第62話 我儘

  シャルムを出る予定の前日、街中のテラスカフェでランチのピザを頬張りながら、

「レイ、このままカイロに帰るの?」

と、少し残念そうに言った楓に私は少し驚いていた。てっきりそろそろリゾートも飽きてきたかな、と思っていたからだ。3週間近くもシャルムにいて、その前にシナイ山とダハブにいたから、かれこれ1ヶ月近くカイロを離れている。仕事のこともあったし、そろそろ戻らなくては、と思っていた。

「まだ居たいの?」

「シャルムにっていう訳じゃないけど、もうあと数日、旅してたいかなって。そう思っただけ。」

「あと数日...?」

私は頭の中でスケジュールと財布事情とを素早く計算してから、ムハンマドに電話をした。

「ムハンマド、明日シャルムを出たら、国境まで行けないかな。ターバだっけ?せっかくだから2泊くらいしてから、カイロに戻りたい。ヒルトンホテルあったよね?」

その会話を聞いていた楓は、目を見開いて、いいの?と口パクで私に聞きながら、嬉しそうだった。確認する、と言われて電話を切ると、満面の笑みで私を見てくる楓に、

「結果はまだだから。ホテルの空きと、警察の申請次第だから、確定じゃないよ。」

期待を持たせないように言って、私は目の前のグラスに口をつけた。

「もし駄目だったとしても、それはそれでいいの。レイがね、そうやって私の我儘を聞いてくれるのが嬉しい。」

嬉しそうな楓の表情を見ているのがやっぱり好きだ、と思った時、

「やっぱりレイは私のこと、かなり好きだよね。」

笑顔で言われて、私は自分の思ったことを見透かされたような気がして、照れを隠す為に煙草に火をつけた。貝細工店での仕返しをされている気分だった。


  ムハンマドから返答の電話が来たのは、その日の夜になってからだった。警察の許可が降りて、国境の街に滞在できることになった、という知らせだった。そのままカイロに帰る予定がまた別の場所で時間を過ごせる事になり、楓は嬉しそうだった。

「ターバで2泊したら、カイロに帰るからね。そこはもう延期できないよ。」

念のため、楓に釘を刺した。楓の幼なじみとやらが来る日も迫っていたし、考古学関連の通訳の依頼が入っている日程も迫っていたから、本当にギリギリのスケジュールになっていた。楓は素直に頷いた。


  シャルムからターバまでは、ムハンマド達の車ではなく、シャルムの観光会社からのチャーターを利用した。長く滞在したコンコルドホテルを出発し、私達は紅海沿いをひたすら北上した。エジプトの国境、アカバ湾に面した町、ターバ。イスラエル領のエイラートとの国境で、時期次第ではイスラエル人で溢れる町だ。

「よくヒルトンがあるって知ってたね?」

楓がそう私に言ったから、私は、まあね、とだけ答えて明言を避けた。

  何故知っていたか...と言えば、そのヒルトン・ターバ・リゾートが自爆攻撃の標的となって、30人程の犠牲者が出たことがニュースになったことがあったからだ。イラクとパレスチナでの犠牲に対する報復だとして、数百キロの爆弾を積んだトラックが爆発した、と記憶していた。しかし、それを楓に話すのは憚られた。ミニヤのテロの話を聞いた時の楓の不安げな表情が頭を過り、言えないな、と思った。最も、そのテロの時は、ユダヤ教の大祭の最終日で、多くのイスラエル人がターバに滞在していた事が起因していたから、そういった時期に当てはまらない時期であるから問題無いだろうと思ってはいた。

  楽しくリゾート気分の旅行を味わっている彼女に、水を差すのは嫌だった。今が大丈夫なら、彼女に余計な心配をさせる必要は無い、そう思った。

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