第68話 寿命
いよいよリゾートも終わりか、とホテルの庭をぼんやりとロビーから眺めた。前夜に比べれば日焼けの痛みはマシだという楓の肩はまだ赤かったが、上から羽織ったリネンガウンで隠されていた。リネンガウンはまだ肌触りが優しいらしく、私が着ようとしたものを彼女が奪って着ているのだ。
「レイの匂いがする。」
何となく嬉しそうに言う楓に、
「私のなんだから当たり前でしょ」
と、呆れて言った。そうこうしている間にムハンマドとムスタファが迎えに来て、私達は帰路についた。リゾートの1ヶ月はどうだったかとムハンマドに聞かれて、楓がすかさず最高に楽しかったと答え、私もそれに追従した。
窓の外に流れる景色が、海から山に、山から荒野に、荒野から農村に、そして農村から街に変わっていき、カイロが近づいていることを実感した。家に入った最初の感想は、
「砂埃、ヤバイな...。」
だった。隙間から入り込む小さな砂の粒子が床やテーブルにうっすらと積もっていた。ひとまず荷物を玄関口に置いたまま、私達は掃除をする羽目になった。
「リゾートから帰ってきて、一発目が部屋の掃除って、ちょっと悲しいね。」
「そうだね...。忘れてたよ、こうなること。前の家はメイドいたから。」
床やテーブル、シャンデリア等あらゆる場所を拭きソファ等は掃除機をかけた。
「もう、年末の大掃除並みじゃん...。」
流石に、寝室のベッドマットにはカバーをかけていて救われた。掃除がひと通り終わった頃、楓がベッドカバーを洗濯機に放り込むのを見て、私はやっと持ち帰った荷物に手をつけた。
「流石エジプトだよね、1ヶ月くらいで家の中に砂が溜まるとか。」
楓が笑いながら言った。
片付けも終わった頃、私達は久しぶりにマアディの中を歩いた。季節は完全な夏で、少し外に出るだけで汗ばんだ。
「日焼けは?痛くない?」
「痛いよ?でも、さっきの掃除でだいぶ慣れた。」
慣れるものなのかは疑問だったが、それほど痛がらず気にしていない様子なので安心した。相変わらず私のリネンガウンは羽織ったままだったが。
「明日から、私、仕事始まるよ。」
「早速?わかった。」
仕事が始まれば少なくとも日中は別行動になるし、仕事内容によってはカイロを離れることもあるから、一緒に過ごす時間は格段に少なくなる。社員登用の話をされてから、扱いもバイトではなくなっていて、多忙になっていた。少しは寂しがってくれるのかな、と彼女の表情を盗み見たが、感情までは読み取れなかった。
食材や日用品を買い込んだ帰り道、楓が突然言った。
「あれだけ毎日、砂の中で生きてたらさ。お婆ちゃんになるまでエジプトに居たら、やっぱり私達の寿命もエジプト人と同じくらいになるのかな。」
「え、どうしたの?」
エジプトの平均寿命は日本と比べるとマイナス15歳くらいだ。
「このままずっと、レイとエジプトで死ぬまで暮らしたらって想像したの。」
「あ...。」
心臓を鷲掴みにされたような、頭を殴られたような衝撃だった。その時私に駆け巡ったものは何だったのか、表現の仕様もない。ただ、嬉しさと苦しさとが入り混じる、どことなく悲しい感情だった。そうあれば良い、そうなる筈がない、その感情の狭間で絞め殺されるような、息苦しさを覚えた。
「...どうかな、短くなるんじゃない?」
そう答えるのが精一杯だった。
「そっか。早く死んじゃうのは嫌だなあ。」
暢気な彼女の返答が、まだ救いだと思ったが、次の楓の言葉がまた、私の心を掻き乱した。
「じゃあ、平均寿命の長い国に2人で移住するのも良いよね。そしたら、その分長く一緒に居られる。あ...平均寿命って日本が1番長いんだっけ?...レイが日本が嫌なら、スイスかなあ?でも、レイはアメリカが似合うよね。」
黙ってしまった私に気付いた楓が、
「ごめん、ただの夢物語だよね。」
と、寂しげに笑うから、余計に切なかった。
どうして、いつもこんなに終わりを意識しなければいけないんだろう、と思った。ここが生まれ育った国ではない異国だから?まだ学生で、お互いの将来が見えないから?それともやはり、同性だから?...同性であることは大きい。でも、結局は全てが不安の要因になっているのだと思った。どれか1つでも違えば、不安が薄れるのだろうか?
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