けても変わることのない白い肌。その肌を持つ人々を天の民と呼び、俺たちは殺しあっていた。
「アル、お母さんが呼んでるよ」
雨風を凌ぐことしかできない簡素な家から、イルはどこか呆けたように出てきた。何かあったのかもしれない。
「わかった」
薄暗い家のなか、母は横になっていた。突然、動かなくなってから、一月にもなる。
「どうしたの、母さん」
原因不明の病に倒れた母のために、呪術師に見せてやりたいけど、イルが見つかってしまったら大変なことになる。こうして放置しているしかなかった。
「あの人は帰ってきたかい?」
「もう諦めてよ。戻ってくるわけないじゃないか」
「なんてこと言うの。あなたとイルの大事なお父さんじゃない。あの人と約束したの、必ず戻ってくるって。天空都市に連れていってくれるって。だから、それまで耐えれば、きっとこんな暮らしは」
母はこの生活に疲れてしまったのかもしれない。人目を避けるようにして生きているこの環境に。
「母さん、もう戻ってこないよ」
父は天の民だった。追放されたのか、自分の意思で地上まで降りてきたのか。今となっては知りようがない。
けれど、それでも覚えているのは、母に抱かれながら見た父の顔だった。銀色の髪にどこまでも白い肌。対照的に黒い髭を蓄えていたのも印象に残っている。
「帰ってくる。絶対に帰ってくる。忘れるわけがない。だって約束したもの。あの人は約束を違える人じゃない。私を残していくわけがない」
母は俺に背を向けた。現実から逃げるようにして。痩せてどんどん小さくなっていく背中は、ずっと横になっていたからか、かぶれて赤く腫れていた。
「狩りに行ってくるよ」
返事がないのはいつものことだから、そのまま家を出た。
「アル、お母さんはどうだった?」
「いつも通り」
俺は立てかけてあった槍を持ち、イルは木を削って作った細い棒を握りしめた。
狙うのは、イノシシ。赤黒く巨大な身体からは、想像つかないけれど、豊満な身体には柔らかい肉が詰まっていて焼いて食べれば、どんな食べ物よりも美味しい。
「もっと高いところに行こう。この前、斜面を上がっていくところを見たんだ」
「わかった」
二人で狩りに出るようになってから、何度も死にかけたことがあったけど、それだけ強くなってきた。
急な斜面をものともせず駆け上がる。小さいけれど、土を抉るようにして出来た足跡を発見した。
「近い」
イルを見ると同じことを考えていたのか目があう。
中腹までくると、これまでに見つけたことのない洞穴があった。その前まで足跡が続いていることから、イノシシの住処だろう。
周囲の地面に踏み固められた形跡もないため、人が作ったものではないはず。
音を立てないよう慎重に侵入した。洞穴の中は太陽も差さず風も通らないため、ひんやりとしていて気持ちいい。
奥の方から獣の臭いが漂ってきていた。きっとあの足跡のイノシシだろう。暗がりで判別しにくいけれど、そうに違いない。
イルから棒を受け取ると思いっきり投げた。
「ブヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」
命中したらしい。笑っているような奇妙な鳴き声が聞こえる。駆け寄ると、想像していた通りのイノシシが倒れていた。刺さった部分からは液体が漏れている。
「イル、運ぼう」
「どうやって?」
「転がしていければ、いけると思うぞっ」
腹部に刺さっていた棒を抜くと、イルと力を合わせて押した。
強引に洞穴の出口まで押していき斜面に向かい蹴落とした。勢いよく落ちていくのを見て、なぜか可笑しかった。
時折、木にぶつかって止まることがあるけど、どうにかして転がす。
「肉を食べるのは久しぶりだね」
「そうだな」
見慣れた家のすぐ傍まで落ちたイノシシは、まだ生きていたのか逃走を図ろうとして立ち上がる。
ただ、転がった衝撃で前足の片方が怪我をしたのか上手く走ることができず、また倒れた。
「かわいそう」
「そう思うなら、二度と肉を食うな」
持っていた槍を首元に突き刺すとイノシシは動かなくなった。
「ご飯にしよう、母さんを呼んできてよ」
「わかった」
その間に下準備をする必要がある。焚き火に火をつけるため、割っておいた木材を取りにいく。
昨日の雨に少し濡れて湿気ている。難しいけど火は点くだろう。
焚き火の前に戻り、木材を入れ火を起こしていると、イルが白い顔をさらに青くして戻ってきた。
「お母さんが」
「母さんがどうしたんだ」
「死んじゃった」
俺は、イルを押しのけるようにして慌てて家の中に戻った。
母は横になったまま仰向けの状態で目を見開いていた。近づいても、見下ろしても、母の目はずっと俺じゃない遠くを見ている。天井よりも、雲よりも高い、どこか遠く。
不思議と悲しいと思わない。ただ羨ましかった。ここで終りを迎えられることが。
そうして、これから先のことを考えて、めまいがした。
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