第75話 切欠

  ガラス本体の上部に、林檎風味の葉がアルミホイルで器用に載せられたシーシャが運ばれてきた。そして次に、店員が真っ赤に燃える炭の欠片を器用にアルミホイルの上に積んでいくと、華が嬉しそうな声を上げた。

  日本でもシーシャを取り扱う店はあるが、やはり本場は違う、と言う。地元民の生活の一部になっているから値段が格安で、さらに美味いのだから当然の感想ではあった。元々の物価が違うとは言え、値段も大きく異なり、シーシャ1本が日本円にして数十円の世界だ。日本に戻ったら気軽にシーシャは楽しめないな、といつ戻るとも知れない国を思った。

  楓と華が久しぶりの再会で積もる話をしているのを聞きながら、プカリプカリと白い煙のように水蒸気を吐き出し、口の中に広がる林檎の味を楽しみ、そして甘いミルクティーに口をつけ、ただのんびりと時間を過ごした。時折、私と楓の話になって私に質問が投げかけられるから、軽く相槌を打ったり返答をしたりと会話にも加わった。時間が経つにつれ、激しめに聞こえていた車の音が静かになり、カイロの街が深夜帯に突入していくのが感覚で感じ取れた。


  その時、携帯が鳴った。夜も遅いのに誰だ、と思った瞬間、楓から最初にかかってきた電話を思い出して応答するのに、少し手が震えて手間取った。あの電話を受けたのは、この路上カフェの丁度この席だったと思い出したからだ。あの日起こったことは楓にとって大きな傷になった。でも、あの事が無かったら、今、こんな風に過ごしていなかっただろう、と思うと複雑な心境だった。休学中は家を引き払って旅人と化していたかもしれないし、今でも最初の家にいて、留学生達の面倒を見る日々だったかもしれない。仕事のペースも違っていただろうし、そもそもあんなにリゾート地に長居はしなかっただろうし...と、華と他愛もない話をしながら楽しげに笑う楓を見ながら、色々起きた変化を思った。ともあれ、席を離れ応答した電話の相手は大学の同期で、論文に行き詰まったらしく、カイロにいるなら意見交換しようという誘いだった。じゃあ近いうちに大学のライブラリーで、と約束をして電話を切った。

「仕事?」

席に戻ると楓が首を傾げて尋ねた。

「いや...大学の子。論文の件でちょっとね。...それで、今は何の話?」

そう尋ねると、華がニヤニヤしながら口を開きかけたが、それを楓が慌てて制した。その慌てた様子が気になって聞き出そうとしたが、楓は頑として譲らず、翌日の予定に話をすり替えた。

  シーシャを存分に楽しんだ私達は、路上カフェを後にしてタクシーを拾い、家路についた。深夜は交通量も少なく、タクシーは猛スピードでカイロの街を走り抜けていく。路上カフェのタハリール広場近辺からマアディまではナイル川沿いをひたすら直進して走るから、ボロボロのタクシーの窓から吹き込む風の勢いもすごく、さらに軋む座席の跳ねもなかなかアクロバティックであった。


  その夜、何を楓が路上カフェで隠したのかを、楓の入浴中に華がこっそりと教えてくれた。

「レイさんを意識したキッカケです。」

「え...。いや、それは、辛い時に側にいたから、でしょ?」

華は首を振って言った。

「レイさんの論文書いてる姿が良かったんですって。」

「...はぁ??」

困惑した私の反応に、華はクスクスと笑いながら付け足した。

「初めて楓がレイさんの家に泊まった日、レイさんが論文書いてたのを暫く眺めてたらしいですよ。真剣な表情で、大人っぽくて憧れたんですって。」

「い、意味が...よく...。」

更に混乱した。その時はまだ、私は何もしていなかった筈、と思ったからだ。

「ごめん、華ちゃん。変なこと聞くけど、楓って...その...昔から同性愛者だったの?」

「いえ、違いますよ。...多分。」

「多分って...。」

「まあ、そうなりますよねぇ?レイさんが楓に手出したの、その次の日ですもんね。」

「華ちゃん、そこまで聞いたの...。」

こともなげに言い放つ華の反応に、なんだか異様に脱力した。

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